2018年12月29日土曜日

ごめんなさい が言えなくて

消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へのコメント寄稿は、今後暫定的にBloggerへ移転してみます。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。

***

2018-12-28
古着配布のボランティアで問題発生!! 東大

小学校側と色々話し合った結果、クリスマス会を午前7時から始めることにしました。式辞が午前10時です。   
それまでに終われば良い とのことでした。 
それで、午前5時には小学校について準備をしていましたら、6時になって、SPの人たちが準備の為に来られました。   
私たちに、ボランテイア団体の登録証明書を提示するように言ってきました。そんなことは初めて言われたので、事務員に登録証明書を持ってきてもらいました。   
証明書を提示するまで、準備は中断させられました。 証明書を見せたのち、急いで準備に取り掛かかったら、「1時間で全てを終了しなさい。」との命令でした。   
しかも古着配布は許可されませんでした。あとで、校長先生から聞いた話では、「テレビカメラも入るので、視聴者に貧しい小学生の姿を見せられない。」という大人の事情でした。   
私たちは とても悲しかったです。子どもたちは「新しい服で、クリスマスを迎えることができる。」と心待ちにしていたのです。   
それでも、スタッフたちは子どもたちの前では笑顔で、愉快なダンス、コントを披露しました。食事を配布して、いつもなら古着の配布の時間です。   
「みなさん、今年は古着の配布はできません。ごめんなさい。来年の1月に変わってしまいました。」とスタッフがアナウンスをしたら、子どもたちから悲鳴のような声が上がりました。  「どうして!!」の声がだんだん大きくなって、司会のスタッフは泣いてしまったそうです。   
校長先生が助け舟を出してくれて、その場は治りました。   
ということで、来年1月に古着配布をおこないます。急いで、古着をご用意してくださった皆様、ごめんなさい。皆様のご好意を無駄にしてしまいました。  
 1月の古着配布の様子を またご報告させていただきます。   
本当に ごめんなさい。

***

いやはや、これは驚きました。
まだ年は明けていませんが、おめでとうございます!

ほんの2,3年前まで、あの穏やかで衒いの無い俊介さんをして『とても頭が固い というか融通がきかない』と呆れさせるほど、認知の凸凹が強烈だった「東大さん」こと大野さんが、ご自分には全く非の無い状況だったにも関わらず『皆様、ごめんなさい。』『本当に ごめんなさい。』と謝罪を述べておられるのです。これを言祝がずして、何を言祝ぐべきだと言うのでしょうか!?(念のため但し書きしますが、これは反語的表現です。)

誠に目覚ましい成長体験を遂げられました。実のところ、自分に明確な非があったと心底納得できない限り、決して『ごめんなさい』と言わない(言えない?)のは拙宅の自閉圏当事者(夫と娘)にも共通する認知特性なのです。

大学4年の娘は、日本語の『ごめんなさい』は単なる謝罪の語句ではなく、他者と繋がり社会と呼応する知恵が込められている旨、十数年に渉る自家製療育でようやく身に付いてきた模様ですが、50代の夫は依然『頭が固いというか融通がきかない』まま。殊にカサンドラ状態だった母親の正論で抑圧されていたPTSDが喚起されると、文字通り梃子でも動かない頑固さなので、彼の凸凹の修整は物好きな私も諦めかけていました。

さりながら数歳年長の「東大さん」でも、ご自分には全く非の無い事態にさえ『ごめんなさい』が言えるまでの成長を遂げられたのですから、まだまだ希望はありますね!

大学の教養科目で臨床心理学を受講した娘から、今は「発達=生まれてから死ぬまで一生成長しつづけること」と捉えられていると教示された概念も頼みに、諦めずもうひと踏ん張りしてみようと気を取り直せました。本当に どうもありがとうございます!

【拙ブログの関連記事】「カサンドラの呪縛」 「カサンドラの孤立

2018年12月28日金曜日

『励ます力』の継承

消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へのコメント寄稿は、今後暫定的にBloggerへ移転してみます。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。

***

2018-12-27
君は大丈夫。
僕だって大丈夫だったんだからね。Mr.Joe

僕、おもうんですよ山田さん。 
 今まで、自分の力で なんとかしようと思っていませんでしたか。その結果は と言うと、何も よくなってないでしょう。 それどころか、時間がたつにつれて、焦りばかりが出てきた。  
だから ここは、自分のスタイルを捨ててしまいませんか。そこから 新たな世界が始まりますよ。  
僕が そうでしたから。自分の力で なんとかしようとしたって、何も できやしない。もがき苦しむだけですよ。   
でも他人の いいなりになるのは、好きじゃないって思っていませんか。誰もが そう思って、他人からの支援の手を掴み損ねるんですよ。   
僕は、青木さんと東大さんが訪問してくれて、色々と丁寧に説明してくれました。  
でも、その支援の手を掴むことは しませんでした。他人の手を借りる必要などない とおもったからです。すでに20年近く ひきこもっていたのに。  
どうせ、こんな状況なんだから、バカにされるだろうと思っていました。  
でも、今は こう思いますね。もっと早くに白旗をあげて、全面降伏して、他人に助けてもらうべきだったと。  
まあ それがわかっただけでも よしと思っている僕です。 
大丈夫ですよ。本当に大丈夫。
***

社会との物理的な距離を克己なさった当事者さんが、後に続く仲間へ綴って下さったコメントに、勝るものはありません。という次第で、拙ブログの方は一呼吸置かせて戴いておりました。

『君は大丈夫。僕だって大丈夫だったんだからね。』とMr. Joeが送って下さったエールは、ヒルマ小母ちゃんが長年「心の師匠」と仰いでおりますZ会渋谷教室長の長野先生と、奇しくも全く同じ文言。かつて「『励ます力』の連鎖」と題した拙文で繋がせて戴いた御縁が、4年の歳月を経て美しく連環を遂げた感銘にしばし耽っていたのです。

