2017年7月18日火曜日

「藁」を糾えない文化

(わら;稲や麦などの茎を脱穀した後に乾燥させたもの)を撚り合わせ、
縄に拵える動作を表すのが「糾う(あざなう)」という言葉です。

今回は実際に藁から縄を作る話というわけではなく、比喩として「糾えない文化」と表題を付けました。1本では簡単に切れてしまう藁を何本も撚り合わせてもっと丈夫な縄を作るような、工夫ができない文化という意味ですね。

そして「糾」という漢字には、罪や真偽・事実などに対し疑問を持って
詳しく調べる行為を意味する「糾す(ただす)」という訓読みもあります。

藁を撚り合わせて縄を作る動詞には「綯う(なう)」という語句もありますが、「糾う」を選んだのは「疑問を持って 詳しく調べる」という意味合いも込めたかったからです。

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初期癌摘出のため5月に入院する少し前、発達障碍と診断された大学生のお子さんを支えてらっしゃる都内在住のお母様と、遣り取りさせて戴いていました。キッカケは、お子さんが通う私立大学で受けた支援について、お母様がブログに綴っておられた件。

発達障碍学生に対する修学支援は、障害者差別解消法の合理的配慮規定等として昨年4月より法制が施行されましたが、私立の大学等では障害者への差別的取扱いの禁止は法的義務とされた一方、遺憾ながら合理的配慮の不提供の禁止は努力義務となりました。

つまり私立大学で発達障碍学生に提供されるべき合理的配慮が担保されるか否かは、大学当局の任意の協力にのみ左右され、その達成度も大学当局の判断に委ねられるため、具体的な内容は申請手続から完了判断まで各大学の担当部署次第となっているのです。

そのお子さんのケースを拡散するのは本意でないため、どの私学か判らないよう問題点のみ記しておきますが、伝統ある名門校 −−− 国の中枢を動かす人材を何人も輩出してきたような −−− でさえ旧来対応していた身体障碍学生への修学支援を適応拡大するだけで、発達障碍に特化した支援を提供できていない現状は大いに憂慮すべきでしょう。

もう少し具体的に、そのお子さんへの支援が発達障碍に特化していなかった証左を挙げれば、サポートされていると意識させぬよう当事者の疎外感に対して極めて慎重だった反面、自我他我の認知に凸凹がある障害だからこそ必須な自己理解への支援が完全に欠落していた件です。 身体障碍支援では当事者にも明確に障害が「見えている」ので、学生本人が自身の特性を理解するサポートの重要性に考慮が及ばなかったのでしょう。

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「普通」の「みんな」より年数を要したものの、当事者の疎外感を刺激して不登校へ陥らせぬよう慎重に配慮した手厚い支援で、卒業単位を満了できた安堵も束の間。大学のキャリアセンターで教示された卒業延期措置の合理的配慮を適用しつつ始まった就職活動は、お子さんが『何をしたいのか わからない』という認知の凸凹で阻まれました。

「『藁にも縋る』の藁だったんです。」

就活がうまく進まないのはお子さんが自分の志望を把握できていない所為であり、キャリアセンターの就職支援に不備不足があるのではなく、学生相談室が施した修学支援に発達障碍で必須な自己理解へのサポートが欠落していた結果……そう解題を試みた拙コメントへ応じて下さるお母様のお返事には、深い悔悟と無力感が滲み出ていました。

「普通」の「良いお母さん」から御覧になれば、大学当局が修学を支援して下さるなら当然、簡単に切れてしまう藁ではなく丈夫な縄のように確実なサポートで就職へ結びつけて戴けると頼みにし、中学高校までと同様に「先生」が仰る旨を諾々と傾聴して励行さえすればお子さんを成功へ導けるはずと期待なさるのも、無理はないのでしょう。

ところが実際は、私立大学で発達障碍学生に提供されるべき合理的配慮が担保されるか否かは大学当局次第であり、現に信頼なさってきた相談室の「先生」は、お子さんの卒業単位は揃えさせてあげたのだから後は学外の就労移行支援事業所へどうぞ、と言わんばかりなのですから、手厚い修学支援を思わず「藁」と蔑称した本音も止む無しです。

