2019年2月7日木曜日

わかったつもりの「お気の毒」

通うべき所へ通い続けられる「配慮と我慢」の自発を最優先に据え、娘が大学生活に馴れてきた頃合いを見計らい2回生で早々に始動した就労支援の「予習」は、3回生の春学期を終えた時点で『何をしたいのか そのために何をすべきか』という認知を彼女自身が把握できる俯瞰へ達しました。その後ようやく修学支援へシフトし、すったもんだがありつつも4回目の春学期を終えたところで、卒業研究を除く所定単位を無事満了。

昨年夏には「みんなと同じ」ペースで大学から卒業見込のお墨付きを頂戴できましたが、ニッチな専門職に一旦就いたあと学資を貯めて留学するという自己投資の覚悟へ娘が到れた旨を幸い、夏休みから年末まで研究調査と論文執筆にガッツリ注力していました。

えぇっ?! さすがに4回生の夏には就活を始めさせなきゃマズいんじゃ?と思った親御さんがたには、僭越な物言い不躾ながらその附和雷同こそ「就活がうまく進まない」原因。「みんなと同じ」教育課程で積める「普通」の経験を通過させただけでは、いかに優秀な学業成績を修めていようと人間としての不備不足を抱えたまま長じてしまうのが、定型の枠を大きく外れたPolymorphous Developments=多様性発達者なのです。

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2019-02-06
30年ひきこもった子どもを持つ母と その息子。ドラゴンズ

高校を出て初めて カウンセリングの先生のところへ母親と一緒にいきました。行く前は私も それなりに期待はしました。  
 優しそうな先生でしたから、一生懸命に言葉を考えて、先生に自分の苦しさを訴えました。  しかし先生の口から出てきた言葉は、ただの励ましでした。   
「クラスの同級生に引け目を感じていて、みんなが どんどん先に行ってしまって、私だけ ひとりぼっちになってしまった。みんなが どこに行くのか、どこらへんにいるのかも わからなくなってしまってからは、強い孤独を感じて、怖かった。」   
カウンセラーの先生は「人と比較しなくても いいんだよ。あなたは1人の尊い存在なんだから。」と言ってくれました。    
でも僕は何も感動しませんでした。 カウンセリングの後半から、母親が一緒にカウンセラーの先生の話が聞きたいということで、同席しました。   
母親はカウンセラーの先生の話す言葉に、いちいち深く うなづいていました。  「そうです、先生。そのとおりです。比較したら あかんのですよ。」母親の方がカウンセラーの先生より いつの間にか声が大きくなっていました。   
「それで、今後 息子は どうしたらいいですかね。」と母親が聞きました。   
「ハローワークに行って仕事を探すとか、公的機関でも相談に乗ってくれるところがあるから、そこで色々と指導を受ければ まだ若いので大丈夫ですよ、ドラゴンズさん。」    
「ドラゴンズよ。先生が ああ言ってくださったんだ。希望を持って生きなきゃあかんな。家でゴロゴロしたり、ゲームばかりしていたら、命を与えてくださった神様に申し訳ないな。お母さん ついて行ってやるから、明日ハローワーク行ってみような。」   
「先生、本日は とても貴重な お話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。これで息子も なんとか、前を向いて がんばれると思います。」   
それでカウンセリングは おしまいになりました。2度目の予約は しましたが、行くと私の気持ちが もっと落ち込むので やめました。

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昨日の拙記事を、ドラゴンズさんが30年間もひきこもってしまった次第について、『育ちに関わった大人の皆さんが悉く「わかったつもり」でおられた旨が、万障の元となってしまった』という拝察で結語し、私が公開したのは10:48でした。

その1時間ほど後に更新されたのが、本日引用させて戴いているドラゴンズさんの2月6日付の文章です。これまで『あまり過去のことを聞かれたくない』と忌避していらしたドラゴンズさんが渾身の力を振り絞り、『30年間ひきこもっていた人の悲しみや辛さ』を初めて自らの言葉で綴って下さいました。当然、昨日の拙記事をアップした時点では、未だ私が存じ上げることは叶わなかったご事情です。

にも係わらず『育ちに関わった大人の皆さんが(→ 母親やカウンセラーの先生が)』『悉く「わかったつもり」でおられた旨が(→ 口から出てきた言葉は、ただの励まし/僕は何も感動しませんでした)』『万障の元となってしまった(→ 気持ちが もっと落ち込む)』と、ひきこもりを30年まで増悪させた経緯が『勘違い。すれ違い。』だった旨を予言できたのは、私が超能力者だからではありません。

ドラゴンズさんが期待はずれの『ただの励まし』に深く落胆なさったのと同様に、私もわかったつもりでいらっしゃる心理の専門職から掛けられた『ただの励まし』に、寒風の中で冷水を浴びせられたような『悲しみや辛さ』を感じた経験があるだけなのです。

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ところが驚いたことに、そんな『カウンセラーの先生』こそご自分の「わかったつもり」に全く無自覚です。わざわざ言わずもがなの釈明の労をお執りになり、却って馬脚を顕しているのにもお気づきでないのですから、お気の毒としか申し上げようがない。

再々の文言は恐縮ながら、当事者の皆さんが希求するのは、迎合ではなく受容を/依存ではなく信頼を/情緒的庇護ではなく合理的配慮を以て「君は社会に於いて尊い存在。ゆえに他者を信じ頼みにして良い」と担保して下さるメンターとの、より社会的かつ普遍的な関係性です。そして心理カウンセラーは、その職務職責ゆえにメンターを担うことが定義上不可能となっている専門職であることも、今回は申し添えておきます。

さらに歯に衣着せぬ不調法をご勘弁願えば、同職の不備不足を恥じ入ること無く当事者へ要求を突きつけて憚らぬ『カウンセラーの先生』は、心理の専門家としての職務職責を果たしておられる旨への信頼さえ覚束ないと、遺憾ながら諫言せざるを得ません。

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