2019年2月14日木曜日

ホントは「多様性発達」なんです

通うべき所へ通い続けられる「配慮と我慢」の自発を最優先に据え、娘が大学生活に馴れてきた頃合いを見計らい2回生で早々に始動した就労支援の「予習」は、3回生の春学期を終えた時点で『何をしたいのか そのために何をすべきか』という認知を彼女自身が把握できる俯瞰へ達しました。その後ようやく修学支援へシフトし、すったもんだがありつつも4回目の春学期を終えたところで、卒業研究を除く所定単位を無事満了。

昨年夏には「みんなと同じ」ペースで大学から卒業見込のお墨付きを頂戴できましたが、ニッチな専門職に一旦就いたあと学資を貯めて留学するという自己投資の覚悟へ娘が到れた旨を幸い、夏休みから年末まで研究調査と論文執筆にガッツリ注力していました。

えぇっ?! さすがに4回生の夏には就活を始めさせなきゃマズいんじゃ?と思った親御さんがたには、僭越な物言い不躾ながらその附和雷同こそ「就活がうまく進まない」原因。「みんなと同じ」教育課程で積める「普通」の経験を通過させただけでは、いかに優秀な学業成績を修めていようと人間としての不備不足を抱えたまま長じてしまうのが、定型の枠を大きく外れたPolymorphous Developments=多様性発達者なのです。

***

2019-02-14
発達障害は成長する 東大

ヒロさんが その証明です。   
僕は この5年間、日本にいた6ヶ月間を省いて ほとんど彼と一緒にいました。ですから、彼の変わっていく様子を間近で見ています。   
特に大学を卒業してからの2年間の成長は目を見張るものがありますね。   
大学生活を通して、学んできたことを、社会生活を送る中で開花させたような気がします。   
ヒロさんは16歳の時から30歳になる今まで、サポートセンターのスタッフ達と同じ屋根の下で生活を共にしています。    
実は17歳で一旦支援が終了しました。サポートセンターが これ以上支援をしても あまり成長しない と判断して、支援継続をご両親に お断りしたのです。

***

ヒロさんの状況を『臨床心理士や現場での経験が豊富なスタッフたちが』『これ以上支援をしても あまり成長しないと判断し』サポートを一旦打ち切ったのは、彼が17歳だった13年前。ということは、未だ日本は発達障害当事者研究の黎明期だった頃ですね。

テンプル・グランディン博士の著作は少数ながら和訳が出版されていた模様ですが、拙宅の自家製療育のバイブルと称すべき『アスペルガー症候群・高機能自閉症の人のハローワーク 』や『発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい』は2008年、『自閉症感覚 かくれた能力を引きだす方法』は2010年の刊行でしたから、2006年の時点で『これ以上支援をしても あまり成長しないと』判断なさってしまったのは、どれほど勉強熱心な心理職・支援職であっても止むを得ない仕儀だった、と拝読しました。

むしろヒロさんの経過については、『家族との折り合いがよくないことから、再び戻ってくるだろうと予測して』おられた、青木先生の鋭敏な「支援勘」にこそ驚嘆すべきでしょう。実の息子である『ヒロさんには秘密』にしながら、サポートへの参画を英断なさったお父様のご覚悟と併せ、稀有な著効例を実現させた奇遇に感服するばかり……

拙宅の娘が大学の教養課程で「臨床心理学」を受講した2015年には、昔は「発達=子どもが大人になること」という考え方だったけれど、今は「発達=生まれてから死ぬまで一生成長しつづけること」と捉えられている、と教授戴いたそうです。彼女の所属学部には公認心理師の養成課程が設けられていますが、遂に新設なったこの専門職からこそ「ホントは『発達障害』ジャナクテ『多様性発達』なんじゃね?」と、ボトムアップでこの国の蒙を啓いて下さる臨床家が続々と現れて下さることを、期待申し上げております。

【拙ブログの関連記事】『“合理的配慮”てコレやがな!

0 件のコメント:

コメントを投稿