2018年3月28日水曜日

待てない母 と 伸びない子

「普通」ならこの月齢/年齢では自然とこんなことが出来るようになる、という目安に対し、遅発していることと早発していることの凸凹が極端に大きい……語弊を懼れず端的に言えば、それが「発達障害の徴候」です。

そして、「普通」なら大人になるまでに自然と出来るようになることがいつまで経っても出来ないまま、殊に義務教育以後の学校生活への不適応や、成人していても社会参加できない状況へ陥ってしまった。端的に言えば、それが「発達障害の二次障害」です。

つまり「発達障害の徴候」であるうちに、「普通」のことが自然と出来るようにはなれない「障害」なのだから我が子の成長を引き出すには適切な導きが不可欠だ、と親御さんが考え方を改めて接すれば、「発達障害の二次障害」へは陥らせずに済むわけです。

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しかし現実は、そう単純ではないようです。

第一に「発達障害の徴候」である間は、お子さん自身は無論のこと、親御さんにも病識は無いのが「普通」。仮に第三者(3歳児検診に立ち会った保健師さんや、保育園・幼稚園の先生など)から遅発していること(運動や言葉の遅れなど)を指摘されても、早発していること(計算が出来る・文字が読めるなど)を根拠に「この子は障がい児じゃない」と親御さん方が支援へ繋がる機会を拒んでしまった経緯が、遺憾ながらネットを渉猟する度に散見されるのです。

第二に、とりわけ高機能の自閉圏ですと親御さんの視点からは小学校低学年〜中学年で適応が改善した(言葉の遅れが解消し、学校生活へも概ね順応している)ように見え、「やっぱり、この子は大丈夫だった」と安心してしまうため、結局は思春期以降の「発達障害の二次障害」へ陥って初めて適切な導きが不足していた旨を深く後悔なさる例が絶えません。

その反面お子さん自身は、後にひきこもってしまった当事者さんたちの回顧に拠れば、小学校低学年〜中学年で「自分は みんなと なにかが違う」との病識を感じ始めている模様。生来の五感や認知に凸凹があるため感じていること・考えていることを自分で総括する力が弱く、周りの大人へ自発的に訴えることが難しい結果、親御さんが独り合点なさった安堵とは逆にお子さんは疎外感を募らせていくことになってしまいます。

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とは言えお子さんが小学校低学年〜中学年で病識を得始めるのは、保育園・幼稚園以来の集団活動へようやく慣れ、五感や認知の凸凹でいっぱいいっぱいだった中枢機能に「みんなと なにかが違う」旨を客観できる余裕が生じた証左。自分の「なにか」が自然には「伸びない」との認知が自発しつつある状態ですから、自然には出来るようになれなかった「普通」のこと(日常生活の習慣・作法・家事など)を適切な導きの下で療育する好機でしょう。サポートセンター名古屋の俊介さんが綴って下さった「親の学び」に『最適な期間は小学校4年程度ぐらいまで』というお考えは、斯様な主旨だと拝読しました。

にもかかわらず親御さんの方は、お子さんの認知が自発するのを「待てない」例が多い。実のところ「良いお母さん」に度々お見受けする最大の誤謬は、お子さんの繊細な変化、すなわち「みんな」に比べればゆっくりですが確実な成長の萌芽を「待てない」ことです。お母様が有能であればあるほど「みんなと違うのは かわいそう!」と情緒的庇護に走り、拙速に「正解はこれ。だから、こうしなさい」と親の即断で子どもへ指示するのを我慢叶わない傾向は、辛辣な物言い誠に恐縮ながら指摘せざるを得ません。

と申しますのも、生まれながらに五感や認知の凸凹を抱えるお子さんは、都度の指示に従うだけで精一杯。頭ごなしに「正解はこれ」と単純な学習を繰り返すのみでは、自発的な認知・行動化が妨げられる一方だからです。どんなに時間が掛かっても・手間が掛かっても、お子さん自身が認知して・選んで・行動化するフリーハンドを尊重することが、『自分の頭で考えて、自分の目で見定めて、自分の足を使って 生きる』力を「伸ばす」唯一の方策なのですが、親御さんにも「待てない」事情がある/あったらしい。

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親御さん方が「待てない」ご事情は、ご家庭ごとに千差万別。
あまり具体的に書くと「あぁ、アソコのお宅か」と察しが付いてしまうほど特異ゆえ、詳しい解題は自重させて戴きますが、語弊を懼れず端的に言えば「親の都合」です。