このご家庭のケースで殊にお気の毒だったのは、親御さん側にも「藁」を糾って丈夫な縄へ拵える工夫を凝らせない、ご事情があったこと……「糾えない文化」が醸成されてしまったご家庭で育てられた当事者さんが、同じく「糾えない文化」が醸成されていた大学に入って深刻な不適応を発現し支援を要する状況へ到った次第です。

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昨年9月に『うまくいかない文化』で記述した解題の繰り返しになってしまいますが、「普通」の「良いお母さん」が「普通」の枠から大きく外れた五感や認知を抱えるお子さんへ、懸命に寄り添ってらっしゃるおつもりでいながら「うまくいかない」要因には大きく二つある、と私は考えています。

第一の陥穽は、「普通」の枠から大きく外れたお子さんの危うさを直感した際、我が子を成功へ導けるよう親御さんが先回りして失敗を避ける(失敗しても見て見ぬふりが出来る)段取りを整えておく策こそ「最善」とお考えになってしまう件でしょう。

と申しますのも、どんな失敗を/どんな原因でしてしまったか?/どんな対策で防げるか?という「疑問を持って 詳しく調べる」段取りを当事者自身と共に整えていく「失敗体験」こそ、最も重要かつ効果的な自己理解への支援になるからです。

しかし例えば理系科目で好成績が取れる旨を理由に専らその方面へ注力させ、感じたことや思ったことを言葉や文章に表すのが苦手で失敗した経験には理系だからと見て見ぬふりを続ければ、大学卒業まで歳を重ねても自我他我に対する認知の凸凹は未修整で放置され、いざ就活という時に自分の志望さえ言語化できない障害へ陥ってしまいます。

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そして第二の支障は、「良いお母さん」が「普通」以上に優れた段取り力をお持ちであるがゆえ、お子さんへの支援の助力を仰ぐべき大学の担当部署へも、常にお母様ご自身が思い描く「最善」を希求しがちになってしまう件だと私は思います。

と申しますのも、大学という場は学ぶ当事者である学生自身が「疑問を持って 詳しく調べる段取りを一定程度は習得している前提で運営されてきたため、中学高校までとは異なり大学当局からの自発性の誘導や自己理解を支援するアクションは無くて当然だったから……それでは認知に凸凹を抱えている発達障碍学生に提供されるべき合理的配慮が充分には担保されないだろう、とトップダウンの法制化へ到った経緯でもあります。

ゆえに「普通」の「良いお母さん」が「普通」の枠から大きく外れた五感や認知を抱える大学生のお子さんへ寄り添う必要が生じた場合は、「普通」の価値基準で「最善」を判断してお子さんが失敗する前に先回りし段取りを取捨選択してしまう「糾えない文化」からは一旦離れて、「藁」のように頼りなく見える伝手であっても丹念に撚り集め「糾う」努力でお子さんにピッタリの「縄」に拵えていく工夫が必要になるのです。

過去の次第を深く悔悟すればこそ、お子さんの未来を深く憂慮すればこそ、工夫が叶う現在は「良いお母さん」からすれば一見無価値な脆弱な藁でも何本も撚り合わせ丈夫な縄に「糾える文化」を、まずはご家庭内に醸成して戴きたいと願って止みません。

2017年5月14日日曜日

ママは いつでも 元気だよ

昨年10月下旬以来、またまた更新が滞っておりました間にも、
過去記事のご閲覧、誠にありがとうございました。

この度の休止中は、娘の就労支援を見据えた「予習」−−− サポート業界では「就労移行支援」という事業もあるそうですが −−− すなわち『問題解決のための情報収集力・対人コミュニケーション力・組織対応力』といったTransferable Skill=様々な業界や職種に転用可能なスキルを自得させるべく、所属学部やサークルなどの人脈を伝手に「苦手を避け社会と呼応する知恵の発露を促しておりました。

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と言っても娘から「ママは『お母さん』ジャナクテ『将軍』」と評された「変なお母さん」ですので、戦略戦術を策定する専門性能と前線兵站を統帥する対人性能を発揮したがるのみ。実務に充てるべき代行性能は、滅多に発揮しませんw つまり具体的にしていた「予習」とは、専らに娘が経験した「毎日」を傾聴しつつ、不備不足が散見される彼女のメタ認知を補完し、対人関係の機微を解題・蓄積すること。

