2019年1月17日木曜日

メンターに向く人 向かぬ人

この4年あまり、発達障碍の二次障害で通うべき所へ通えなくなってしまった当事者・ご家族・支援者の日常を、拝読拝聴する機会に様々な奇遇で恵まれて参りました。

その『励ます力』を繋ぐ御縁に接しつつ私が抱き続けていた疑問は、お子さんがひきこもりへ到り長期に渉って継続してしまうご家庭と、すったもんだがありつつも再び通うべき所へ通い続けられるご家庭を、分かつ決め手は一体なにか?ということです。

ひきこもりのハイリスクを抱える我が娘への対処を学ばせて戴く、との必用も無論ありましたが、そもそもは私自身の好奇心が喚起して止まない疑義。そして当事者さんへの敬意と仁愛が主導するSense of Wonder の俯瞰を広めるにつれ、ひきこもりに陥るか否かを分かつのはお子さんが抱える障害特性の軽重より、むしろお子さんを取り巻いていた育ちの環境=家庭の文化が累積してきた日常である旨、徐々に拝察されて参りました。

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「できないことは、できるようにするだけだ。自分1人では できないことも まじかにみていてくれる人がいれば、その人がアドバイスをしてくれるので短期間で、できるようになる。」と言われても、「あせるんですよ。」    
「だって、こんなこと自分と同じ年齢の人たちは軽くクリアしているんでしょ。」「僕が こんなことで、1年間の自分の貴重な時間を使ってしまうのか と思うと、焦るんですよ。」    
毎日 入浴。めんどくさい。「あまり汗をかかないから、2日に1度でダメですか。」と聞いたら「毎日はいってくださいね。」と やんわりと返された。   
「熱が出ても、風呂には毎日はいるんですよね。」「はい。そんな言い方はしていませんよ。わかっていますよね。」と また返された。    
そんなことを言ってしまう自分が情けないと気づく僕です。   
すぐに銭湯に行って、体の洗い方をスタッフが教えてくれるという提案だったけれど、他の人と入浴なんて気持ちが悪いので「ありえない。」と丁寧にお断りしました。    
「どうせ、洗い方に問題があるというんでしょ。」「ハイ、ハイ、ハイ、どうせバカでしょ。俺はバカなんでしょ。」「死んだほうがいいよって言いたかったら、言ってくださいね。そっちの方が僕は気が楽だから。」     
はあ、ほんと なんで こんなんなんだ。僕はサポートセンターの特訓をやり通せるのか。途中退場。それは「死を意味するな。」と深刻に考えていた僕です。

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2019-01-17
30年ひきこもった僕から山田さんへ。東大

山田さん、大丈夫なんですよ。東大出て、30年間も部屋で じっとしていただけの僕にも できないことは、いっぱいあります。    
情けなくて、死んでしまいたいと思ったこともあります。でも死ねなかったです。    
できないことがあっても、だれかに助けてもらえばいいし、他の人が できないのに、自分は できることがあれば もっといいんですよ。    
僕は仕事も もらえて、お給料も いただけるまでになりました。今年はなんとかして結婚をと考えています。    
もうすぐ60近い男なんですけれど、夢は捨てていません。

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前回の末尾に、『滅私のご意志が据わっておられない限り親御さんが自らメンター(仮) を任ずることは、まず不可能と書かせて戴きました。この「滅私=私利・私情を捨てること」というのは当事者さんを『まじかにみて』『アドバイスをして』いく上で、対等な関係性を構築する基盤として極めて重要な「意志」になると私は拝察しております。

と申しますのも、Mr. Joeが山田さんへ宛てて呼びかけて下さったとおり、ようやく支援への伝手に繋がれた当事者さんたちを阻む第一の関門は、『自分の力で なんとかしよう』『他人の いいなりになるのは、好きじゃない』『他人の手を借りる必要など ない』『こんな状況、バカにされるだろう』といった、他者を信じ頼みにして良いという自己承認の不備不足。支える側が、ほんの僅かであっても私利私欲の片鱗を覗かせただけで、彼らは差し出された他者の手を振り払ってしまうほど、ナイーヴなのです。

さりながら拙ブログは、我が子を働き手・稼ぎ手と見做す文化を、否定する意図はありません。共に家庭を営む協働者として、お子さんに家事や家計を分担してもらう導きは、むしろ対等な関係性を親子の間に構築する具体策として、たいへん有効でしょう。

拙文の謂う「滅私」とは(ネットの渉猟だけでも多数散見される実例から、反面教師に挙げる不躾をご勘弁願えば)、お子さん/当事者の努力が結実した成果を、親御さん/支援者の自己承認の修復へ迂闊に転用せぬ謹厳さです。Mr. Joeに引き続いて、「東大さん」こと大野さんにも「大丈夫なんですよ」と『励ます力』をご継承戴けた記事、本邦随一の最高学府でも学び得なかった「滅私の意志」を、遂に体得叶った証左とありがたく拝読いたしました。

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