「自信が無いから、ひきこもるしか無い。」
当事者の皆さんは一様に、社会から物理的に距離を置いた理由を、そう述べます。

すると親御さんも支援の専門家も、ご自分の五感や認知だけを鑑み「失敗体験を上回る成功体験があれば自信がつくはず」とお考えになってしまうケースが続出する。実際、私が『励ます力』の御縁を繋がせて戴こうと目論んだ心理の専門職も、誠に遺憾の極みながら4年経っても当事者さんたちと対等な視点へはおいで下さらず、『失敗体験<成功体験』なぞという公式を立て成功による失敗の補塡を依然考えておられるのです。

確かに「自信が無いから、ひきこもる」との弁は、社会と物理的な距離を置いた彼らの状況を説明する上で、至極合理的に聞こえます。さりながらMr. Joeが具体的に表現して下さったように、当事者さん自身の『自分の力で なんとかしよう』『他人の いいなりになるのは、好きじゃない』『他人の手を借りる必要など ない』『こんな状況、バカにされるだろう』といった感情や認知へピッタリ寄り添うと、彼らの不備不足は「自信=自らへの信頼」ではなく「他者を信じ頼みにする」旨とハッキリ分かってきます。

なればこそ『失敗体験<成功体験』なぞという公式で、一応は失敗を容赦しつつも成功による補塡を迫る「上から目線」な態度にあっては、当事者の他者への信頼は一層の不備不足へ陥るばかり。子育てのお勉強に励んだ親御さんがいくら懇切な意見をなさろうと心理を学んだ専門職がいくら親身なカウンセリングに務めようと、『その支援の手を掴むことは しない』彼らの方が道理に適っていると、へそ曲がりな私は思うのです。

ひきこもり当事者さんたちの謂う「自信」とは、親御さんや専門家が考えがちな成功によって増進される「自らへの信頼」ではなく、失敗を何度繰り返そうと『君は大丈夫。』と承認し『励ます力』を注いでくれる「他者を信じ頼みにする」力なのです。ひきこもりに自閉圏と診断されたケースが多い所以は、自我他我の認知に凸凹を抱え「自らへの信頼」と「他者への信頼」を混同しがちな特性の所為かと私は拝察しています。

【拙ブログの関連記事】『回復への初歩は失敗を書くこと

2018年12月27日木曜日

運がいいとか、悪いとか

消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へのコメント寄稿は、今後暫定的にBloggerへ移転してみます。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。

***


僕は30年間近く 家でひきこもっていました。
年老いた母に代わり、親戚の人たちも全国の施設を調べたりしてくれましたが、多くは障害者の人たちの支援をする場所で、僕の支援はどこも引き受けてはくれなかったのです。 
話は変わりますが、僕のおじは うつ気味で、本人は困っていました。
そのことを知った上司がうつ治療の特集をしていたテレビ番組を録画したものを、おじに渡してくれたのです。 
その番組が終わった後も引き続きDVDに録画がされてありました。
その あと番組が、ひきこもり支援をしている青木さんが特集された番組だったのです。 
20年、30年とひきこもった人でも、40代でも回復に至る場合もあると、はっきりと話している青木さんの姿。
そして、一生懸命 訪問を繰り返している様子を見たおじは、自分の鬱のことより、「ついに見つけた!!」と番組で紹介された団体名で検索して、30分後には青木さんに電話をいれてくれました。 
それが、今から6年前です。 
僕は運が良かったのでしょうか。
おじが 鬱でなければ、そして上司が そのことを知らなければ。
僕は無くなった母の後を追っていたと思います。 
運がいいとか、悪いとか・・・そんなことは僕にはわかりません。 
ただ、いただいたメールで教えられたことは、もっと自分のことを情報発信する必要があると思ったことなのです。
こんな大変な状況でも、諦めずに的確な支援を受ければ、回復して社会に戻ることができるのです。 
その事実を探している人たちがいるのです。頑張ります。

***

「東大さん」こと大野さんは、御年58歳。私よりいくつか年長でらっしゃるのですが、ほぼ同世代ですので『運がいいとか、悪いとか』との一節で思い起こすのは、やっぱりさだまさしさんの『無縁坂』なのかも……などと想像を巡らせつつ拝読しました。

歌詞では『そういうことって確かにあると あなたをみててそう思う』と続くのですが、私としては大野さんと同様に『そんなことは わからない』と感じています。そして大野さんのお母様も、きっと『運がいいとか、悪いとか……そんなことは わかりませんよ』という大らかで平らかな心根を、生涯お持ちでいらしたように拝察します。

お目もじすることは叶わぬ願いとなり果ててしまいましたが、大野さんのお母様がひきこもり続ける我が子へ、何十年も変わらぬ鷹揚なお心構えで『「諦めない限り、必ず希望はあるんだ。」と励まし』続けたご覚悟は、私にとって誠に貴い稀有なお手本です。

大野さんのおじ様が、上司から懇切親身なご心配を賜るほど誠実な、そして『自分の鬱のことより』甥のひきこもり支援を優先するほど利他なお人柄だった旨も、きっと『運がいいとか、悪いとか』という人間の力だけではどうにかすることが難しい、原因・結果の理屈には当てはめられない「偶然」なぞではなく、お母様のご覚悟が丹念に丁寧に粘り強く切り拓いて下さった「必然」の隘路だったのだ、と私は理解しております。

この記事で大野さんが綴って下さった、他者への希望のためにこそ自分は幸せになる!というご覚悟も、お母様おじ様から連綿と受け継がれた血の為せる必然なのでしょう。

【拙ブログの関連記事】『「親になる」のは難しくない?