サポート業界で言えば、カウンセリングが近いのかも知れませんが −−− 理学部出身で、大学・大学院・創薬ベンチャーという職歴のオカンは『問題解決のための情報収集力・対人コミュニケーション力・組織対応力』ならバッチ来〜い!な一方、大学の専門科目として臨床心理学や社会心理学を学んでいるのは、娘の方ですので −−− 双方の関係性カウンセラー/クライエントのそれとは全く異なっています。

コーチングメンタリングの方が、より近いかも?ですが、技術をきちんと学んだわけでもなく。理系女子の試行錯誤で叶えてきた「自家製療育」が期せずして、信州大学医学部附属病院・子どものこころ診療部の本田 秀夫 先生が提唱なさっている『新キャリア教育』 −−− あるいは単純に社会と呼応する知恵の一つである「報告・連絡・相談(ホウレンソウ)」の習慣 −−− へ結着できたのだと考えています。

そんなこんなで娘の懸案事項は、まず2回生の前半で一般教養の必修科目と国家資格取得の夏季集中講座を、まずまずの好成績で履修完了。かつ秋学期は順調にゼミ配属の段取りを消化し、第一志望の教授から次年度以降のご指導を戴ける運びとなりました。

ついでに選択科目2コマで、初めて単位を落とす「失敗体験」もやらかしましたが。在学中いつでも再履修で成績を上書きできるという、国立大学では考えも及ばなかった鷹揚な学風のおかげ様で、疎外感の生ずる隙も無く「成長体験」へ昇華叶いそうです。

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前置きが長くなってしまいました。つまり先日、娘へ家事の稽古を付けるため『起爆剤となる変事も勃発』と書いた件は、彼女の身に生じた懸案ではなく……

就労支援の「予習」が整ったところで、ようやく安堵の息をつき、5年前の高校受験を機に早期退職して以来ご無沙汰していた人間ドック健診を、3月初めに最寄りの病院で受けた際に、私が悪性腫瘍に罹患している旨が判明したのです。

健診で行われたスクリーニングの結果から精密検査のお勧めを郵送でお知らせ戴き、受けた初診の1週間後に癌診断のインフォームド・コンセント。

精査のデータを迅速に揃えて下さったタイミングで、その2週間後には、かつて勤務していた大学医学部の附属病院でセカンド・オピニオンを拝聴。

最初に受診した病院で提案された治療方針に従い施術して戴く旨を確定し、初診して下さった外来の医師から外科へ手術予約を申し送り願った上、更に2週間後は執刀主治医から改めて、より詳細な診断と治療方針のインフォームド・コンセント。

人間ドック健診から数えて2カ月と1週間目のゴールデンウィーク明けには、入院日程を見据えた周術期口腔機能管理のため歯科を受診できましたから、たいへん有り難いことに日本屈指と申し上げて良いほど最速かつ最善の医療を受けています。

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「健診で引っ掛かっちゃいましたけど、癌じゃなくてホッとしました〜」ではなく、紛うこと無き悪性腫瘍の診断。しかも今月下旬に手術を受け、その後は放射線治療へ移行する方針ですから、「普通」のお母様がたなら「気を揉む→心配が嵩じる→不安が募る→元気が無くなる」状況なのに、やっぱり私はいつもどおり元気

「こういうことになりましたので…」と心理カウンセリングをお奨め下さった外来の看護師長さんにも、がん医療連携手帳についてご説明下さった地域連携担当の看護師さんにも、せっかくいたわって戴いたのにアッサリお断りしちゃう「変な患者」で恐縮の極みですが。虚勢を張っているのではなく、ホントに元気なんです。

悪性腫瘍に罹患しながら元気でいられる理由は、自覚症状が全く無く適切な治療を施せば予後は良いと臨床研究で実証されている、初期段階で診断を受けられたことが第一。

そしてこれまでの履歴で積んできた知識と磨いてきた知能を以て、腫瘍が生じた理(ことわり)も治療方針の理も、心配や不安の生ずる隙無く解題・納得できていることが第二。

更に、自分自身と娘の「育ち」を通じて学ばせて戴いた、他者と関わり社会と呼応する知恵の一つとして、「報告・連絡・相談(ホウレンソウ)」の習慣が我が家の「文化」に根付いたことを第三に挙げるべきでしょう。