さりながら拙ブログの本旨は、「待てない」事情がある/あった親御さん方を責めることではありません。古今東西あらゆる家庭では「親の都合」が優先されてきた例の方がきっと圧倒的に多数でしょうし、お子さんが思春期以降「発達障害の二次障害」へ陥ってしまったご家庭は少なからぬケースで、「子の都合」すなわち発達障害について正しく知っていたら当然そちらを優先したのに、と親御さん方は後悔なさっておられる。

どのタイミングであっても、「子の都合=発達障害」に対する「親の学び」が全くの無駄という次第にはならないでしょう。『親御さんが考え方を変え』『子どもへの接し方も変わ』れば、たとえ二次障害へ陥った後でもその増悪を防ぎ、障害者雇用という情緒的庇護による当座の救済で、ご家族がひとまず安堵の息をつくことも叶うからです。

けれど障害への迎合でもなく支援への依存でもなく、受容と信頼に基づいた当事者本位の「合理的配慮」で社会の一員として真の適応を遂げるには、メンターによる導きが必須と私は考えています。生来の五感や認知に凸凹を抱えるお子さんへのメンタリングの要諦は、拙速を尊ばず 巧遅を懼れず……繊細な変化、すなわちゆっくりですが確実な成長の萌芽を「待てない」親御さんでは、残念ながらお子さんは「伸びない」のです。
【関連記事】「支援は 続くよ どこまでも」


【補記】「お母さん」と「子」連作として、不定期連載しております。

>>第1回『「良いお母さん」と「悪い子」』を読む
>>第2回『「変な子」と「変なお母さん」』を読む
>>第3回『暴れる子 と『頑張るお母さん』』を読む

2018年3月26日月曜日

伸びた子 と 待てた母

「へぇ〜『社員の7割以上が発達障害』なんだって!」

スマホでLINEをチェックしていた娘が、更に「携帯ゲームの会社か……」と呟いた。
その声にピンと来た私は、夕食の準備をするためクックパッドのレシピを確認していたタブレットで、彼女が口にした文言を検索する。

ヒットした記事をスクロールで流し読みすると、見覚えのある一文が目に留まった。

『理想論で言うと、ここで働いてる人たちもいずれは一般雇用枠になったり、
 健常者がいる中に入ったりして活躍してほしいなと思っています。』

やっぱり。サポートセンター名古屋の俊介さんが、ブログで言及しておられた件だ。

「その記事、読んだ?」と訊くと「見出し、チェックしただけ」と娘が答える。
「それじゃ、こっちの方が読みやすいし。感想、訊かせて」とキッチンカウンター越しに、ダイニングテーブルで読書中だった彼女へタブレットを手渡した。



「今日の夕飯は、簡単な献立だから。お手伝い、お願いすることは無いよ〜」

と声を掛けつつ、娘の様子を伺いながら切りの良い所まで夕食の支度を進める。生来抱える五感と認知の凸凹ゆえ読むのが遅い彼女は、時々バックスクロールを繰り返し丹念に目を通している。私もテーブルへ移動し、椅子に座りながら改めて質問した。

「その記事を読んで、どんな感想を持ちましたか?」
「うーん……。社長さんが、障害者の社員へ『今 この給与水準である理由』とか
 会社の経営状況とか『すべて伝えて』るところが、すごいなって思った。」

なるほど、なるほど。ウチの「自家製療育」でも、informed consent は重要な方針のひとつだったしなぁ。そこを第一に「すごいな」と思えたのは、自身の過去の経験に照らしつつ社長さんの真意を汲み取って、論旨を読解できた証左だろう。

「じゃ、この『理想論で言うと、……活躍してほしいな』て文章は、どう感じた?」
「……。」
「雇われる障害者側からは、社長さんの『理想論』って、どう感じられるだろう?」

そう言い添えながら Google+のプロフィールを常時表示させているタブへ移動し、「今度は、こっちを読んでみて下さい。」と俊介さんの『発達障害の人を積極的に雇用します!!僕は応募しないけど』という記事を開いた。



「……立場が変わると、全然違う感じ方になるんだね。」

私が Google+寄せさせて戴いた回答とそれに応じて俊介さんが綴って下さったブログ、加えて私が申し上げた御礼を読み終えた後、娘は静かに言った。声音は落ち着いているが、頻りに目頭を丸めたティッシュで押さえている。

彼女の「この記事書いたの、どんな人?」という質問へ、私が「美味しいものを食べるのが大好きで、穏やかで暢気な性格で、お嬢とよく似てる。まるで、あなたの兄さんみたい」などと紹介したあたりから共感が高まったらしい。