2018年12月25日火曜日

回復への初歩は失敗を書くこと

消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へのコメント寄稿は、今後暫定的にBloggerへ移転してみます。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。

***

2018-12-25
58才人生初デートは消滅。東大

ついに疲れが溜まった僕は、体調を崩してしまいました。
それで、急遽 青木が僕の住む街に かわりに来てくれるのです。 
「こんな状況ですから、デートを辞退するしかないです。」
「残念だけれど、今は生徒の回復に一緒に全力をそそぎましょう。」と青木。 
そんなことで相手の女性にお断りのメールを送った後、改めて電話をしました。 
「『引きこもり』そんな状態は聞いたことがないです。日本固有の症状? 100万人の若者が、親以外との交流を持つことができない? 日本の話ですよね。私が理解できるように もう少し話してください。」 
大勢の若者が ひきこもっているという状況は、世界中でも日本と韓国にしか見られないのです。
それを理解することは できないと思います。 
「東大さん、丁寧に説明をしてくださって ありがとう。あなたの誠意は感じました。」

「しかし、ごめんなさい。私は とても かなしいのです。看護学生にとって、クリスマスが とても貴重な休みだということを理解してください。それをあなたに ささげたのです。少し、時間をください。また私からメールをします。Merry Christmas and Happy New Year !!」 
働いてお金を貯めて、看護学部に席を置く、24歳の彼女。
とても綺麗な女性でした。
そして思慮深くて、優しさも持ち合わせてもいました。 
正直、好きになっていた僕でした。
しかし、大丈夫です。 
「次行こ、次」って青木の言い方に笑ってしまった僕です。

***

「自信が無いから、ひきこもるしか無い。」
当事者の皆さんは一様に、社会から物理的に距離を置いた理由を、そう述べます。

すると親御さんも支援の専門家も、ご自分の五感や認知だけを鑑みて「失敗体験を上回る成功体験があれば自信がつくはず」とお考えになってしまうケースが続出する。されど生来の五感や認知に凸凹を抱えるゆえ「みんなと同じ」育ちが叶わなかった、すなわち発達障害と称された当事者さんご自身の五感や認知に寄り添うと、彼らにとっては「失敗体験を上回る成功体験があれば」との設定が無理ゲーだと分かってきます。

この数日、Mr. Joeと山田さんの記事へ、以下の拙文を寄せさせて戴いて参りました。


これら表題を整理すれば

当事者さんに自信を育むには、成長こそ必要
成長を体験させるには、自己理解こそ必要
自己理解には、当事者が失敗書くことこそ必要

との論旨になります。もっと簡単にまとめると、社会から物理的に距離を置くことを選んでしまった当事者さんへ、再び他者と繋がり社会へ呼応する自信を育むためには

失敗を懼れずに経験する
失敗を自ら体験として書く
失敗を素に自己理解を促す
失敗成長体験へ昇華する

といった具合に当事者さんご自身の五感や認知へ寄り添うと、多くの親御さんや支援の専門家がお考えになってしまう「失敗体験を上回る成功体験」という無理ゲーとは全く逆に、むしろ失敗をこそ回復の材料へ転換する方がよほど筋が良いと分かります。

では多くの親御さんや支援の専門家は、どうして上述の方策を選ばない(選べない)のか? 歯に衣着せぬ不調法をご容赦願えば、自ら失敗について書くよう当事者さんを導くのが極端に面倒くさいゆえに、きっと最初から不可能だとお考えだからでしょう。

まず第一に十中八九、彼らは書字が極端に苦手です。イラスト担当のBambooさんが『字が汚くて ごめんなさい…』と律儀に綴って下さったとおり、当事者の皆さんはご自分の書字に自信がありません。その罪悪感にも近い自信の無さは、書字の美醜が人格をも象徴すると捉えがちな東アジア特有の文化に起因している(日本以外の国ですとひきこもりは中国や韓国でしか見受けられない、というサポートセンターの知見は興味深いですね)と私は拝察しています。

そして第二に間違いなく、彼らは自分の経験を文章化↔文章から他者の経験を共有することが極端に苦手です。生来の五感や認知に抱える凸凹の所為で『頭が混乱してしまう』ため、『答えは1つだけで、はっきりして』いる教科だけに注力しがちで、国語教育を受けても「みんなと同じ」やり方では全く身に付きません。ヒロさんが幾度か綴っておられたとおり、日本語特有の語用論の障害も大きく影響していると考えられます。

なればこそ状況に拠っては、当事者さんに「書く」という行為を自発させるため、日本ないし東アジア以外の国へ住環境を変更することさえ必要となってしまうのです。

しかし、たとえ親御さんが懸命に本邦随一の最高学府へ現役合格できるような教育を施したとしても、彼らを「自ら失敗について書く」ことへ導けぬ限りひきこもりの危惧が拭えぬ旨は、「東大さん」こと大野さんが身を以て証して下さったとおりなのです。

【拙ブログの関連記事】『緘黙する子 と 優しいお母さん

2018年12月24日月曜日

自己理解の源は成功ジャナクテ失敗

消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へのコメント寄稿は、今後暫定的にBloggerへ移転してみます。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。

