2019年1月30日水曜日

『魔法のことば』はありますよ

通うべき所へ通い続けられる「配慮と我慢」の自発を最優先に据え、娘が大学生活に馴れてきた頃合いを見計らい2回生で早々に始動した就労支援の「予習」は、3回生の春学期を終えた時点で『何をしたいのか そのために何をすべきか』という認知を彼女自身が把握できる俯瞰へ達しました。その後ようやく修学支援へシフトし、すったもんだがありつつも4回目の春学期を終えたところで、卒業研究を除く所定単位を無事満了。

昨年夏には「みんなと同じ」ペースで大学から卒業見込のお墨付きを頂戴できましたが、ニッチな専門職に一旦就いたあと学資を貯めて留学するという自己投資の覚悟へ娘が到れた旨を幸い、夏休みから年末まで研究調査と論文執筆にガッツリ注力していました。

えぇっ?! さすがに4回生の夏には就活を始めさせなきゃマズいんじゃ?と思った親御さんがたには、僭越な物言い不躾ながらその附和雷同こそ「就活がうまく進まない」原因。「みんなと同じ」教育課程で積める「普通」の経験を通過させただけでは、いかに優秀な学業成績を修めていようと人間としての不備不足を抱えたまま長じてしまうのが、定型の枠を大きく外れたPolymorphous Developments=多様性発達者なのです。

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2019-01-29
2013年 5月4日 9時
品川プリンスホテル マウナケアにて 東大。

彼が重い口をひらいて言いました。「私が やり通せるという その根拠はなんですか。」と。   
「4年間あなたを見続けてきたことからだね。」 
「青木さんは、私がゴールにたどりつけると確信しているのですね。」 
「はい、確信しています。」   
「わかりました。よろしくお願いします。もう弱音を吐いたりしません。」   
「弱音は吐くさ。なんどもなんども 失敗して、弱音を吐く。」「でも、また立ち上がれるように僕たちがするから大丈夫。何も問題はない。」   
2人の会話を聞いていた僕は、感動してしまいました。そして あの時を思いだしたのです。   
品川プリンスホテル2階の喫茶店「マウナケア」のレジ横の4人がけテーブルに青木と僕は真向かって座っていました。僕は青木が怖くて仕方がありませんでした。   
親には良い顔をしているが、一旦海外に僕を連れ出した後に香港経由で僕を海外に売り飛ばす計画を企んでいる。青木の顔を見たら、ますます そんなことをしている悪人に見えたのです。僕は そう確信していました。   
そんな時に、青木が強く そしてクリアな声で、僕に囁いたのです。    「会えて嬉しいです。ありがとう。ここまで来るのに怖い思いをしたでしょ。」まさか そんな言葉を聞くとはも思っていませんでした。   
続いて こうも言いました。「人生を一緒に変えよう。時間は気にしない。どこまでも ついていくから。」と。   
私は「はい。」と 自分でも びっくりするくらい大きな声で 返事をしました。そして その日から2週間後、私は 30年間のひきこもりからフィリピンの喧騒の中に移動したのです。   
面談が終わり、レジまちをしていた時に、青木が言いました。「あなたの人生は良い方向に変わる。そして助けを求めている人を助ける側になる。結婚もするよ。」と自分で 話して、自分で うなづいていました。

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「みんなと同じ」なら就活に励むべき3回生の秋学期から4回生の秋学期まで、拙宅の娘を卒業研究へドップリ注力させた所以は、指導教授やゼミ仲間と議論を交わしつつ長い論文を執筆する作業も、彼女の「特別な」人格支援プログラムを兼ねていたからです。

娘への自家製療育を本格化に始めた小学校低学年以来、『読む。考える。そして、書く。』ことは、既に主要なプログラムになっていました。五感や認知の凸凹が障害をもたらすと看破した当事者研究については、未だ寡聞にして存じ上げない当時だったものの、一応の教育学を修めた観点から、就学前に指摘された娘の「聴く/話す」「比べる/選ぶ」力の極端な不備不足を補うには、「読むこと」「考えること」「書くこと」を通じ群れずにひとりで行動できる力を養うのが有効だろうと、私は推察したのです。

加えて大統領さんヒロさんをはじめ、当事者の皆さんと文章を通じて遣り取りを重ねる幸甚に恵まれ、この推察は「東大さん」こと大野さんの言葉を拝借すれば『書くのは、大きな回復プログラム』という確信へ熟しました。「みんなと同じ」教育課程に倣った就活という「普通」の経験ではなく、メンターや仲間と議論しながら都内各所で渉猟した膨大な資料を『読む。考える。そして、書く。』という経験をこそ、娘の多様性に沿った人格支援プログラムとして果断した根拠は鉄板だった、と自負しています。

「50代男さん」ことドラゴンズさんに対し、おそらく大野さんは『ハンディを持っている方と見られてしまうような』外見に囚われがちゆえに、『僕たちが設定した支援のゴールに たどりつけるのだろうかと』不安が兆すのでしょう。実際に青木先生と会って『顔を見たら、ますます そんなことをしている悪人に見えたので』誤った認知を『確信』と思い込んでしまった当時と、全く同じ現象が心に生じてらっしゃるようですね。

さりながら「50代男さん」が自ら綴って下さった2篇の記事を、拝読するほか接点の無い私は、その筆致から窺えるドラゴンズさんのお人柄が、大野さんの最初の記事と比較しても、さらに高潔で慈愛を兼ね備えた知性を有しておいでだ、と確信するのです。

自閉圏の大野さんが「見えない/認知できないものは ないものと同じ」多様性をお持ちなのは承知しておりますが、たとえ見えなく/認知できなくても『魔法のことば』は確かに「ある」ことを、この機会に是非ご経験戴きたいと蔭ながら願って止みません。

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