「その『気づき』が、『他者の合理性の理解』だよね。」

私がそう相槌を打つと、娘の眼がキラ〜ン!と輝いた。この遣り取りの目的は、彼女が卒業研究で取り組む「質的社会調査」を見据えたメンタリングという旨が分かったようだ。

「明日、大学の図書館、行ってくる。卒研の計画、詰めたいし」
「うん、行ってらっしゃい。」

***

サポートセンター名古屋の俊介さんがブログで書いて下さったとおり、発達障碍の二次障害を防ぐためには、『子どもとコミュニケーションを取れる親になる』ことが重要。

「普通」なら大人になるまでに自然と出来るようになっていくことが、自然と出来るようになれない「障害」なのですから、我が子の成長を引き出すには大人の導きが不可欠なのだ、と親御さんには考え方を改めた上でお子さんへ接して戴かねばなりません。

そして、障害者雇用という障害への迎合で支援への依存を強いる「情緒的庇護」に、当座の救済を得て安堵の息をつくのみに留まらず、障碍の受容と支援への信頼に基づいた当事者本位の「合理的配慮」で、社会の一員として貢献しうる自発的な適応を遂げるためには、メンターによる導きが必須だと私は考えています。


【補記】「お母さん」と「子」連作として、不定期連載しております。

>>第1回『「良いお母さん」と「悪い子」』を読む
>>第2回『「変な子」と「変なお母さん」』を読む
>>第3回『暴れる子 と『頑張るお母さん』』を読む

2018年2月13日火曜日

支援は 続くよ どこまでも

ブログ『発達障害な僕たちから』ヒロさんはじめ、当事者の皆さんが抱える『生きづらさ』へ思いを馳せながら、ご家族・支援者への応援歌を作詞してみました。

『線路は 続くよ どこまでも』原曲はアメリカ民謡『I've Been Working on the Railroad』のメロディにのせて、迷った時・悩んだ折にくちずさんで戴けましたら幸甚です。

***

支援は続くよ どこまでも
小学 中学 高校と
個性に合わせた サポートで
失敗と成功 経験させよう

高等教育は 就労移行のチャンス
偏差値 ランキングより 好きなこと
親の教唆より 自己理解
理数が できても 文系かもよ?

診断名には 踊らされないで
本人を見るが「吉」
相手を責めない 自分も責めない
一緒に成長しよう!



支援は必要 いつまでも
だから 本人が 「ほう・れん・そう」
「大人」と話せる 知恵こそが
知能・知識より 大切なのさ

自立に備えて メンターを探そう
親は先立つのが 前提で
子離れするのは 心配だけど
自己理解 進んで ハッピーかもよ?

まわりの野次には 惑わされないで
個性に沿うが「吉」
相手を責めない 自分も責めない
一緒に成長しよう!

***

ご家庭の事情から小学生で育ちの環境が損なわれてしまったヒロさんは、サポートセンター名古屋の支援へ繋がれた時から、改めて義務教育の課程を学び直したようなもの。
小学校入学から大学卒業まで日本では通常16年掛かるところを、13年で大学を卒業し一般枠でインターンに採用されたのですから、3年飛び級をしたも同然と私は思います。

まだ失敗することが怖くて仕方ないあまり却って失敗を重ねがちなヒロさんですが、この3年間を失敗に踊らされない「人格」を育むための「経験」へ充てれば、『6年後、必ずや勝利すべし』と「珍」さま同様ヒルマ小母ちゃんも信頼申し上げております!

2017年9月29日金曜日

緘黙する子 と 優しいお母さん

「変なお母さん」好奇心主導な傍目八目から拝見すると、大抵の「良いお母さん」は子育てという行為を「みんな」が経ている「普通」に倣えば上手く行く筈、と一括りに思い込んでおられるようにお見受けします。お子さんが「普通」の枠から明瞭な逸脱を呈していても、その因果へ「疑問を持って 詳しく調べる」工夫を凝らし「特別」な育み方を模索しようとはなさらず、「普通」の枠内へ嵌め込まれた「みんな」と足並みが揃わなければ、ご家庭の庇護へ囲い込んでどうにか始末を付けねばと腐心なさるばかり。

