2019年1月25日金曜日

成長の糧は成功ジャナクテ「報連相」

通うべき所へ通い続けられる「配慮と我慢」の自発を最優先に据え、娘が大学生活に馴れてきた頃合いを見計らい2回生で早々に始動した就労支援の「予習」は、3回生の春学期を終えた時点で『何をしたいのか そのために何をすべきか』という認知を彼女自身が把握できる俯瞰へ達しました。その後ようやく修学支援へシフトし、すったもんだがありつつも4回目の春学期を終えたところで、卒業研究を除く所定単位を無事満了。

昨年夏には「みんなと同じ」ペースで大学から卒業見込のお墨付きを頂戴できましたが、ニッチな専門職に一旦就いたあと学資を貯めて留学するという自己投資の覚悟へ娘が到れた旨を幸い、夏休みから年末まで研究調査と論文執筆にガッツリ注力していました。

えぇっ?! さすがに4回生の夏には就活を始めさせなきゃマズいんじゃ?と思った親御さんがたには、僭越な物言い不躾ながらその附和雷同こそ「就活がうまく進まない」原因。「みんなと同じ」教育課程で積める「普通」の経験を通過させただけでは、いかに優秀な学業成績を修めていようと人間としての不備不足を抱えたまま長じてしまうのが、定型の枠を大きく外れたPolymorphous Developments=多様性発達者なのです。

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2019-01-25
3年の支援で就職を果たした場面緘黙少年。 東大

食事の時間は大切な経験獲得のプログラムとなる。朝食は毎日、違うコンビニに、名古屋駅前の各デパートの地下食品売り場の半額時間にも繰り出した。   
支援している彼よりも、スタッフが年甲斐もなく高級寿司半額商品をゲットして喜ぶ。楽しい時間なんです。   
毎回、食事は朝食以外はスタッフと食べた。もちろん何も話さない。話しかけても何も答えない。そんなことは構わずに、彼に色々な話題を楽しそうに話しかけるスタッフ。    
アルバイト最後の日。青木が奮発して、美味しい魚料理の店に彼を連れて行く。   青木が頼んだ料理が運ばれてくる。「食べてごらん。」と すすめる。かすかに表情が和らいだ感じがする。   
「美味しいだろう。」「本当に美味しいな。」「あああ、生きてて よかった。」   
と青木が呑気に喋ったら、彼が笑いそうになった。それを すかさず我慢した。   
「遠慮しなくて笑えばいいさ。」「どうだ、美味しいだろ。これも食べなよ。」と自分の分もあげる青木。   
「美味しいな。」と青木が言った瞬間。「はい。」と小さく声を出した。   
思わず心の中でガッツポーズをした青木。「ちょっと、トイレに行くね。」と言い、スタッフに電話をした青木。   
「やった!! 話してくれたよ。大丈夫だ、回復できるさ。」

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お母様が『福祉の現場で働いてみえるので、発達障害の知識があった』ゆえに、高校在学中から早々に就労支援の「予習」を果断なさった「場面緘黙少年」さんのケース、拙宅の自家製支援に対する答え合わせとして、たいへん有り難く拝読いたしました。

実は『「藁」を糾えない文化』と題した拙文で言及させて戴いたお子さんも、就活がうまく進まない直接の理由は緘黙でした。発達障碍の診断が下されていたため場面緘黙という用語は記しませんでしたが、就職説明会の面談や採用試験の面接はもちろん、大学のキャリアセンターや学生相談室でさえ、首を傾げたまま沈黙してしまうのです。

緘黙について拙ブログでは、私説ながら『謂わば「脳内ひきこもり」の徴証』と論考しております。福祉関係のお仕事に就いておられる「場面緘黙少年」さんのお母様が、『就職も次の学校への進路にも踏み出せないに違いない。このままでは卒業後に ひきこもってしまう』とお考えになった旨も、専門職からの貴い答え合わせとして拝読。

たいへん遺憾ながら『「藁」を糾えない文化』に綴ったご家庭のお子さんは、就学前に発語発話の大幅な遅延という兆候が見られたにも関わらず、親御さんが我が子を成功へ導けるよう先回りして失敗を避ける(失敗しても見て見ぬふりが出来る)段取りを整えておく策のみへ奔走なさってしまいました。中学では軽微ながら「いじめ」を受けていた気配もありましたし、高校では口頭発表行事をエスケープするという「脳内ひきこもり」が発現したのですが、いずれも「学業成績は優秀だから大丈夫」と看過してしまった。

加えてお気の毒だった失策は、お子さんが大学へ進み緘黙がいよいよ深刻な障害へ増悪していくにつれ、お母様が我が子に対するサポートを専ら料理の腕を振るうことへ注力してしまったこと。朝食は無論のこと、昼食は愛情が込もった手作り弁当、夕食も必ずご自宅で温かい手料理が待っているというのは、「みんなと同じ」文化なら非の打ち所が無い「良いお母さん」ですが、障害と診断されるほど大きな凸凹を生まれ持ったお子さんには、却ってフリーハンドを完全に奪取する顛末となってしまいました。

定型の枠を大きく外れたPolymorphous Developments=多様性発達者なればこそ、「みんなと同じ」育ちの過程で積める経験を通過させただけでは、いかに優秀な学業成績を修めていようと人間としての不備不足を抱えたまま長じてしまいます。非の打ち所が無い「良いお母さん」として成功の段取りを仕切るのではなく、普段の食事も『大切な経験獲得のプログラム』と捉え、たとえ我が子/当事者の応えは沈黙でも謹厳な報告・連絡・相談で本人のフリーハンドを尊重する日常が、成長の糧となるのでしょう。

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