***

2018-12-24
笑ってください、僕の馬鹿さを。山田

僕たちのようなタイプの人たちは、目に見えないものはないものと同じだということなので、戸棚にしまうのではなくて、ラックに置いて いつでも見えるようにしておくことが大切だ とスタッフから教わりました。 
それで、僕はホームセンターに行ってラックを買いました。
ちょうど、展示品ということでラックが安売りをしていました。 
それを購入したのですが、ホームセンターのスタッフが分解しようとしたのを見て、僕はストップをかけました。 
僕は組み立てられないのです。
そのことをスタッフに伝えたら「簡単だよ。5分もかからないさ。小さな子どもだって できるんだから。」と笑って僕に言いました。 
「その小さな子ども以下が僕なんだよ!!」と心の中で叫びました。 
分解させない理由を考えました。
「僕は とても忙しい人間なんだ。5分という時間がないから そのまま持って帰るね。」
ホッとしました。 
レジでお金を払いタクシー乗り場で待っていると あることに気づきました。
「このままではタクシーには乗らないです。」
仕方がないので、売り場に戻り、スタッフの人に上だけ取ってもらって小さくしてタクシーに乗って帰りました。 
サポートセンターのスタッフからは「分解なんかが必要な時は必ず、分解前の写真を撮っておきなさい。」と言われていましたが、携帯が充電切れで写真を撮れませんでした。 
自分の部屋に帰って、組み立てようとしたら、1番上の部品がありません。
タクシーは降りる時に3度 見直しました。
だから、分解したときに、スタッフが入れ忘れたのです。 
こういうことが あってはいけないので、念には念を入れて、このざまです。やっぱダメなんだ。

***

おそらく親御さんも支援の専門家も、ご自分の五感や認知だけを鑑みて「失敗体験を上回る成功体験があれば自信がつくはず」とお考えになってしまう方々は、当事者さんの『小さな子ども以下が僕なんだよ!!』『やっぱダメなんだ。』『こんな人間は生きてはいけない』『この世の中から いなくなった方がいい』『こんなバカはフィリピンに来ても何も変わらない。』といった自暴自棄な独白が、かわいそうで気の毒で居たたまれないあまりに「失敗体験を上回る成功体験があれば」と思ってしまうのでしょうね。

されど生来の五感や認知に凸凹を抱えるゆえ「みんなと同じ」育ちが叶わなかった、すなわち発達障害と称された当事者さんご自身の五感や認知に寄り添うと、彼らにとっては「失敗体験を上回る成功体験があれば」との設定が無理ゲーだと分かってきます。

だって「失敗体験を上回る成功体験」を積ませるためには、現在の当事者さんが間違いなく出来ることしか経験させられなくなってしまう。それは山田さんならご自身でも『小さな子ども以下』と重々承知しておられる、『片付けの仕方をしらない』どんなに簡単な物でも『組み立てられない』『できないことが たくさんありすぎて、歳だけとって中身は空っぽな人間』として生き続けろと命じているも同然の残酷な仕打ちです。

傍にいる者がかわいそうで気の毒で居たたまれなくなるほど、自暴自棄な当事者さんの独白は全て反語ではないかと私は理解しています。『小さな子ども以下が僕』は「僕は小さな子どもじゃない!!」と読み解くべきですし、『こんな人間は生きてはいけない』『この世の中から いなくなった方がいい』は「この世の中で生きていける人間に成長したい!!!」と、『こんなバカはフィリピンに来ても何も変わらない。』は「せっかくフィリピンまで来たんだぞ。何としても変わってやる!!!!」と聴き取るべきではないか。

Mr. Joeが綴って下さったとおり『自信は自分で勝ち取るもの』ですから、たとえ親御さんでも支援の専門家でもご自分の五感や認知だけを鑑みて、勝手な条件を設定なさらないで戴きたい。「みんなと同じ」育ちを辿ることが叶わなかったほど生来抱える凸凹が大きいのですから、失敗の方が成功を上回る旨こそ自然と捉えるべきですし、殊に支援の専門家を名乗る向きには当事者の真意をこそ汲む力をぜひ備えて戴きたいものです。

【拙ブログの関連記事】
消極的な敵意・積極的な善意』『“合理的配慮”てコレやがな!

2018年12月23日日曜日

成長の源は成功ジャナクテ自己理解

消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へのコメント寄稿は、今後暫定的にBloggerへ移転してみます。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。

***


じゃあ、どうすればいいんだ。 
なんで、僕は こうなんだ。
とにかく その疑問に答えてくれる人が欲しかった。 
母親が「サポート日記」と言う名前のブログを時々読んでいました。
青木さんが書いていたブログです。 
それで、僕と同じような体験が書いてあったので、母親が たくさんの記事をプリントして僕の部屋に持ってきてくれました。 
僕は そのブログを読んで驚きました。
それは まさに僕でした。 
僕と同じような体験をしている人がいたのかと驚くと同時に、その人が どんな状況なのかを知りたくなりました。 
僕は母親とは数年 顔を合わせてませんでした。
家族ですら、怖くなって、顔を合わせられなくなったのです。 
紙に「青木と言う人に会いたい。今、すぐに助けて欲しいと伝えてください。大至急お願いします。」と書いて、夜中に食堂のテーブルの上に置いておきました。

***

なるほど、なるほど……
『今、小、中のことを思い出しても、頭が変に』なってしまうのを堪え、一生懸命に『何十回も書き直し続け』て下さって、本当にありがとうございます。

山田さんはどうして『青木さんに、電話をして「いますぐに話を聞いてください。」とお願い』する勇気を奮い起こし、人間の力だけでどうにかすることが非常に困難な原因・結果の理屈には当てはめられない(ということは、お得意な数学でも解答できない)「偶然」から、脱出する一歩を踏み出せたのか? その経緯が、お蔭様でとてもよく判りました。

この数年はご家族でさえ山田さんの状況が『怖くなって、顔を合わせられなくなった』のに、唯一お母様は『どうすればいいんだ。』『なんで、息子はこうなんだ。』とご本人と同じ疑問を抱き続け『答えてくれる人』を探し続けて下さったから、本来は人間の力だけでどうにかすることが難しい「偶然」を、突破する一歩が踏み出せたんですね。

