2019年2月12日火曜日

責めなくても、精算できました

精神医療や心理の臨床におられる専門職が陥りやすい『勘違い。すれ違い。』は、日頃接しておられる患者さんがたを、当事者の全体像と思い込んでしまうことでしょう。

つまり「通うべき所へ通えない」すなわち臨床や支援へ赴くことさえ出来なくなった、ホンモノの社会的ひきこもりの当事者像を、彼らは殆ど経験できていない。にも関わらず、診察や面談には通い続けられる軽度な不登校やひきこもりを以て、全て「わかったつもり」になっている所こそ、サポートセンターのブログを綴っておられる当事者の皆さんが、口を揃えてカウンセリングは役立たずだと証言する所以と私は考えています。

精神医療や心理の専門職でさえその調子なのですから、「みんなと同じ」枠から外れぬ旨こそ正しいと信じて大人になった「良いお母さん」にとっては、障害と名指しされるほど大きな凸凹を我が子が生まれながらに抱えている事実が、『わかるからよくて、わからないからダメ』という自己否定に囚われ、不信感・被害感を我慢できず怒りでしか反応できない「カサンドラ」状態へ陥っても致し方ないくらい、過大な難儀なのです。

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2019-02-11
父と母に。ドラゴンズ。

日本からフィリピンに戻るときに、母親が父親に「ドラゴンズがフィリピンに帰るから、挨拶だけでも しときなさい。」と言いました。   
父は、心臓の病気をわずらってから、なんども生死の境をさまよっています。    
「戻るか。フィリピンは暑いか? 日本の夏みたいか?」「頑張っとるんやな。一生懸命 頑張った人を神様は見捨てたりしないから。ほな、健康に気をつけてな。お前を見るのが今日が最後かもしれんから、近くで お前の顔を見させてもらうわ。」   
背中が丸くなった父。小さな父が、下から私を見上げます。糖尿病が悪化して、視力は ほとんど なくなっています。   
わたしは、父の顔を見ると泣いてしまいました。恥ずかしいので、玄関を出ると一直線で駅に向かいました。本当は「ありがとう。」と言いたかった。   
でも、30年間ひきこもった私は両親に「ありがとう。」とは言えないのです。 
だからこそ私は父親と母親に頑張った姿を見せたいのです。

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青木先生やスタッフと話し合いながら『過去の嫌なことを清算』する作業を進めるうち、30年前のお母様が陥っていた『勘違い。すれ違い。』へ「ダメな母親だ、あいつは。」と、自分でもびっくりするくらい大きな声で怒鳴ってしまったドラゴンズさん。

ヒルマ小母ちゃんからは「どんなに『辛くて悲しい』『過去の嫌なこと』でも自分も他人も責めることなく、しかし忘れずにキッチリ精算できます」「ドラゴンズさんは比類無き心の優しさをお持ちなのですから断然、大丈夫」と数日前コメント寄せさせて戴きましたが、やっぱり信頼申し上げていたとおり「断然、大丈夫」だったようですね。

ドラゴンズさんの『本当は「ありがとう。」と言いたかった。でも、30年間ひきこもった私は両親に「ありがとう。」とは言えない』『だからこそ私は頑張った姿を見せたい』という神妙な感謝の気持ちが、30年前に訪ねた相談先で『カウンセラーの先生』へお母様が申し上げた挨拶と、そっくり同じであることをお気づきになれたでしょうか?

他人様の優しい心にこそ「神様」を見出せる感謝の気持ちを、ドラゴンズさんに育んで下さったのは紛れもなく、ドラゴンズさんのお父様とお母様。だからこそあなたは、ご両親に『頑張った姿を見せたい』と行動化する「勇気」を振り絞れたのでしょう。

今月はじめ「東大さん」こと大野さんがご返信下さった言葉をそのまま拝借すれば、たとえ親御さんたちが『わからなくたって いいんです。子どもが 親を責めていないんですから、それで いいじゃないですか。』 きっと『それで いいんです。

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