「普通」の枠に嵌め込まれたままの地平をわざわざ離陸せずとも「みんな」へ倣うだけで大過なく平穏に齢を重ね所属を得て来た「良いお母さん」達へ、私は不躾な批判を加えようとしているわけではありません。できる限り効率良く仕事や家事を片付けて確保した時間に、できる限り効果が高そうなノウハウの実行へ尽力するのが「良いお母さん」にとって精一杯の頑張りなのだと平らかに了解した上、お子さんが「特別」であるゆえに直面している難儀を果たしてノウハウで解決できるのかと懸念しているのです。

他所様の親御さんをあげつらうのは、拙ブログの本来の意図ではありませんが……
『母の思い。30年間ひきこもった元東大生』と題し疑義を呈して下さった、サポートセンター名古屋「東大さん」こと大野さんへお応えしようというのが今回の趣旨です。

***

大野さんは、有名中高一貫校から現役で東京大学へ合格。しかし『良い就職』を目的に東大の修士課程へ進んだところで不登校に陥り、どうにか修了へ漕ぎ着けたものの指導教授の推薦は当然戴けず。『気力を振り絞ってなんとか社会復帰したいとアルバイトにも挑戦』なさっても叶わず、2013年の3月に『30年近くぶりで、家族以外の人と会うことに』なるまでひきこもり、今は50代後半……私より数歳、年長でらっしゃいます。

大野さんのひきこもりは、『30年間、母は僕を一度も責めませんでした。』『「諦めない限り、必ず希望はあるんだ。」と励まし』支え続けて下さったお母様にせよ『「最後に親孝行できてよかったね。お母さんの死に顔は微笑んでいたよ。間に合ったんだよ。」と』語りかけて下さったお姉様にせよ、生い育ったご家庭ではむしろ「ひきこもらせない文化」が醸成されていたと拝察される稀なケースです。大野さんご自身さえ、
他人の話を聞きますと、「20年間もよく1人で部屋の中に入られたな。」と思ってしまいます。でも僕は30年間ですからね。最近は、本当に30年間ひきこもっていたのかと自分で疑ってしまうことがあります。
と疑義を呈しておられる。どれほど「得意を伸ばす」ことで知能と知識を先鋭化させても、迂闊に「苦手を避けて」他者と繋がり社会と呼応する知恵の育ちの遅れを放置すると −−− 「普通」の枠へ嵌め込まれた「みんな」からすれば大野さんが辿った進路はエリートコースですが −−− 五感や認知に凸凹を抱えている自閉圏のお子さんにとっては自身の人生を幸せに生きる力が削がれてしまう旨、克明に思い知らされるケースなのです。

***

それでは、ご自分で俯瞰なさっても尚、ご家庭の環境も学校への適応も非の打ち所が無かった大野さんが、なぜ『30年間ひきこもっていたのか』?

解題への手がかりは、かつて大野さんと一緒にサポートを受けていた俊介さんから頂戴した遣り取りの中で、見つけることができました。
そういえば、ヒルマさんという方が僕たちのブログを解説してくださったんですよ。その中で、大野の頭が硬いことを30年近くひきこもったのでこんな風になったのかと僕が思って書いたら、そうじゃなくて、それほどの強い特性ゆえに30年間も引きこもったんだと教えてくれました。 なるほどそうなのかと気付きましたよ。
俊介さんは、非常に穏やかで衒いの無い素直なお人柄。五感の凸凹が激しい特性ゆえ −−− 拙ブログで常用させて戴いている『五感の凸凹』という表現、俊介さんの文章に由来しています −−− 視覚過敏に起因すると考えられる『人の視線が怖い』という感覚のために、大学へ入った直後から10年間ひきこもってしまった御仁です。とにかく『能天気な僕』と自称なさるほど安穏な人格者にも関わらず、俊介さんをして『とても頭が固いというか融通がきかない』と呆れさせるほど、大野さんの認知の凸凹は強烈らしい。

つまり、お母様をはじめとするご家族が「ひきこもらせない文化」を醸成 −−− お子さんの生まれ持った多様性を「個性」として受容し、五感の凸凹へ自ら配慮する生活習慣を稽古付けた上、認知の凸凹で失敗するフリーハンドを許容 −−− して下さったとしても、当事者が『とても頭が固いというか融通がきかない』タイプである場合は独りでに自らの脳内で「ひきこもる文化」を構築する危惧を潜在させている、ということでしょう。

そして一旦、頭の中で当事者独自の「ひきこもる文化」が確立されてしまうと、たとえご家族は失敗するフリーハンドを許容しようという鷹揚なお心構えで『「諦めない限り、必ず希望はあるんだ。」と励まし』続けたとしても、ご本人の頑迷強固な観念を溶かすことは不可能に近い。ネットの渉猟で拝見した範囲ですが、二次障害後の社会適応が叶ったケースは概して、メンターとの出逢いに恵まれた方々に限られているのです。