「保育園で指摘されちゃいましたけど、発達障碍じゃなくてホッとしました〜」ではなく、紛うこと無き自閉圏の特性を生来持ち合わせた娘が、人間ドックを受診した時から都度説明してきた精査の経過を傾聴しつつ、動揺せず平らかに、しかし臨場感を持って母が癌に罹った変事を受け容れている旨こそ、なにより尊い『励ます力』です。

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他者と関わり社会と呼応する知恵を終生自得できなかった義父と、親から顧みられなかった「平凡」を嫌厭する義姉の、隔絶の狭間で家族の「毎日」を支えるため神経を磨り減らしてきた義母は、折々の挨拶を寄越す唯一の孫娘へ宛て、彼女の母であり不肖の嫁である私の健康を、いつも過分なほど丁重に気遣ってくれます。

そんな祖母の問いへ『ママは いつでも 元気だよ』と応じるのが、娘の決まり文句。
この答えを彼女がこれからも返せるよう、「母の日」に快癒を誓いたいと思います。

2017年5月9日火曜日

An Easy Lonely Mathematician

保育園で『危うさ』を指摘された際に専門医の診察を受けていれば、高機能自閉症という診断が銘記されたであろう、拙宅の娘。彼女が抱える「多様性」は、3年前の初冬に亡くなった父方の祖父から受け継いだ可能性が、最も高いだろうと私は考えています。

私からすれば義理の父に当たるご老体は、本稿に題したとおり数学者として至って気楽な、しかし元来希薄だった他者への関わりを遂に一切喪失し、旧知とは全く疎遠な最期を迎えました。死因は肺炎でしたが、認知症の診断で随分と長く入院していたのです。

退官時に名誉教授職を拝命するまで大学での任を果たした義父でしたから、弟子に当たる方々も幾人かおられたようです。けれど義母は、認知症という病状を報知する件に越えがたい逡巡を感じたらしく、近親のみが集い密葬を執り行った後、不肖の嫁が急ぎ用意した喪中ハガキの文面で公の関係への御挨拶に代えさせて戴く仕儀に至りました。

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診断は義父の年齢から認知症ということになったものの、運動機能の急激な低下で始まった病状は、娘の「多様性」へ緊密に接していた私から見ると自閉圏当事者の主訴とも感じられました。つまり義父の経過は、娘の育ちを逆行しているように思えたのです。

大学を退き故郷へ移転した後も、非常勤講師や翻訳(数学者の習いで、英語と露語が使えました)のお声掛けを頂戴している間は、悠々自適の隠居生活を愉しんでおりました。しかし体調を崩し仕事を一旦お断りした途端、あっと言う間に知識・知能が衰退していきました。

ただ、他者と関わり社会と呼応する知恵については、終生自得に至れなかった模様。専業主婦の義母が「毎日」を仔細綿密に支え続けたからこそ、実の娘(私にとっては義理の姉)と隔絶しながら、当人的には安閑のうちに孤高の人生を全うし得たのだと思います。

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義理の姉が何を厭うたゆえに、孫に当たる長女長男を実父の告別にさえ参列させぬほど疎遠になってしまったのか? 理系な弟嫁には2年半経っても依然、不詳なままです。

元より「変なお母さん」を自称し不調法を憚らぬ私ですから、子を二人ともに小学生から受験勉強へ邁進させた義姉とは、お世辞にも相性が宜しかったワケがなく。実弟に当たる夫の方も長年の無沙汰を解消する機微は無いため、以下は推察に過ぎませんが……

義姉が嫌厭し続けているものの正体は、父や弟とは違って「普通」の枠から外れることが出来なかった彼女自身の「平凡」かも知れない、と私には感じられてしまうのです。

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義姉の長女(拙宅の娘にとっては、2歳年長の従姉妹)は中学生の時分からいわゆる美術予備校へも通った後、念願叶って私立美大の双璧へ現役合格しました。とは言え、それ以降の様子は義母から伝え聞く限り、八王子と小平のどちらを選んで学んだのかも、順当に進級していれば卒業した筈の今年度はどんな進路を選んだのかも、残念ながら分かりません。

また昨年2月に拙ブログで言及した長男A君の件は、義姉の夫君(拙宅の娘にとっては伯父)から義母へ、一周忌に次いで三回忌へも不義理を重ねる陳謝と併せ1年遅れながら二度目の挑戦で志望校へ入学叶った知らせが、予備校の合格体験記公開と同じ頃に届いた由。

