その後ようやく修学支援へシフトし、オカンの初期癌手術やら語学センター受講の全落やら、すったもんだがありつつも4回目の春学期を終えたところで、卒業研究を除く所定単位を満了。大学から「卒業見込」のお墨付きを目出度く頂戴できましたが、ニッチな専門職に一旦就いたあと学資を貯めて留学するという自己投資の覚悟へ娘自身が到れた旨を幸い、夏休み以降は年末まで研究調査と論文執筆にガッツリ注力していました。
えぇっ?! さすがに4回生の夏には就活を始めさせなきゃマズいんじゃ?と思った親御さんがたには、僭越な物言い誠に不躾ながらその発想こそ「就活がうまく進まない」盲点。「みんなと同じ」教育課程で積める「普通」の経験を通過させただけでは、いかに優秀な学業成績を修めていようと人間としての不備不足を抱えたまま長じてしまうのが、定型の枠を大きく外れたPolymorphous Developments=多様性発達者なのです。
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2019-01-18
スタッフと僕が泣いた日。東大
『小学生の時、家で飼っていた愛犬が車に轢かれて なくなりました。兄弟は悲しみのあまり、数日間 学校を休んでしまいました。
どうしてこんなことが起こるのかと、怒りを表していた その姿を今でもよく覚えています。
なんの反応も示さなかった僕に、兄弟は その怒りの矛先を向けました。「勉強はできるが、人間としての優しさが お前には足りない。」と。
そう言われても・・・・・・。僕も僕なりに悲しかったですけれど、泣くまでもありませんでした。しかし、僕を省く家族全員の涙を この時 見たのです。
あの変わった父親ですら涙していたことに 驚いていたぼくです。
東大の合格発表の瞬間。母は泣いていました。「よかった。よかった。」と何度も つぶやいていた母。
滅多に感情をあらわにする人ではないのですが、この時は違っていました。そんな母が僕に聞きました。「隆は嬉しくないのかい。」って。
嬉しいか、嬉しくないか と尋ねられれば、答えは嬉しかったです。しかし、その時 母には何も答えませんでした。
そんな母が数年前に なくなりました。流石に涙が出ました。しかし兄弟からは「やっぱり変わらないね。少しは悲しいという感情がないの?」と言われたのです。
そんな僕が最近 泣いたのです。』
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2019-01-19
30年間ひきこもって やっと気づいたこと。東大
『実は、僕自身も一発逆転を狙ってましたね。
医者に なればいいんだ。そうしたら みんなに顔見せできる。医者にだって なれるさ。
弁護士でも いいな。今から やり直そうか。僕なら 弁護士にだって なれる。
「ハーバード大学を挑戦したいんです。」「MITに行きたいのですが、助けてもらえますか。」すごいですよ。東大を飛越して、海外の有名大学の受験を考えている ひきこもりの人も案外おおかったですね。
でもみんな 言うだけ番長 なんです。「そんなことを言って 実際やり遂げた ひきこもりの人は今までいましたか?」と青木に問いかけました。
答えは「いない」でした。
そこまで自分を追い詰めなくても 幸せになれますよ。最近やっとその事が わかった僕です。30年間ひきこもって やっと気づいたんですよ。』
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当事者さんの個性は各人各様・千差万別で、多様性発達者と命名させて戴いた所以なのですが、社会と呼応する知恵の育ちを遅延させてしまう支障として共通なのは、人事に対し極端に疎い五感や認知を生来抱えている点でしょう。ヒロさんは感覚情報の共有力が高すぎて軋轢に巻き込まれがちな一方、「東大さん」こと大野さんは感覚情報の共有力が低すぎて、近しく交わる他者へ悪気は無くとも不愉快な心象を及ぼしてしまう。
ただ「文化」として俯瞰するなら、ヒロさんの強烈な感情も大野さんの微弱な感情も、全く正しいのです。例えば大野さんが武家社会に生い育っていたのなら、『泣かない人間』という個性は大いに賞讃されたはず。要は当事者さん生来の五感や認知と、ご家庭をはじめとする育ちの環境に醸成された文化の、相性が芳しくなかっただけなのです。
とは言え、大野さんを武家社会だった時代へタイムスリップさせるのは、実現不可能。ゆえに現在の、しかし日本よりは相性の良い文化が醸成されている国へ移住させ、丹念に丁寧に他者へ関わる経験を大野さん自身の個性に即して設定することで、充分な時間をかけて徐々に社会と呼応できる知恵の育ちを促す、「特別な」工夫が必要でした。
さりながら辛辣な表現で恐縮ですが、ご両親が息子さんのために選んだ名門中高一貫校→東大というエリートコースは、狭き門ではあったにせよ「みんなと同じ」教育課程で積める「普通」の経験を通過させるのみ。隆さんの個性に沿ってピッタリ誂えた「特別」ではなかった。医者だろうが弁護士だろうがハーバードだろうがMITだろうが、当事者の多様性に即していなければ『人間として足りない』部分は補塡不可能なんです。
拙宅の娘を4回生の夏休みから年末まで研究調査と論文執筆に注力させた所以は、卒業研究の内容が彼女の多様性に沿って誂えた「特別な」人格支援プログラムも兼ねていたからです。あまりに特別すぎて身バレの危惧があるため詳細は書けませんが、小学6年の担任だったU先生が開眼させて下さった社会学への興味関心を活かし、他者と近しく交わりつつデータ収集する参与観察を用いた研究である旨のみ、申し添えておきます。
要はサポートセンターで実践なさっている『教育的な支援』を、数年来勉強させて戴いた成果として、娘の高等教育の最終課程へ応用することが叶ったわけですね。成長体験を書き繋いで下さった全ての当事者さんへ、改めて心底より深謝申し上げます。
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