***

大野さんのような、ご家族の鷹揚さが却って仇を為し30年近くひきこもってしまった例はさすがに稀少ですが、『とても頭が固いというか融通がきかない』タイプの自閉圏当事者さんは一定散見され、以下のプロファイルが共通していると私は拝察しています。

  1. 一人で群れずに熱中できる好きなことは、机上で自学自習する勉強
  2. 感覚過敏は比較的軽微で、中等教育までの適応には概ね支障が無い
  3. その一方で未決問題へフリーハンドが行使できず緘黙してしまう

3番目は、正解が定められていない状況に対してどう応じたら良いのか分からず、フリーズしてしまう状態。たとえば「あなたは、何がしたい?」といった自由度が高い質問だと、専門課程進級時のゼミ/卒業研究のテーマ/就職活動の業種を選択すべき年齢に到って尚、黙り込んでしまう。緘黙は謂わば「脳内ひきこもり」の徴証なのでしょう。

他に感想文や報告書が苦手/口頭発表を要求される行事を避ける/服装の色彩に強いこだわりがある、といった共通項が見受けられるようです。彼/彼女らは「苦手は忌避し続けるしか/得意で矜持を保つしか、術は無い」という諦観と自負に囚われ、医師・弁護士といった国家資格や検定試験 −−− 正解が定義されている勉強 −−− の権威に縋る一方、正解が定まっていない状況への不安ゆえに実体験へ踏み出すことが極めて難しい。

しかし緘黙という「脳内ひきこもり」から脱するために必要なのは机上の勉強ではなく、さらに言えば就労移行支援事業で設定される予定調和な職業体験でもありません。

実生活の中で生ずる様々な場面で「失敗体験」を積み重ねて当事者が自身の不備不足へ向き合いつつ、フリーハンドの行使に必須な大人のリテラシーを伝授して下さるメンターとの関係性を構築するほかに、術は無いのです。上述の「脳内ひきこもり」を呈する当事者さんたちは、親御さんがたいへん寛容でご家庭には「ひきこもらせない文化」が醸成されていた様子も共通項なのですが、過ぎるほどに優しい生育環境が苦手の忌避を助長/障碍の自覚を遅延し、失敗の蓄積と昇華が阻まれたとも拝読されます。

一人で群れずに机上の自学自習に熱中でき、学校生活への適応に一見した限りでは支障が無いとなれば、中高一貫校を目指して小学生から受験勉強へ邁進させるのが「普通」の枠へ嵌め込まれた「みんな」からすれば優等生たる常道。ですが「脳内ひきこもり」の危惧を潜在させている「緘黙する子」にとっては誠に遺憾ながら、十代前半までに多様な実体験で知恵を育む機会を逸して障碍を増悪させたと結論せざるを得ないのです。

***

「優しいお母さん」が「緘黙する子」の不安を思い遣り「かわいそう」と慈愛をお感じになるのは、天然自然の摂理でしょう。されどお子さんが自己へ向き合うべく築こうとしている家族以外の「大人」との関係性を、「かわいそう」と阻む庇護は「脳内ひきこもり」を20年30年へ引き延ばすだけと大野さんは身を以てご教示下さっているのです。

【補記】「お母さん」と「子」連作として不定期連載しております。

>>第1回『「良いお母さん」と「悪い子」』を読む
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2017年9月13日水曜日

メンター(仮) になろう!

当事者が 子どもでも成人でも 個性が 早熟でも晩熟でも
直面する支障が 集団教育への不適応でも ひきこもりでも

発達障碍の二次障害を回避/回復し自立を支える第一歩は、当事者が一人で群れずに熱中できる「好きなこと」 を共に愉しみながら、彼らに潜在している創造力を暗示する藁のように些末な事象を、糾って縄へ拵えるような工夫が叶うメンターをさがすこと

そして、最終学歴が中等教育でも高等教育でも、特性に付与された名が多様性発達でも発達障害でも、当事者の自立を叶えるのはメンターを介して習得する大人のリテラシーだとすれば家庭の埒外にメンターを探し当てるまで暫定的にご家族のどなたかが −−− 多くの場合は親御さんが −−− 「メンター(仮)」を務めるに勝る策は無いでしょう。

