2019年2月11日月曜日

繊細な子 と 肝っ玉母さん

精神医療や心理の臨床におられる専門職が陥りやすい『勘違い。すれ違い。』は、日頃接しておられる患者さんがたを、当事者の全体像と思い込んでしまうことでしょう。

つまり「通うべき所へ通えない」すなわち臨床や支援へ赴くことさえ出来なくなった、ホンモノの社会的ひきこもりの当事者像を、彼らは殆ど経験できていない。にも関わらず、診察や面談には通い続けられる軽度な不登校やひきこもりを以て、全て「わかったつもり」になっている所こそ、サポートセンターのブログを綴っておられる当事者の皆さんが、口を揃えてカウンセリングは役立たずだと証言する所以と私は考えています。

精神医療や心理の専門職でさえその調子なのですから、「みんなと同じ」枠から外れぬ旨こそ正しいと信じて大人になった「良いお母さん」にとっては、障害と名指しされるほど大きな凸凹を我が子が生まれながらに抱えている事実が、『わかるからよくて、わからないからダメ』という自己否定に囚われ、不信感・被害感を我慢できず怒りでしか反応できない「カサンドラ」状態へ陥っても致し方ないくらい、過大な難儀なのです。

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2019-02-10
一生懸命 頑張りますので、よろしく お願いします。ドラゴンズ。

5年前に ひきこもりから脱出しました。2年前、青木先生に「ハローワークに行ってみたい。」と お願いして連れて行ってもらいました。   
案内の人に「初めてで、何も わからないです。教えてください。」と言うように、サポートセンターのスタッフから教えてもらいました。   
青木先生と一緒にハローワークの中に入りました。   
しかし、一歩中に入ったら たくさんの人が忙しそうにしていたので、怖くなって すぐに外にでました。息が うまくできなくなったのです。   
青木先生が「次回にしよう。」と言ってくれました。   
私は情けないのと恥ずかしいのとで「すみませんでした。お忙しい中、付き添ってくださいまして、申し訳ありません。できの悪い人間なもんで、ご迷惑をおかけしまして、ごめんなさい。」と青木先生に言いました。   
そうしたら青木先生は立ち止まって、私をみてこう言いました。   
「私は、ドラゴンズさんと一緒に来たかったので、来たんです。そんな よそよそしい言い方は やめてください。30年間ひきこもっていた あなたが、50近くになっても まだ諦めない その姿を見せてくれただけで、私は あなたから勇気をもらいましたよ。」

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高校を出て初めて』お母様と一緒に出向いたカウンセリングで、心理の専門職から受けた助言を、30年越しで行動化できたドラゴンズさん。30年前も「お母さん ついて行ってやるから、明日ハローワーク行ってみような。」と励ましの言葉を掛けてもらったのに、一体どうして『気持ちが もっと落ち込む』結果に終わってしまったのか? 

ドラゴンズさんが綴って下さった『人は期待してくれる人が1人でもいたら、生きていける』との一文に、全ての理由は凝縮されていると私は拝読しました。

誠に無念なことですが、小学校・中学校・高校と育ちに係わっておられた大人の皆さんが悉く、あなたを『どうしようもないバカな子』だと「わかったつもり」になったまま「期待してくれる人」が一人も現れなかったという事実だけで、30年間ひきこもるほど大きく深い『悲しみや辛さ』をドラゴンズさんの心に生じてしまったのでしょう。

青木先生から『そんな よそよそしい言い方は やめて』と固辞されたドラゴンズさんの慇懃なお詫びが、30年前に一度だけ訪ねた相談先で『カウンセラーの先生』へお母様が申し上げた挨拶と、そっくり同じ調子だったことをお気づきになれたでしょうか?

お子さんにとって唯一無二の支え手であるお母様が、優しそうに見えて実は当事者に一切期待していない「先生」の、上から目線な『ただの励まし』に『いちいち深く うなづいて』『先生よりいつの間にか声が大きくなって』しまったのは、我が子の生まれ持った五感や認知が自分のものとあまりに違っているゆえに、おそらくお母様ご自身も「他者を信じ頼みにする」拠り所となる自己承認が、大きく揺らいでいた証左と拝察。

ドラゴンズさんも「お母さん ついて行ってやるから…」という些細な言い回しだけで、その心底に潜んでいるのが受容ではなく迎合信頼ではなく依存合理的配慮ではなく情緒的庇護だとわかってしまうほど、繊細な言語感覚をお持ちだったのですね……

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ドラゴンズさんのお母様は、山田さんのお母様に比較すると一見ハキハキした物言いが如才なく、世事に長けた頼もしい「肝っ玉母さん」であるような印象を受けます。されど「良いお母さん」に実行できる最善最上の対処とは山田さんのお母様がなさったとおり、自分には『何もできないことが わかった』という自己理解を得て尚、他者へ対して『この人たちなら、息子を回復させてくれると信じ』られる自己承認を保ち、お子さんには『内緒で、相談に行く』という自己投資を敢然と行動化する「勇気」なのです。

そして、息子さんへの態度は「柳に風」といった様子で、脆弱な印象さえあった山田さんのお母様が「勇気」を振るえた所以は、親にできることは「親になる」ことのみ、すなわち「育つ」行為の主体はこの子自身なのだから、この子が「できないこと」を「できること」にするまで根気強く支えて行こう、と覚悟しておられた所為なのでしょう。

30年間ひきこもっていたドラゴンズさんが、50歳になってもまだまだ諦めない。その姿を文章に綴って下さっただけで、私は母親としての真の「勇気」について、あなたから学ばせて戴きました。今後ともよろしくご指導ご鞭撻のほど、お願い申し上げます。

【拙ブログの関連記事】『知ゆえに惑い 仁ゆえに憂う』 『「藁」を糾えない文化

【補記】「お母さん」と「子」連作として、不定期連載しております。

>>第1回『「良いお母さん」と「悪い子」』を読む
>>第2回『「変な子」と「変なお母さん」』を読む
>>第3回『暴れる子 と『頑張るお母さん』』を読む

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