その『励ます力』を繋ぐ御縁に接しつつ私が抱き続けていた疑問は、お子さんがひきこもりへ到り長期に渉って継続してしまうご家庭と、すったもんだがありつつも再び通うべき所へ通い続けられるご家庭を、分かつ決め手は一体なにか?ということです。
ひきこもりのハイリスクを抱える我が娘への対処を学ばせて戴く、との必用も無論ありましたが、そもそもは私自身の好奇心が喚起して止まない疑義。そして当事者さんへの敬意と仁愛が主導するSense of Wonder の俯瞰を広めるにつれ、ひきこもりに陥るか否かを分かつのはお子さんが抱える障害特性の軽重より、むしろお子さんを取り巻いていた育ちの環境=家庭の文化が累積してきた日常である旨、徐々に拝察されて参りました。
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2019-01-11
僕が心から求めていたものは。山田。
『「生まれ育った環境のままだと、どうしても周りを強く意識してしまって、自分がやらなければならないことに集中できないんだ。」
「僕には周りが、とても大きくて強い存在に見えていました。」 「いつも周りを強く意識してしまって、できない自分を激しく否定していました。」 「結局ひきこもっていた時間は、自分を否定することだけで、なんの努力もしていてなかったんですよ。」
「だったら、できないまま年をとっていっただけだよね。そして後悔はさらに大きく強くなっていく。」「時間がたつにつれて、諦めの作業に移るんだよ。」 「就職を諦める。結婚を諦める。社会に戻ることを諦める。楽しむことを諦める。」
スタッフとは さらに長く話していました。
とにかく、頭の中が整理されていく。自分の今いる場所が どこなのかが わかっていく。
それがわかれば、この先自分は どうすればいいのかが 大まかですけれど わかっていきました。
もっともっと、スタッフに頭を整理してほしいと思っている僕です。
僕が長く求めていたもの、
それは僕のことを一緒に考えてくれる人です。』
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2019-01-12
人を信じることができなかった僕。山田。
『その日 やってきたのは女性でした。「◯◯と言います。△△さんに お話がしたくて、サポートセンターから来ました。何も心配はいりません。安心してください。部屋のドアの前で お話してもいいですか。」と言った。
騙されはしない。家の外には窓に目隠しをしたワゴン車と屈強な男たちが準備しているんだ。
絶対に 騙されてたまるか。拉致された時に抵抗するために、ポケットにハサミを隠し持った。相打ちにするつもりだった。
「部屋の前までも行ってはだめなら、なにか音を出してください」と言ったので、思いっきり足でドアを蹴った。
「わかりました。今日は帰ります。でも、どうか私たちを信じてください。簡単には信じられないのは わかります。また来ますので よろしくお願いします。」
僕は2階に移動して、カーテンの隙間から本当に帰ったかを確認した。女性スタッフが駅の方に歩いていく後ろ姿が見えた。他には誰もいなかった。
少し安心した。
どっと疲れが出て、そのまま倒れこむように寝てしまった。』
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山田さんが生来抱えておられた五感と認知の凸凹の激しさを拝読するにつれ、お母様がどんなに深い配慮と大きな我慢で息子さんを支え続けてきたか、その包容力の壮大さには圧倒される思いがいたします。
感情は『一緒に考えてくれる人』を『心から求めて』いるのに、認知の方は『人を信じることができない』という二律背反は、もちろん当事者さんこそ一番辛いでしょう。とは言え日常を共にしておられる親御さんとしても、我が子の心を全く理解できない状況が何十年と続いた経緯は、きっと想像を絶する辛さだっただろうと拝察するのです。
これまで寄せたコメントでも何度か書かせて戴きましたが、山田さんがサポートセンターの支援に繋がり回復へ向かっておられる最大の功労者は、他でもないお母様だと私は考えています。山田さんは『母親も(なんとかしたい)と思っていたらしいけど、何もできないことがわかったので、お願いするしかなかった』とアッサリ綴っておられますけど、たぶん普通の「良いお母さん」にとってはそれこそが最も難しいことなんですよ。
実の母親なのに自分には『何もできないことが わかった』という自己理解を得て尚、他者へ対して『この人たちなら、息子を回復させてくれると信じ』られる自己承認を保ち、息子さんに『内緒で、サポートセンターに相談に行く』という自己投資を継続できた次第は、おそらく「良いお母さん」に実行できる最善最上の対処と言えるでしょう。
大多数の「良いお母さん」がたは、歯に衣着せぬ不調法は誠に僭越ながら、配慮に不備が生じて待ち設けることが出来なかったり、我慢に不足が生じて余計な差し出口で事態を台無しになさったり、信頼出来るメンターを探し出しお子さんへ繋ぐことこそ何かと難しいご様子。皆々様には山田さんのお母様の、さり気ないようでいて絶妙な間合いを計った配慮と我慢、お手本になさって戴けたらなぁと蔭ながら感服しきりの毎日です。
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