要するに、お子さんの育ちを主導なさるご家族兼任の暫定メンターが、生来の五感や認知の凸凹という「苦手を避け」構造的・弁証的に「配慮と我慢」の必要を体験させることで、社会と呼応する知恵 −−− 他者と繋がる知恵=対人性能や他者へ資する知恵=代行性能 −−− の自得を促すことさえできれば移行的措置としては最善の対策なのです。

最終学歴の課程途中で退学したり就職活動が不首尾に終始したり、学校という所属を失った場合は当面の「通うべき場所」として就労移行支援事業へ赴くのが「普通」とされている昨今ですが、学生としてのモラトリアムを経ても一人で群れずに熱中できる「好きなこと」の昇華、すなわち自発的な探求で切磋された「得意」を発現させられなかった「特別」なケースが、相談面接や集団支援が主体の「普通」なサポートだけで個性を開花できると期待なさるのは僭越の弁にて恐縮ながら浅慮としか申し上げられません。

専門家の支援を受けさせてるんだからとか、疾うに成人してるんだからと放任せず、叶う限り親御さんには自ら「メンター(仮)」となる「特別」な策を検討願いたいのです。

***

では、お子さんの「メンター(仮)」って一体どうすればなれるのでしょう?
前回の「Who're their Mentors?(誰が彼らのメンターなのか?)と題した記事では、
メンターは「好きなこと」 の先達として、尊敬できる「大人」なのです。
と結語しました。つまり条件としては、
1. お子さんが「好きなこと」へ導ける
2. 尊敬できる「大人」
という2つを満たせれば良いわけです。

***

まず一点目。再々綴っておりますが、お子さんが「好きなこと」とは一人で群れずに熱中できること・興味関心の趣くまま自発的に探求していることです。仮に学校へ通えている間は暇さえあれば自学自習していたとしても、所属を失った途端にゲームやネットで明け暮れているのだとすれば、残念ながら勉強が「好きなこと」だったのではなく単にお子さんが認知しやすい報酬 −−− 相対的な高得点・好成績は承認欲求を満たすのに恰好の代償です −−− で釣られ、与えられた課題を受動的に消化していたに過ぎません。

最終学歴の課程途中で就学意欲を突如失ったり就活を始めるや自身の志望を俄然言語化できなかったり、自立への方途が阻まれてしまうのは、「普通」の育ちを辿った「みんな」との比較に基づく相対的な学業成績のみだと生来抱える五感や認知の凸凹に支障され、自己承認が安定的に成立し得ないためでしょう。親御さんから御覧になれば、高校や大学へ合格できた/卒業単位を満了できた経緯は立派な「成功体験」とお感じになるでしょうが、当事者さんの自己肯定感を育むには「特別」な「成長体験」こそが必須。

たとえ職業には直結しがたい趣味の範疇に留まる力量だったとしても、お子さんならではの「好きなこと」で同好の仲間に一目置かれる「成長体験」は、他者と繋がる知恵=対人性能や他者へ資する知恵=代行性能を萌芽させる土壌となってくれます。受験勉強で消耗しゲームやネットへ逃避する以前の純粋に自発的な「好きなこと」へ、当事者さんが回帰できる環境を「ひきこもらせない文化」に次ぐ支援としてご高配戴ければ、彼らの「好きなこと」へ共に熱中できずとも「得意を伸ばす」端緒は作り出せるのです。

***

そして二点目の尊敬できる「大人」。すなわち親としてのお立場は一旦離れて、当事者の人格を損なうこと無く尊く在らしめるには、人生の先輩としてなにを・いつ・どう伝授すべきかを細やかにお考え下さる思い遣り深い他人 −−− 難しいとは存じますが、例えばお母様でしたら「賄い付きの下宿の小母ちゃん」的な役回りでしょうか −−− を演じて戴きたい。それが叶えば自然と、お子さんに必要なのは凸凹を「個性」として受容/承認することと自律的な生活習慣を稽古/体得させることだとご納得戴けると思います。

集団教育への不適応でも ひきこもりでも、最終学歴での中退でも 就職活動の不首尾でも、お子さんが二次障害を発してしまったご家庭で「うまくいっちゃう文化」を醸成し直す唯一の方法は、「相手も/自分も責めない」こと。そして、生じた問題を家族全体で支えていくため、「相手も/自分も成長させる」こと。親御さんがたには僭越の弁にて恐縮ながら、親である前に「大人」であって戴ければこの上なしと私は願っております。つまりは『大人が、子どもに尊敬されなくて どうするのかということです。