2019年1月2日水曜日

これまでも これからも

この4年あまり、発達障碍の二次障害で通うべき所へ通えなくなってしまった当事者・ご家族・支援者の日常を、拝読拝聴する機会に様々な奇遇で恵まれて参りました。

その『励ます力』を繋ぐ御縁に接しつつ私が抱き続けていた疑問は、お子さんがひきこもりへ到り長期に渉って継続してしまうご家庭と、すったもんだがありつつも再び通うべき所へ通い続けられるご家庭を、分かつ決め手は一体なにか?ということです。

ひきこもりのハイリスクを抱える我が娘への対処を学ばせて戴く、との必用も無論ありましたが、そもそもは私自身の好奇心が喚起して止まない疑義。そして当事者さんへの敬意と仁愛が主導するSense of Wonder の俯瞰を広めるにつれ、ひきこもりに陥るか否かを分かつのはお子さんが抱える障害特性の軽重より、むしろお子さんを取り巻いていた育ちの環境=家庭の文化が左右してきた日常である旨、徐々に拝察されて参りました。

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色々と書きたいことはありますが、何を書いても他人のプライバシーに触れる気がして、中々書けません。    
支援をする上で、もっとも大切なことは「支援している人たちの個人情報です。」    
そういえば、4年前に代表の青木から「東大さん、ブログを書いてみませんか」と言われたのです。   「自分の恥ずかしい過去を わざわざブログに出すことなんて、ありえないでしょ。」と青木に食ってかかったことを思い出しました。    
それが、今は 自分の初デートのことまで詳細に報告しようとしている自分に驚いてしまいます。    
ということで、僕の2018年の1番の出来事は「自分が とても大きく変わった。」ということです。    
そのことで「生きやすくなったし、なんか体まで軽くなった。」そんなことを感じる今日この頃です。

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5年前にもう一度 人生をやり直す決断をして、フィリピンに渡ました。   
 僕がフィリピンに旅立つその前日、母は青木に電話をしました。なんどもなんども、息子のことをよろしく と青木にお願いしていた母。    
「お母さん、お孫さんの顔を見るまで元気でいてくださいよ。」と言った青木に、「そんな夢のような日がきてくれたら嬉しいです。」と青木に返した母。    
その2日後に母は天国に召されたのです。    
青木が、こんなにも一生懸命に僕の結婚のことを世話してくれているのは、青木が母との約束を果たそうとしているからなのでは と思います。    
青木は必死になって僕の背中を押そうとしてくれていました。  「どんなことにでも前向きになりましょう。」と。しかし、中々決断ができなかった僕です。 
他人様に結婚の世話まで してもらうことに抵抗がありました。自分では何も できないんですけれど、プライドは最後まで残るんですよ。   
年の瀬に母の夢を見ました。  「隆 (僕の本名)、きっとね、隆のことを好きになってくれる人がいるよ。」「諦めないで、色々と挑戦してごらんなさいよ。」  今年は その母の言葉を実現させます。
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「東大さん」こと大野さんが初めてブログを綴って下さった日、是非とも応援の気持ちをお伝えしたい!と、興奮気味なコメントでお邪魔したことを懐かしく思い起こしました。当時は、拙宅の娘が就学前に発達障害と告知された経緯を敢えて伏せたまま、ヒトの脳の働きを趣味の範囲で勉強してきた「野次馬」と称し、はてなブログのコメント欄へ直に拙文を寄稿させて戴いてたんですよね……

2018年を総括する筆頭に、『過去10年で女性の支援は7人』のみだったにも関わらず、突如『今年だけで……現在5人』の女性当事者さんが支援を受けておられる現状を挙げて下さったこと、たいへん貴重な情報をご教示戴き感謝に堪えません。

4年あまり前、大学受験を控えた我が娘に潜在するひきこもりのハイリスクを予感し、具体的な対処を志し始めた当時は、ひきこもりは男子がなるものという認識が世間様では専ら。その頃から、僅かながらも女性への支援に言及しておられたサポートセンターの他、参考に供せる情報を見つけるのがネットの渉猟でも難しかったのですが、状況は現在も本質的に変化していない模様です。

これまでも発達障害支援の先駆であり続けたサポートセンターは、これからも当事者の・当事者による・当事者のための支援を果敢に開拓すべく、孤高の途を辿り続ける覚悟でらっしゃるのでしょう。

これまでも傍目八目の俯瞰からエールを送らせて戴いて参ったヒルマ小母ちゃんは、これからも当事者の・当事者による・当事者のための支援へ静かに熱く『励ます力』を繋ぎ続けて参ります存念です。

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