お母様が息子さんの『数学は美しい』『数学は芸術だ』という五感や認知へ寄り添って『高校には行けなかったけれど、数学の問題集を買って』下さった件も、息子さんの『どうすればいいんだ。』『なんで、こうなんだ。』という疑問や不安へ寄り添って『同じような体験が書いてあった』『たくさんの記事をプリントして』下さった件も、山田さんの自己理解を支え成長の萌芽を大事に育んでいた旨、とてもよく判りました。

山田さんは、気づいておられなかったかも知れません。でもお母様が、息子さんの生まれ持った多様性を「個性」として受容し、その成長を心から信頼し待ち設けておられたからこそ、山田さんは成長の根源たる自己理解へ到れた経緯、私にはよく判りました。

2018年12月22日土曜日

書くことは成長体験への第一歩

消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へのコメント寄稿は、今後暫定的にBloggerへ移転してみます。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。

***

2018-12-22
僕は みんなと同じことが できないので
死ぬしかない。山田

どう文章を書いていいのか わからない。  
でも、書きたいと思ったことがあったから、書きました。 
僕はバカな失敗をしてしまいました。それで、もうやっぱりダメだから、本当に死んでしまいたいと思いました。 
 青木さんに、電話をして「いますぐに話を聞いてください。」とお願いしました。「そうしないと死んでしまうかもしれない。」と おもったからです。 
「わかりました。今から行くので、6時間近くかかるけれど、待てますか」と言ってくれたので、「待てます。」と答えました。 
 サポートセンターのスタッフに手伝ってもらって、文章を書きました。 
「落ち着きなさい。」 
「あなたに1番大切なことは落ち着くことですよ。」 
スタッフから何百回も言われています。  
ありがとう。

***

はじめまして、山田さん。
ヒルマ(私も仮名です)と申します。
50代の女性。「ヒルマ小母ちゃん」とお呼び戴くのが、一番シックリ来る年齢です。

家族は夫と、大学生の娘です。
拙宅は猫を飼いたかったのですが、ずっと賃貸住まいでまだ願いは叶っていません。
今は「専業主婦」と名乗るも烏滸がましい、家事兼業の自宅警備員をやっています。


まずは、山田さんへ「ありがとう」とお礼申し上げます。

『どう文章を書いていいのか わからない』のに、『Joeさんのブログを読んで 僕の気持ちを出したいと』書く決断をして下さったからです。そして青木先生へ連絡して相談したり、スタッフさんに手伝ってもらったりする、勇気を奮って下さったからです。

山田さんが一生懸命書いて下さった小学校での様子を読んで、私の娘も小学生だった頃は全く同じ感じだったなぁ、と思い起こしました。

でも娘は、たまたま小学5年生の時、後に特別支援教育へ転向なさったS先生という担任に巡り会えたお蔭様で、「大学へ入ってからの方が、上手くいく」という見通しが立ち、辛うじて『学校に行けなくなって』しまうことは免れました。

それからこれも偶然ですが、私が中学高校の教員免許を取るため教職課程を履修していたので、娘が『作文もどう書いていいのか、わからない。夏休みの自由課題も何をして良いのかわからない』時、どうすれば良いか辛うじて導けたのだとも自負しています。

とは言え私は、山田さんが『学校は恐かったので、行けなくなってしまった』ことや、お父様の転勤先でも『ずーっと家に』『ひきこもって』しまったことを、山田さんを担任なさった学校の先生がたや親御さんの所為にしたいわけではありません。

「偶然」というのは、人間の力だけではどうにもならないこと、原因・結果の理屈には当てはめられないことを、表す言葉なのですから。


そして私は、山田さんへ「おめでとう」とお祝い申し上げます。

『バカな失敗をして』『やっぱりダメだから、本当に死んでしまいたい』と追い詰められたのに、『「そうしないと死んでしまうかもしれない。」と』考え『青木さんに、電話をして「いますぐに話を聞いてください。」とお願い』する勇気を奮えたからです。

山田さんはご自身の力で、人間の力だけでは本来どうにかすることが難しい、原因・結果の理屈には当てはめられない「偶然」から、脱出する一歩を踏み出せたからです。

【拙ブログの関連記事】『読む。考える。そして、書く。

自信の源は成長にして成功に非ず

消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へのコメント寄稿は、今後暫定的にBloggerへ移転してみます。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。

***

2018-12-21
やっていけるという自信が大切 Mr. Joe

「バンブー」さんは良かったね。
少しは自信がついたと感じたのかな。
自信は自分で勝ち取るものなんです。 
自信を得るには何かをやって、それが他人様から認められて、初めて自信となるのです。 
素敵なイラストを描いて、何人かの人から問い合わせが来たんですって?
あああああ、良かったな。
良かった。 
なんか涙が出てきました。
ありがたい。
皆さんの優しさを感謝します。 
たくさんの仲間が僕の周りで毎日必死になって、社会に戻るための練習をしています。 
皆さんの周りにも、「どうしたらいいのか」と声には出さないけれど、大きな不安の中に独りでいる人たちがいます。 
そんな人たちに、来年こそは良い年になるようにと願っています。

***

この十数年来、ネットの渉猟で拝見して参った限りではありますが、親御さんも支援の専門家も「失敗体験を上回る成功体験があれば自信がつくはず」と、ご自分の五感や認知だけを鑑みてお考えになってしまう大人たちが、誠に遺憾ながら後を絶ちません。

されど生来の五感や認知に凸凹を抱えるゆえ「みんなと同じ」育ちが叶わなかった、すなわち発達障害と称された当事者さんご自身の五感や認知に寄り添うと、彼らにとっては「失敗体験を上回る成功体験があれば」との設定が無理ゲーだと分かってきます。