努力の義務履行に見合った「肩書き」を名乗る権利行使、例えば「△△大学の★★学部生」といった所属意識は、人格を構築していく基盤として確かに大切ですけれど……

生まれ持った多様性を保護者が疎外/当事者が卑下していることで「育ち」の大局を歪めてしまう第一の分岐こそ、最優先で手厚く顧慮すべきでしょう。「普通」の枠から外れていない兄弟姉妹へも人格を尊ぶ敬意と個性を言祝ぐ仁愛を向けることは、お子さん達の「毎日」を支えるご家族にとって等しく重視されるべき要諦と私は考えています。

>>後篇『A Hasty Lonely Cassandra』へ続く

2017年5月4日木曜日

ひきこもらせない文化

この2年半あまり、発達障碍の二次障害で通うべき所へ通えなくなってしまった当事者・ご家族・支援者の日常を、拝読拝聴する機会に様々な奇遇で恵まれて参りました。

その『励ます力』を繋ぐ御縁に接しつつ、私自身がずっと抱き続けていた疑問は、お子さんが不登校からのひきこもりに陥ってしまう家庭と、すったもんだがありながらも通うべき所へ通い続けられる家庭を、分かつ「決め手」は一体なんなのか?ということ。

無論、不登校・ひきこもりのハイリスクを抱える我が娘の就学就労支援に備えるべく…との必用もありますが、そもそも私自身の好奇心が提起して止まない疑義でした。

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この疑問へ「不登校・ひきこもりになるか、そうならずに済むかを分けるのは、障害特性の程度に決まってるでしょ」と即答なさるのは、僭越ながら机上の学問へ没頭するのみで当事者さんを支えるご家庭それぞれの「毎日」に接しておられない専門家の方々。

されど暇に飽かせてネットの渉猟を広げてみれば、生来のいわゆる特性が「個性」の範囲で社会適応へ向かうか/「二次障害」へと増悪してしまうか、当事者さんを取り巻く育ちの環境=家庭の文化で大きく左右される「毎日」がリアルに綴られているのです。

「障害」を生じさせているのは当事者の特性ではなく調整不全の不合理へ陥った育ちの環境の方…という仮説は、金沢大学子どものこころの発達研究センターが監修した『自閉症という謎に迫る 研究最前線報告』の第4章で三浦 優生 先生が展開なさった自閉的な行動パターンの表出には文化的影響が関連する』という考察にも合致します。

さらに実際の類例からは、他者と繋がる知恵を育めなかったゆえに社会へ背を向けがちになる彼らの「障害」が適応へ向かうか・増悪するかの岐路が、生まれ持った多様性を「個性」として保護者が受容/当事者が承認しているか・「障害」として保護者が疎外/当事者が卑下しているかで、まず大局を定められていく次第が垣間見えて来ます。

注視すべきは、この第一の分岐に於いて
専門家から下される診断が必ずしも善処へ向かう要諦にはならない

すったもんだがあっても「通い続けられる」ケースでは、特性が「個性」と「障害」の狭間にあり幼少時の見立て(保健師・保育士や幼稚園教諭などの指摘)をスルーしてしまった経緯に親御さんが綴っておられる後悔を多々拝読しましたが。診断で「障害」と銘記されなかったからこそ、お子さんの不備不足を平易に受容・承認できたとも解釈できるのです。

むしろ、それまでは「個性」と捉えていた「普通」の枠に当て嵌まらないお子さんの発達の凸凹へ、部分的な不適応(限定的な逃避や状況的な緘黙、特定課題の不消化など)を契機に「障害」という認識が賦与されてしまったことで、疎外感を喚起された親御さんの動揺からせっかく醸成されていた「うまくいっちゃう文化」が損なわれる危惧さえ生じ得ます。

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加えて拙宅の発達障碍当事者「自家製療育」を振り返って試みた解題に拠れば、彼らの「ひきこもらない力」すなわち社会の中で自己実現の主体となるべき人格の獲得には、「自分にピッタリの、でも息苦しくないペルソナ=自己の外的側面」が必須。

つまり、努力の義務履行に見合った成果としての「肩書き」を名乗る権利行使、例えば「〇〇高校の☆☆クラス生」とか「△△大学の★★学部生」といった所属意識が、発達の凸凹を補填しつつ人格を構築していく基盤として、思いのほか大切らしいのです。

