2019年1月9日水曜日

親にできる事 親にはできぬ事

この4年あまり、発達障碍の二次障害で通うべき所へ通えなくなってしまった当事者・ご家族・支援者の日常を、拝読拝聴する機会に様々な奇遇で恵まれて参りました。

その『励ます力』を繋ぐ御縁に接しつつ私が抱き続けていた疑問は、お子さんがひきこもりへ到り長期に渉って継続してしまうご家庭と、すったもんだがありつつも再び通うべき所へ通い続けられるご家庭を、分かつ決め手は一体なにか?ということです。

ひきこもりのハイリスクを抱える我が娘への対処を学ばせて戴く、との必用も無論ありましたが、そもそもは私自身の好奇心が喚起して止まない疑義。そして当事者さんへの敬意と仁愛が主導するSense of Wonder の俯瞰を広めるにつれ、ひきこもりに陥るか否かを分かつのはお子さんが抱える障害特性の軽重より、むしろお子さんを取り巻いていた育ちの環境=家庭の文化が累積してきた日常である旨、徐々に拝察されて参りました。

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2019-01-09
おかあさん、おかあさん、僕 怖いよ。山田

青木さんが僕に言った。「桜が怖いんだね。」「はい。」   
「僕も桜は怖いけれど、山田さんは どんなふうに怖いの?」と青木さんが聞いてくれました。そう聞かれても、うまく表現できないので黙っていた。    
「例えば、とても綺麗で優しそうな女性。でも背後に鋭利な刃物を持っているんだ。そして相手が安心したところで、・・・・・・」と青木さんが言ってくれた。   
僕は想像してみた。そしたら、その表現は理解できたし、僕の怖さは それに近いとも思った。   
桜は怖い。「『桜の木の下には死体が埋まっている。』と書いた文学者がいるんだよ。君の感性は素晴らしいさ。」と青木さんが褒めてくれた。   
「おかあさん、おかあさん、僕怖いよ。小学校1年の君が泣いているんでしょ。何か彼に言ってあげれば いいんじゃない。」   
「はあ?」    
「小学校1年の時の あなたの記憶が、繰り返し、繰り返し思い浮かぶんでしょ。彼は何かを求めているんじゃないの」 
「僕は安心を求めていました。」    
「彼に向かって、何か言ってあげられるとしたら、何て声をかけてあげられるかな。難しく考えないで、頭の中にあることを言葉にすればいいんだよ。声にだして言ってごらん。」    
「大丈夫だよ。もう大丈夫。心配ないからね。」と僕。   
「そうなんだ。もう心配する必要は何もない。明日に向かって、毎日 必死にやるだけ。一緒に楽しく やっていこう。」   
そういって、青木さんは 又違う場所に移動しました。
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山田さんが育ったご家庭は、『成長の源は成功ジャナクテ自己理解』と題した記事でコメントさせて戴いたように、お母様の側は息子さんの生まれ持った凸凹を「個性」として受容し、その成長を心から待ち設けておられました。ところが山田さん本人の心は、小学生の頃から「みんなと同じ」育ちが叶わなかった己に疎外感を抱き続け、『僕は出来損ないの人間なんだから』他者を信じ頼みにする資格は無いと自己を卑下し続けてきた。

親御さんが我が子の障害を受容し成長を信じて来られた「心づもり」でも、お子さん自身の心に自己承認を育む術は工夫し得なかった結果、ひきこもりという日常へ到ってしまった所以が、誠に遺憾ながら小学生の頃からお母様の視線は『おかあさん、おかあさん、僕怖いよ。』と訴える我が子ではなく、『知り合いの人』や『他のおかあさんたち』へ注がれていた旨と、お蔭様でとてもよく分かりました。ありがとうございます。

以前、ヒロさんから頂戴したご下問お応えした記事でも但し書きいたしましたが、他所様の親御さんをあげつらうのは、拙ブログの本意ではありません。されどヒロ師兄曰く『ものすごく ズレている「親の心」と「子の心」の乖離を解題しようとすると、どうしても小学生の頃から始まっている親御さんの勘違いを指摘せざるを得ないのです。

とは言え山田さんのお母様が、息子さんよりも『知り合いの人』や『他のおかあさんたち』へ視点を向けがちだったのは、致し方ない面もあるでしょう。「みんなと同じ」なら綺麗だと感じるはずの『桜が怖かった』り、ワクワクしてくるはずの『たくさんの声が耳に入ってきて、パニックになった』り、我が子の生まれ持った五感や認知が自分のものとはあまりに違いすぎ、おそらくはお母様ご自身も「他者を信じ頼みにする」拠り所となる自己承認が、既に大きく揺らいでおられたのだろうと拝察されるからです。

そんな不安を抱えつつも山田さんのお母様は、息子さんの『ギター教室に行くことにした』フリーハンドを尊重し、先生が『プロのギタリストでもなりたいのか』と質問なさるほどの猛練習へ余計な差し出口を仰らなかった配慮と我慢も、『死にたいと毎日思っていた』山田さんが『死なないで いられた』もう一つの理由と私は理解しました。

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当事者の親御さんには、ヒロさんが綴って下さったようなカウンセリングの勉強会や有名カウンセラーの講演会へ足繁く通う『頑張るお母さん』や、さらには心理や精神医療の専門職になるべく懸命な努力を重ね、臨床資格を取得なさった方までおられます。

娘への自家製療育に専念すべく自分のキャリアを早々に引退した私は、そういった皆様の志の高さに目が眩む一方、しかし「へそ曲がり」な俯瞰からは、我が子よりご自分の自己承認を修復する方へ、人生を投資しちゃった顛末なんだろうなぁと拝見している。

不躾な物言いは誠に恐縮至極ですが、親にできることは「親になる」ことのみ。そして「育つ」という行為の主体はお子さんなのですから、親には決して代行できぬ事だと一日でも早くお気づき願えたら…と、共感を寄せつつも懸念申し上げるばかりなのです。

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暴れる子 と『頑張るお母さん』』 『Parenting is Difficult or Not?

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