だってこの国では、「みんなと同じ」でないことは全て「失敗」と烙印されてしまうのです。ならば最初から「みんなと同じ」でない自分には、失敗体験を上回る成功体験なんて無理と考えて、『社会から物理的に距離を置く』すなわち「ひきこもり」しか生きる術が無いと下した判断は、彼らの五感や認知に寄り添うかぎり到って当然でしょう。

Mr. Joeが綴って下さったとおり『自信は自分で勝ち取るもの』なのですから、たとえ親御さんでも支援の専門家でもご自分の五感や認知だけを鑑みて、勝手な条件を設定なさらないで戴きたい。「みんなと同じ」育ちを辿ることが叶わなかったほど生来抱える凸凹が大きいのですから、失敗の方が成功を上回る旨こそ自然と捉えるべきなのです。

なればこそ、大人たちから「失敗体験を上回る成功体験があれば」という無理ゲーを強いられ、「ひきこもり」を選ばざるを得ないという判断へ追い詰められてしまった当事者さんたちに再び自信を回復して戴くためには、失敗成功の如何を問わず『何かをやって、それが他人様から認められ』た旨を彼ら自身が実感できる「成長体験」が必須。

とは言うものの、たぶん「失敗体験を上回る成功体験があれば自信がつくはず」とご自分の価値観だけに囚われてらっしゃる大人たちは、お気の毒ながら成長と成功の違いさえ気づいておられないかも知れません。たとえ『何かをやって、それが』失敗に終わっても、当事者と対等な視点にありさえすれば成長への昇華は必ず導けるのですが……

【拙ブログの関連記事】
Parenting is Difficult or Not?』 『「親になる」のは難しくない?

2018年12月21日金曜日

ゴールは就労ジャナクテ自己投資

消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へのコメント寄稿は、今後暫定的にBloggerへ移転してみます。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。

***

2018-12-20
程度の悪いアスペな俺。自己投資をする。 ヒロ

残念ながら、僕には その仕事が務まらないということが、面談していただいたときに わかりました。しかし、社長さんから いろいろとアドバイスを頂きました。 
1、日本は いまだに新卒採用。しかし、最近は能力や経験値が高ければ、中途採用で良い仕事につける。 
だから ひたすら、自己投資をして、能力を高め続けなさい。能力がなければ、アルバイトのまま一生を過ごすことになるよ。 
日本には たくさんの求人がある。しかし、それは それぞれの企業が求める能力を有している人限定だ。 
能力がない僕が、いくら「やる気」を見せても どうにもならない。だったら、企業で必要とされる能力を獲得すればいいんだ。 
企業が、社員を育てるという 日本式の やり方が変わっていく。日本という国に頼ることも できなくなる。国民1人1人が、自分の頭で考えて行動する時代になった。 
非常に有意義な話を聞くことができました。 
でも、これ、青木さんが随分昔から言っていたことです。 
「いいか、英語は話せて当たり前だ。英語なんて道具でしかない。」
「日本のことに とらわれず、世界に目を向けて いれば良い。」 
それで熟考に熟考を重ねた結果。「自己投資をする。」という結論に達しました。
***

大学の教養科目で臨床心理学を受講した拙宅の娘から教えられたことなのですが、昔は「発達=子どもが大人になること」という考え方だったけれど、今は「発達=生まれてから死ぬまで一生成長しつづけること」と捉えられているそうです。

就学前に発達障害の見立てを下された娘に、私は「自己理解のために、ぜひ受講しなさい」と、今振り返ればどこか上から目線で臨床心理学を奨めました。でも、人と人とが一生成長しつづける者同士として向き合う、対等な関係性こそ健やかな「発達」を支える要諦だと、年少の娘の方から更新された概念でそのとき諭されたように感じました。

ヒロさんが大学を卒業なさって以降、疾風怒濤の紆余曲折を率直に綴り続けて下さったお蔭様で、大学4年目を迎えた私ども母娘は、卒業単位を満了し質の高い卒業研究を完遂することへ専念する覚悟を据えられました。同級生の「みんな」から1年遅れて就活を始めた娘は、来年度の進路が未だ定まってはおりませんが、当人は到って意気軒昂。

『英語は話せて当たり前だ。英語なんて道具でしかない。』
『日本のことに とらわれず、世界に目を向けて いれば良い。』

青木先生のお言葉、実はそっくりそのまま私が娘へ繰り返してきた informed consent でもありました。生来の五感や認知にどれほど凸凹を抱えていても「みんなと同じ」育ちを辿ることが出来なくても、ゴールを就労ジャナクテ自己投資と定め成功を要求すること無く失敗を成長体験へ昇華する旨に邁進し、『自分の頭で考えて行動』できるまで丹念に丁寧に自己理解へ寄り添えば、ひきこもりの危惧を克服できると私は考えています。

【拙ブログの関連記事】

2018年12月19日水曜日

自己理解に徹せばチートは不要

消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へのコメント寄稿は、今後暫定的にBloggerへ移転してみます。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。

***

2018-12-19
自分の力で稼いでいけるようになりたい。ヒロ

サポートステーションの記事を読んで、突然昔の記憶が蘇り、青木さんに その人のことを聞きなおして書いたのです。 
その人は、ITの専門学校に入学したのが30才過ぎでした。
名前をケンさん(仮名)とします。 
ケンさんは、高校中退後にひきこもり、青木さんが訪問して支援につながったのが27歳。それから、3年間の支援を受けて、アルバイトにつけるまでになりました。 
アルバイトも順調に行っていた時に、オーナー店長さんが病気になられて、店を閉じてしまいました。青木さんにすすめられて行った「ハローワーク」で、自分の置かれている現実を知りました。 
そして、青木さんと話す中で、ITの専門学校に行くことを決めたのです。 
支援をしている3年間、サポートセンターでは、毎日違うことをやっていました。何が向いているかは、実際に色々とやってみてわかるものです。 
パソコンを触ることに抵抗はなく、すぐにエクセルなどをマスターしていたのです。そんな下地がありましたので、ITの専門学校を勧めたのです。
***

