2019年1月22日火曜日

人格支援の要は「ホウレンソウ」

この4年あまり、発達障碍の二次障害で通うべき所へ通えなくなってしまった当事者・ご家族・支援者の日常を、拝読拝聴する機会に様々な奇遇で恵まれて参りました。

その『励ます力』を繋ぐ御縁に接しつつ私が抱き続けていた疑問は、お子さんがひきこもりへ到り長期に渉って継続してしまうご家庭と、すったもんだがありつつも再び通うべき所へ通い続けられるご家庭を、分かつ決め手は一体なにか?ということです。

ひきこもりのハイリスクを抱える我が娘への対処を学ばせて戴く、との必用も無論ありましたが、そもそもは私自身の好奇心が喚起して止まない疑義。そして当事者さんへの敬意と仁愛が主導するSense of Wonder の俯瞰を広めるにつれ、ひきこもりに陥るか否かを分かつのはお子さんが抱える障害特性の軽重より、むしろお子さんを取り巻いていた育ちの環境=家庭の文化が累積してきた日常である旨、徐々に拝察されて参りました。

***

2019-01-21
ひきこもっている自分への罰 東大。

家で じっとしていることしか できない奴は、最低限の生活をするべきなんだ。     
誰からも そんなことを言われたことが ありません。でも世の中の皆さんは 僕の存在を知ったら、そう思うはずだ と思っていました。    
だから生きていくことは とても辛かったのです。そんな僕の悲しみを知らずに、僕の心臓は止まることをせず、身体中に血液を運んでいるのです。    
 同じ服を着続けていました。えりがボロボロでした。    
服は二着しか持っていなかったです。見かねた母が買ってきた服にも袖を通さずにいました。ある時、僕の愛用の服の代わりに、真新しい服が僕の部屋に置いてありました。     
「お母さん、僕の服は どこにあるの?」「服って、あのボロボロの服でしょ。捨てたよ。」「どこに捨てた!! ねえ、どこに捨てたの。」   「いい加減にしなさい。服なら いくらでも買えるでしょ。」 
「せめて、服ぐらい新しいのを着なさい。」僕は、母の返事を待たずにゴミ箱から僕の服を探し出しました。     
そして、母が買ってきた新しい服をゴミ箱に捨てたのです。    
今思い出しても、申し訳ないことをした と思っています。母が生きている間に そのことを謝ろうと思っていましたが、謝る機会を逸してしまいました。    
新しい服を着ることが怖かったのです。何もできない、何の役にも立っていない人間が新しい服など着てはいけないのです。僕にはボロボロの服が お似合いなのです。    
今思えば、僕は僕に重い罰を与えていたんだと思います。

***

2019-01-22
これからのこと。最終回です。山田。

「多分、親に対しての質問があるよ。」とスタッフが ぼくに言いました。    
父親は 子育てに無関心な感じです。いつも仕事に逃げている。あまり感情も無い人ですね。   
母親は あまり いろんなことが よくわかっていない人 ではないかと思います。上品ですが、たくましさが無いです。色々なことで よく泣いていました。    
母親は、僕が学校に行かないことを、祖母から随分ひどく責められていました。母親のせいでは無いのに、責められていた。父親にも相談したれけれど「俺は仕事で忙しいんだ。子育ては お前の仕事だろ。」と怒っているのを僕は聞きました。   
それで、僕は自分の存在を憎みました。「僕がいなければ、母親は楽になれるのに。」って。   
母親に対しては申し訳ないと思っています。祖母は絶対に許せません。   
でも今は、日本から離れて良かったと思っています。

***

山田さんのケースも「東大さん」こと大野さんのケースも、青木先生の仰る範疇では『親子間でコミニュケーションが常日頃あり、親のことを信じてくれている』ご家庭に入るのでしょう。多少の紆余曲折はあったにせよ、ご本人が『サポートセンターの情報を伝えられ』ることで支援の伝手を掴み、ひきこもった期間より遙かに短い時間で社会と呼応する知恵を育まれ、回復の目途へ真っ直ぐ向かっておられる事実が証左です。

しかし観点を変えると、『親子間でコミニュケーションが常日頃あり、親のことを信じてくれている』すなわち親御さん(主にはお母様)が「ひきこもらせない文化」を醸成するよう努めていらしたにも関わらず、どうしてお子さんが長期間のひきこもりへ陥ってしまったのか?を考察する上で、非常に多くの啓示を与えて下さるケースとも言えます。

「東大さん」こと大野さんの経緯については、以前に『緘黙する子 と 優しいお母さん』と題した拙文で『当事者が『とても頭が固いというか融通がきかない』タイプである場合は独りでに自らの脳内で「ひきこもる文化」を構築する』、そして『過ぎるほどに優しい生育環境が苦手の忌避を助長/障碍の自覚を遅延し、失敗の蓄積と昇華が阻まれた』『家族以外の「大人」との関係性を、「かわいそう」と阻む庇護は「脳内ひきこもり」を20年30年へ引き延ばす』といった解題を、僭越ながら試みさせて戴きました。

さらに今回、大野さんが綴って下さった想い出と山田さんが文章にして下さった印象を考え合わせると、遺憾ながら「優しいお母さん」がたが息子さん達の長期ひきこもりを防げなかった所以は、やはり我が子の人格への無意識な癒着、つまり子の為した成功や失敗へ親御さんご自身の自己承認が依存しきっていた因果、と結論せざるを得ません。

前回但し書きしたとおり、我が子の為した成功へ無意識に縋り、親御さんがご自分の自己承認を修復したいと欲することは、「みんなと同じ」文化に於いてはごく自然な感情です。さりながらお子さんが、成功より失敗の方が遙かに上回ってしまう凸凹を生来抱えていた場合、我が子の人格へ親御さんご自身の自己承認が癒着したままですとお子さんが陥った「脳内ひきこもり」へ共に引き摺り込まれ、平らかで大らかな対等の親子関係に基盤する『まずは落ち着ける』日常が実現不可能になった、と拝察されるのです。

具体的な瑕疵は、お母様が息子さんの『愛用の服』をボロボロでみすぼらしいから『せめて、服ぐらい新しいのを』というご自分の価値観のみで、当人に報告・連絡・相談せず捨ててしまったこと。加えてご自分の価値観のみでお選びになった新しい服を、当人に報告・連絡・相談しないまま『部屋に置いて』非言語的に「着なさい」とお命じになったこと。辛辣な表現をご容赦願えば、我が子の人格を悪意無く、けれど平然と親の所有物であるかのように扱い続けた結果、「脳内ひきこもり」を引き延ばしてしまった。

大野さんは『今思い出して』ようやくお母様の非言語的な命令に込められた遣る瀬無さを汲み取り、『謝る機会を逸して』しまった不孝を後悔していらっしゃいますが、私は『新しい服を着ることが怖かった』当時の隆さんの繊細な感覚を、優しいお母様さえ『よくわかっていない人』だった過去へ、実に無念な齟齬と悔やまずにはいられない。

繰り返しになりますが日本の「みんなと同じ」文化に於いては、大野さんのお母様の感性は至極普通で鈍感と非難される謂われはありません。されどボロボロの服を見かねたお母様が、しかし息子さんの人格を尊重し「なぜ同じ服ばかり着続けるの?」とご自分のお気持ちをまずは報告・連絡・相談して下さる謹厳さを備えていたら、隆さんが30年近くも重い自罰を背負う顛末は無かったと妄想する敬愛を、私は抑えられないのです。

【拙ブログの関連記事】『「変な子」と「変なお母さん」』 『ひきこもらせる文化

0 件のコメント:

コメントを投稿