2019年2月4日月曜日

リスクと戦う「報連相」

通うべき所へ通い続けられる「配慮と我慢」の自発を最優先に据え、娘が大学生活に馴れてきた頃合いを見計らい2回生で早々に始動した就労支援の「予習」は、3回生の春学期を終えた時点で『何をしたいのか そのために何をすべきか』という認知を彼女自身が把握できる俯瞰へ達しました。その後ようやく修学支援へシフトし、すったもんだがありつつも4回目の春学期を終えたところで、卒業研究を除く所定単位を無事満了。

昨年夏には「みんなと同じ」ペースで大学から卒業見込のお墨付きを頂戴できましたが、ニッチな専門職に一旦就いたあと学資を貯めて留学するという自己投資の覚悟へ娘が到れた旨を幸い、夏休みから年末まで研究調査と論文執筆にガッツリ注力していました。

えぇっ?! さすがに4回生の夏には就活を始めさせなきゃマズいんじゃ?と思った親御さんがたには、僭越な物言い不躾ながらその附和雷同こそ「就活がうまく進まない」原因。「みんなと同じ」教育課程で積める「普通」の経験を通過させただけでは、いかに優秀な学業成績を修めていようと人間としての不備不足を抱えたまま長じてしまうのが、定型の枠を大きく外れたPolymorphous Developments=多様性発達者なのです。

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わかる人も いれば、わからない人も います。中には「わかりたくもない。」という人も いるかもしれない。   
わかるから よくて、わからないから ダメ ではない。   
僕の母は わからなかった。青木の母は 心の病気。大統領のお母さんも 心の病気。ヒロさんのお母さんも わかってくれなかった。   
でも、僕らは回復した。そして、お母さんが大好き。たとえ、お母さんが わからなくても。   
お母さんに殴られても。お母さんが どこかへいってしまっても。僕たちは お母さんが大好きです。   
わからなくたって いいんです。子どもが親を責めていないんですから、それで いいじゃないですか。 
それで いいんです。

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ご不調を押してのブログ更新、誠に畏れ入ります。引用させて戴いた一節は、先月下旬に寄せさせて戴いた拙文へのご返信と解釈しつつ、有り難く拝読いたしました。

ひきこもっていた当時の「東大さん」こと大野さんの感性を、優しいお母様さえ『よくわかっていない人』だった過去は実に無念な齟齬ではありますけれど、仰るとおり『わかるから よくて、わからないから ダメ ではない』ですね。なぜなら大野さんのお母様も青木先生のお母様も大統領さんのお母様もヒロさんのお母様も、懸命に我が子を「わかりたい」と切望しながらどうしても果たせないご事情をお持ちだったからです。

そして親御さんが我が子を「わかりたい」と願いながらも遂に果たせなかった切望を、「わかる人」たちへの報告・連絡・相談に振り向けて下さった結果、皆さんの回復は実現したからです。どんなに無念な過去であっても、大野さんや青木先生や大統領さんやヒロさんは、依然『お母さんが大好き』で『親を責めていない』旨が証左でしょう。

青木先生から勿体なくも『すごいな、この人。わかっていらっしゃる!!』と過分なお褒めの言葉を頂戴した拙宅ですが、娘の未熟な感情は今でも『わるいのはママです!』と訴えていた園児の頃と大差ない模様。つい先日も卒論提出と就職面接が重なったストレスゆえか「奇行」と称すべき失敗を行動化させてしまったのですが、事前に親へ「報連相」出来なかった所以は「よくわかりすぎてるママが、うるさい」所為らしいのです。

この「よくわかりすぎてる親」を鬱陶しいと思ってしまう娘の感性が、ヒルマ小母ちゃんには、これまたすごく「わかって」しまう。さりながら、テンプル・グランディン博士が端を開いて下さった当事者研究で学んだ処に拠れば、娘がこのあたりの感情の機微を獲得するまでには、順当に経験を重ねて行けたとしてもあと30年ほど必要でしょう。たぶん50代になれば、「みんなと同じ」人情が徐々に「わかって」くるかも知れない。

とは言え、得意の社会学で磨きを掛けた彼女の人格は、私が試みるサポートに対して「報連相のタイミングが、すごい!」と一目置いてくれています。たとえ我が子が『お母さんが大好き』『産んでくれて ありがとう』という母親にとって最高の「勲章」を言葉にしてくれなくとも、相手の人格と対等な関係性を築けているなら自己理解自己承認自己投資という成長の源・礎・標見失ったりはしないのが、理系女子なのです。

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大野さんは、私が娘への『もっとも良い関わり方』を学べた次第の筆頭に『良い先生に出会ったこと』を挙げて下さいましたが、これもまた仰るとおり。生来抱える凸凹ゆえ全く意想外な失敗をやらかす我が子へ、絶好のタイミングを図って対処叶っている一番の理由は、まさに「良い先生」がたへ都度の報連相をさせて戴いているお蔭様です。

教育の現場には「わかる人」すなわち『良い先生』が、大勢おいでだと私は拝見しているのですけれど、遺憾ながら端から『「わかりたくもない。」という』親御さんも多数いらっしゃいます。戦うべきは我が子が抱える五感や認知の凸凹というリスクであるはずなのに、不信感・被害感を我慢できず先生がたへも報連相どころか攻撃的にしか反応できない「親の障害」が、ネットの渉猟に限っても彼方此方で散見されるのが実情。

ひきこもりを解決へ転向させる要衝として、避けては通れない課題と愚考するに到り、昨今は親御さんに報連相の有効性へ気づいて戴く旨、非力ながらも顧慮しております。

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