その『励ます力』を繋ぐ御縁に接しつつ私が抱き続けていた疑問は、お子さんがひきこもりへ到り長期に渉って継続してしまうご家庭と、すったもんだがありつつも再び通うべき所へ通い続けられるご家庭を、分かつ決め手は一体なにか?ということです。
ひきこもりのハイリスクを抱える我が娘への対処を学ばせて戴く、との必用も無論ありましたが、そもそもは私自身の好奇心が喚起して止まない疑義。そして当事者さんへの敬意と仁愛が主導するSense of Wonder の俯瞰を広めるにつれ、ひきこもりに陥るか否かを分かつのはお子さんが抱える障害特性の軽重より、むしろお子さんを取り巻いていた育ちの環境=家庭の文化が累積してきた日常である旨、徐々に拝察されて参りました。
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2019-01-04
頭が混乱して おかしくなっていた僕。山田。
『母が教えてくれた もう一つのこのブログを読んだら、興奮しました。「僕だって、まだ大丈夫だ。諦める必要はない。」と感じたから。
とても興奮して学習机を拳で叩いたり、ベッドの布団を放り投げたりした。
しかし、その興奮は長くは続かなかった。ブログに書いてあることが嘘だったら?いや、嘘に違いない。
嘘じゃなくても、あそこに書いている人たちは、そんなに大変な人たちではないんだ。だから、回復しているんだ。
それをオーバーに書いている。もしくは嘘を書いている。
そう考え方を改めた。そうしたら逆にサポートセンターをぶっ壊したくなった。今からサポートセンター事務所に乗り込んで、灯油をばらまいて火をつけてやろうと思った。
僕は母が印刷してくれたブログ記事を破り捨てた。嘘をつかれたことがどうしても許せなくて、「サポートセンターに抗議の電話を入れろ」と母親に命じた。 「嘘をつくお前たちに必ず天から罰がくだる。というセリフを必ず言え、言わないとぶっ殺す。」と珍しく母親に命じた。
「あっ、サポートセンターさんですか、あの今度訪問をお願いしました山田と言いますが、キャンセルお願いします。理由ですか?息子が自分には合わないと言っています。それと息子から伝言があります。『嘘をつくお前たちには必ず天から罰がくだる。』と息子は話しています。ごめんなさい。許してください。」と言って母は電話を切った。』
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世間様では「親の心 子知らず」という言い回しが、「子を思う親の心を、子は察しないで勝手な振る舞いをする。」という意味の諺になっています。
さりながら、ひきこもり当事者さんの綴って下さった文章を拝読する度、俚諺とは全く逆の「子の心 親知らず」な育ちの環境=家庭の文化こそ、お子さんがひきこもりという日常へ到ってしまった背景であることを、つくづく思い知らされるのです。
山田さんのお母様は、息子さんの『数学は美しい』『数学は芸術だ』という五感や認知へ寄り添って『高校には行けなかったけれど、数学の問題集を買って』下さった件も、『どうすればいいんだ。』『なんで、こうなんだ。』という疑問や不安へ寄り添って『同じような体験が書いてあった』『たくさんの記事をプリントして』下さった件も、我が子の自己理解への萌芽を大切に育もうと努めておられた旨は、間違いありません。
それでも尚、息子さんがひきこもりという日常へ到る顛末を回避できなかった所以は、『小学校の正門まで来ると胸が締め付けられそうに』なっていたり、『4年生ぐらいから死んでしまいたいと いつも思っていた』りした「子の心」を、親御さんは察することが叶わず「ちょっと変わった子だけど、この間は同級生たちと遊びに行けてたし、大丈夫」と、親御さん自身の五感や認知に即し勝手に楽観してしまった所為でしょう。
昨年3月に俊介さんと交わした論考で『あくまで私見ですが、発達障害を知るため『親が学ぶ最適な期間は』お子さんを授かった妊娠中〜3歳児健診〜就学前健診』と述べさせて戴いた節理ですが、社会から物理的な距離を置く行為が顕れたのは高校生・大学生以降でも、その日常へ到った背景はおよそ10年遡った小学生の頃に端を発しています。
これほど大きくて深い「親の心」と「子の心」の乖離を、いかにして『励ます力』で繋ぎ止め引き寄せ、互いに信じ頼みにし合う対等な関係へ修復していくか? 我が第三の人生を構想する上で、奮迅の努力を資するに相応しい課題と自負しております。
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