なるほど、なるほど……
ヒロさんは最初に『勝手に想像』『全てフィクション』と但し書きしておられましたが、実際は『昨日の記事にはモデルが』おいでだったのですね。拝読した際、私が唐突な展開だと違和感を持ってしまった所以は、スギさんよりずっと以前に支援を受けた「ケンさん」の経緯を、そのまま継ぎ足したノンフィクションだった所為でしょう。

当時はヒロさんを励ますためケンさんがかけて下さった言葉も『耳を右から左に通り過ぎていった』ということは、ケンさんが支援を受け始めたのは少なくとも10年近く昔ではないかと拝察。発達障害当事者(の一部)にIT系の仕事が向いているという件を初めて著したのは、当事者研究の世界的パイオニアであるテンプル・グランディン博士だったと思いますが、その書籍の日本語版が『アスペルガー症候群・高機能自閉症の人のハローワーク』という邦題で刊行されたのも、そう言えば10年前の2008年のことでした。

従って、後にIT系の専門職で大成なさったケンさんが「なぜか当初の支援で、飲食店の調理バイトを斡旋された」のも、青木先生が『何度もなんども、専門学校に下見をしに行った』結果ようやく『ケンさんと同じような生徒が多い』旨にお気づきになり『ITの専門学校を勧めた』のも、10年以上昔の話なら不自然な展開ではなかったわけです。

まぁ一番肝心なのは、稼いでいける『自分の力』つまり他人様がお金を支払って下さるほど優れた職能の、萌芽を見落とさぬため当事者さんが自己理解へ到れるまで徹底的に『毎日違うことを』『実際に色々とやってみて』、大らかに平らかにフリーハンドを育む環境こそ理想だということ。当事者さんご自身が『色々と考え』た覚悟を以て、『大きな決断を』下せるまでに成長体験を重ねれば、チート設定は不要なんでしょうね。

【拙ブログの関連記事】「多様性発達者の就労支援」 「多様性発達者の修学支援」

2018年12月18日火曜日

チート設定は物語の中だけ

消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へのコメント寄稿は、今後暫定的にBloggerへ移転してみます。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。

***

2018-12-18
安心して働ける雇用形態の職業を目指したい。ヒロ

再びサポートステーションを訪れたスギさん。
担当のキャリアカウンセラーには、その後、何度も相談にのってもらいました。 
そしてスギさんの決断は「ITの専門学校に行き、資格をとって就職する」でした。 
ご両親に相談すると、挫折して再び ひきこもることを心配したご両親は、アルバイトのままで勤めることを勧めました。

キャリアカウンセラーの丁寧な説明で、ご両親は、ITの専門学校に行かせることを承諾しました。もともと大学に行くための費用は手付かずだったので、その費用で専門学校の授業料を払うこともできました。 
めでたし、めでたし。
では ないのです。 
キャリアカウンセラーから言われた言葉は とても重いものでした。
すでに30歳近くになっていたスギさん。
専門学校を卒業しても就職できるとは かぎらないのです。 
やはり企業は新卒を取りたいからです。しかも、履歴書に空白があるスギさんは、すでに大きなハンデイキャップがあるのです。 
しかし!!
抜け道は あるのです。 
「1年間は、必死で勉強しなさい。2年になったら、アルバイトをしなさい。アルバイトはIT系の会社で、それも最近立ち上げたばかりの小さな会社にしなさい。」 
「そこでは、こき使われるけれど、なんでもかんでも やらなきゃいけない。でも、それで足りなかった経験値が補えるのです。」  
「就職も大手会社に入りたい と思うけれど、今の このご時世、特にIT関係は自分に実力をつけていくしかない。実力さえあれば やっていけるんだ。」
***

なるほど、なるほど……
ヒロさんは最初に『勝手に想像』『全てフィクション』と但し書きしておられますから、もちろん理想の翼を自由に羽ばたかせて下さって大いに結構なのですが。

たとえ『全てフィクション』だとしても、この物語をハッピーエンドへ導くには「なぜか当初のカウンセリングでは、飲食店の調理バイトを斡旋されたスギさんだったが、実はプログラミングのコードを書くことなら寝食を忘れて夢中になれる、秘められた職業適性があったのだ!!!!」てな感じの、チート設定が必要になってしまう気がします。

と申しますのも、ひきこもり当事者さん(の一部)にIT系の仕事が向いている、という件は支援の場で常識化していますから、最初にサポステで相談なさった際に必ず検討されたはず。にも関わらず斡旋されたのが飲食店での調理バイトだった経緯は、ご本人が全く興味を示さなかったか適性は高くなかった旨を示唆していると推察されるのです。

となればヒロさんが『勝手に想像』なさった『1年間は、必死で勉強し…2年になったら、アルバイトを…IT系の…立ち上げたばかりの小さな会社』で『こき使われるけれど、なんでもかんでも』やって実力をつけるという「抜け道」は、スギさんにとって相当な無理ゲーでしょう。ゆえに『全てフィクション』だとしても、この物語を説得力のあるハッピーエンドへ導くには、上記のようなチート設定が必要になってしまう次第。