確かに不登校やひきこもりへ陥ってしまう経緯は対人的な不適応の発生とは限らず、学級や学校に対する帰属感が順当に得られなかった、あるいは少しずつ希薄になってしまったため「ひとりでに」自信を失い通えなくなったケースも相当数を占めている模様。

殊に大学以降の不適応では、他者から与えられた課題であれば知識(=既得の事実情報)と知能(=鍛錬した思考過程)を駆使できる学力を備えていながら、自身の未決問題(例えば、今学期はどの講義を受けるか? 卒業研究はどんなテーマに取り組むか? 大学卒業後はどんな仕事をするか?)には回答する術を俄然見失ってしまうタイプのお子さんが「ひとりでに」自信を喪失→休学で再起を待機しても実効策を打てぬまま中退→ひきこもりへ至る事例が散見されるようです。

これら「大人のひきこもり」で予後の良し悪しを分かつ「決め手」は、自律的な生活習慣を支援者が稽古/当事者が体得できたか? 失敗するフリーハンドを支援者が許容/当事者が行使できたか? の二点であると複数の典型例から拝察させて戴きました。

支えるご家族からすれば、意外に感じられるかも知れませんが、
この第二の分岐で要諦となるのは学力でも職能でもありません

なぜなら通うべき所へ通えなくなった当事者の不備不足は、「普通」なら「ひとりでに」獲得できる筈の自己を掌握する能力=人格が、生来抱える五感や認知の凸凹ゆえ十全に発達し得なかった旨こそ主因。五感の凸凹へ自ら配慮できる生活習慣と、認知の凸凹が招いた失敗から我慢を自得する経験が、彼らにとって一番必要な支援だからです。

そして二次障害を防ぐため/二次障害からの再起を促すため、当事者の「毎日」を支えておられるご家族に最も必要とされるのは、特性を理解する好奇心と 人格を尊ぶ敬意と 個性を言祝ぐ仁愛だと私は確信します。お子さんの特性を疎外する劣等感でも 人格を軽んずる庇護でも 個性を圧殺する共依存でもないのは、言うまでもないことでしょう。

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さてさて斯く申す拙宅も、認知の凸凹を自己修整できる我慢と所属意識の育成を優先し、ずっと棚上げしてきた自活に必用な家事を、ようやく娘へ稽古付け始めました。

3年生への進級と共に、卒業研究はどんなテーマに取り組むか? 修学後はどんな仕事に就くか?という未決問題へ彼女なりの回答を創造できつつあるためですが、実は起爆剤となる変事も勃発した所為だったり……その話は後日、追々綴らせて戴きましょう。

2016年10月20日木曜日

「変な子」と「変なお母さん」

大学の長い夏休みが終わり、秋学期初日を迎えた先月下旬。

起床した娘が、洗面所へ移動した気配を壁越しに感じつつ
おもむろに台所へ向かえば、身支度を終えた所で鉢合わせ。

「トイレの水、流せなかった。起こそうかなと思ったけど」

口火の切り方が主観的すぎて、唐突なのは否めないものの
外れていたフロートゴム玉の接続を、自力で直せたらしい。

「まずネットで調べてみたら、修理法、出てたから流せた」

その瞬間、十数年に及んだ「自家製療育」を遂に満了したのだと確信する。「みんな」に倣うだけの子育てでは、決して味わえない歓びが胸の裡で静かに沸騰しはじめた。

お子さんが「普通」の枠を外れること無く成長なさったご家庭では、この会話のどこが嬉しいのか皆目お判りにならないだろう。「卒業」の実感も、主観的で唐突だった。

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保育園で自閉症の指摘を受け、小学校から高校まで不登校のリスクを抱えていたにもかかわらず。勝率5割の大学受験を経てようやく補欠で合格を頂戴叶った最高学府へ、疎外感に苛まれることも無く娘が愉しく通い続けていられるのは、如何なる因果なのか?

まず挙げるべきは、不登校・ひきこもりに悩む当事者さんやご家族・支援者の皆様へ、お節介にも寄せさせて戴いた傍目八目なコメントで『励ます力』を繋ぐ御縁に恵まれつつ、「うまくいっちゃう」というか「ひきこもらせない文化」を模索叶ったおかげ様。

なにせ娘の『危うさ』は、『具体例や試行錯誤から習得するのが苦手』な性向。つまり「良いこと=成功」も「悪いこと=失敗」も繰り返し体験させて戴ける場へ通えなければ、「得意を伸ばす」ことで知識・知能を切磋すると同時に、社会と呼応する知恵の習得という「苦手を避け多様性発達者として社会へ適応することも叶わないワケで。

ゆえに社会人デビュウを控えて成功・失敗双方の体験を頂戴できる最後の場、すなわち大学へ通い続ける「配慮と我慢」の自発的な行動化の瞬発力=「ひきこもらない力」を娘自身から引き出さねばならず。

所属学部やサークルの人脈を介した、他者と関わる知恵の構造的・弁証的な理解・体得こそ、「自家製療育」の最終課程と位置づけた顛末で、とうとう冒頭で綴った「卒業」の瞬間を実感するに至れた次第。

……なんてことを、たかがトイレの不具合を直せた件にも逐一考え、我が子の「毎日・毎年」を支えているのは、『すごい』と唸って戴くには及ばない「変なお母さん」で。

娘が「みんな」と違った「変な子」でありながら、「ひきこもらない力」を体得出来た因果として次に挙げるべきは、「普通」じゃない事象にこそキラ〜ン!と目が輝いちゃう、理系家族ならではの好奇心主導・屁理屈上等「文化」を醸成叶ったからなのだろう。

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兎にも角にも十数年に及んだ試行錯誤だったから、あれやこれやと「自家製療育」を施した側、すなわち「変なお母さん」にとっては具体的に一体何が「ひきこもらない力」を引き出したのか、今ひとつ判然としていない。で、「変な子」本人にも訊いてみた。

まず娘が挙げたのは「自分にピッタリの仮面、でも息苦しくないのが手に入ったから」
例のごとく主観的すぎて判りにくいが、つまりは心理学で謂うところのペルソナ=自己の外的側面が適切に確立できたゆえ。要するに、大学の学部とかサークルとか、自分にとってしっくり来る所属意識・居場所が確保叶ったおかげ様、ってことですかな……

でも、それって「ひきこもらない力」を、別の表現に言い換えてるだけじゃね? 
「自家製療育」の何が、あなた自身の「五感の凸凹には配慮・認知の凸凹には我慢」する行動化の瞬発力を引き出せたのか、って訊いてるんだけど。

……と重ねて問うたところで、娘が挙げたのは以下の三点。

【その1 興味関心に合わせた経験】
→オトンは日本全国の乗り鉄へ、オカンは図書館・美術館・博物館へ……確かに徹底的な「モノより思い出」だった。元ネタのクルマには、全く縁が無かったけどw

【その2 行動の根拠を明確に解題】
→理系な家族だから、好奇心主導で直感を得たにしてもメタな屁理屈上等で補填するのがクセになってる。発語発話が不充分だった頃から、informed consentしてたしw

【その3 義務の履行は権利の行使と表裏一体であることを徹底】
→「苦手を避け」に「得意を伸ばす」ため、最も苦慮した点。半端にメタ認知が発現して疎外感に苛まれ始めた10代前半、「ひきこもる権利」っていう認知の凸凹がバッチリ表出しましたから。「権利の行使には義務の履行が付帯する」との原理原則をガッツリ体得させた件こそ、なるほど多様性発達者としての社会適応には最も重要だったのかも。

三つをまとめれば、興味関心に合わせた経験が知識を・行動の根拠の明確な解題が知能を・社会と呼応するための義務と権利が知恵を育んだ、という結論になるんでしょう。

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てな具合の、拙宅にとってお馴染みな「自家製療育」談義に娘と興じつつ。ふと気づいちゃったのは、「良いお母さん」と「悪い子」では「うまくいかない文化」の必然。

共依存の陥穽に嵌まることの無い「うまくいっちゃってる文化」には、「変な子」と「変なお母さん」の平らかで「ずれ」が無い関係性こそ最も重い要なのだと私は思う。

【補記】「お母さん」と「子」連作として不定期連載しております。お時間許す範囲で併せてご笑覧賜れますと幸甚。
>>前篇『「良いお母さん」と「悪い子」』を読む
>>続篇『暴れる子と『頑張るお母さん』』を読む
>>続篇『緘黙する子と優しいお母さん』を読む