仮にヒルマ小母ちゃんがヒロ師兄に倣って妄想の天空を自在に飛行するなら、スギさん担当のキャリアカウンセラー氏に『調理の仕事には自信があります。』という言葉を是非掘り下げて戴きたい。つまりスギさんの「自信」をもっと具体的に、例えば「同じ料理を何十皿作っても飽きない」とか「レシピを精確に再現するのが得意」とか、調理の仕事で彼が「好きなこと・得意なこと」は何なのかを詳しく分析して欲しいのです。

その上でキャリアカウンセラー氏には、例えば外食産業のメニュー開発部門責任者とか大規模ホテルの会食調理責任者とか、「同じ料理を何十皿作っても飽きない」「レシピを精確に再現するのが得意」という適性の貴重さを好評価して下さる人脈へ、お問い合わせ戴きたい。つまりスギさんにぴったりの、メンター候補へご紹介願いたいのです。

しかしヒルマ小母ちゃんが『勝手に想像』した「抜け道」も、鬼のような面談スケジュールで多忙を極めているであろうキャリアカウンセラー氏に、ニッチな専門職のメンター候補へ人脈を築かせようと目論んでいる点が、やはり相当な無理ゲー。無料の公的な就労移行支援には到底望めない、物語の中だけで成立するチート設定なのでしょう。

【拙ブログの関連記事】「メンターをさがせ!」 「Who're their Mentors?」

“発達障害な僕たち”との論考

いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へは、綴り手の皆様へ宛ててGoogle+の拙ポストを介し2016年の6月下旬からは時々7月上旬からは原則として更新の度コメントを寄せさせて戴いて参りました。

さりながら消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、暫定的に今後の寄稿はBloggerへ移転してみることにします。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。手始めに今年の3月・5月に俊介さん・Mr. Joeと交わした、支援のゴールは何処に置くべきか?という問題についての遣り取りを、以下に転載いたしました。
こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。

***

2018-03-18
発達障害の人を積極的に雇用します!!
僕は応募しないけど 俊介


まず、はじめに…『ヒルマ先生』という呼び方は、ご勘弁願えませんか? その敬称が相応しい職位を離れて、最早10年以上が経ちました。今の私は、社会保障の支援を受けつつ療養している初期癌患者。そして皆さんのブログで貴い勉強の機会を頂戴しているわけですから、むしろこちらこそが「俊介先生」とお呼びすべき立場と思っています。

さて『当事者の人たちは本当に それでいいのだろうかと悩む』俊介さんの『言いたいこと』は、拙ブログの一文を引用すれば『障害の「受容」は「迎合」ではないし、支援への「信頼」は「依存」ではないし、「合理的配慮」は「情緒的庇護」ではないのに、勘違いなさる大人たちが依然、後を絶ちません』という憤りだと拝読しました。

もう少し具体的に書くと、当事者さんに『人と関わらなくても良い』『ストレスなくできる』『バグを探す仕事だけ』をさせるのは障害に「迎合」しているだけですし、『障害者雇用で採用』し『生活していけるだけの給与』は『無理だ』と諦めさせ支援への「依存」を強いているだけですし、「理想論で言うと……活躍してほしいな(現実には、活躍するなんて無理なんだけどね)」と上から目線で語るのは「情緒的庇護」でしかない、ということ。

恐縮ながら転載にはキツすぎる表現をさせて戴いた次第は、いくら穏和なお人柄が身上の俊介さんとは言え憤りの気持ちはご自分で把握・表現することが大切だと考えたから。ホンモノの「合理的配慮」を実現していくためには、当事者さんが自己を主張し相応しい支援・適用すべき合理的配慮は何かご提言下さることが是非とも必要なんです。

【拙ブログの関連記事】「“合理的配慮”てコレやがな!」

***

2018-03-19
発達障害の記事に心を痛める僕です。俊介


なるほど、なるほど……過ぎるくらい穏和なお人柄が時に過剰適応を引き起こしてしまう俊介さんへ、敢えて「怒っても、いいんですよ?」と促すべく昨日の拙文では「憤り」という言葉を使わせて戴きましたが。

もっとシックリ来るのは『心を痛める』という表現なんですね。俊介さんならではの思い遣りに満ちた文章、ありがたく拝読いたしました。

ところで過分のお褒めを頂戴し感謝に堪えませんが、『すごい』という賛辞は謹んで辞退申し上げたく。スタッフさんの心に『こんな表現ができるようになりたい』と向上の意志を喚起し得た旨は光栄の至りとは言え、私が『こんな表現ができるように』なれたのはあくまで自分の「好きなこと」を続けてきた結果。その過程で国立大学に学ぶ機会を得たり公の奨学金・助成金を授かったりしたのに、個人的な諸事情により社会還元を叶えていない者が受ける賛辞ではないと考えています。

『すごい』という賛辞に相応しいのは、実際に支援を行動化なさっている皆さんでしょう。例えば青木先生をはじめとするサポートセンター名古屋の皆様がそうですし、実のところ『発達障害の人を積極的に雇用している会社の社長さん』も『すごい』と私は思うのです。たとえ「合理的配慮」を「情緒的庇護」と勘違いなさっているにしても、実際的な支援が当事者のご家族に当座の救済を与えている現実を前にすれば、その勘違いはほんの僅かな瑕疵に過ぎないのかも知れません。

じゃあ、ヒルマ小母ちゃんが『実際に支援を』しないのは、なぜか?

それは『支援者でも 専門家でも、当事者でも』ない一方、発達障碍について『趣味の範囲で勉強してきた』経験を活かし自家製療育で我が子の自立を叶えつつある『当事者の母親』という立場でなければ、俊介さんたちの『違和感』を闊達に代弁できる傍目八目の「自由」を維持できないからです。誠にもったいなくも青木先生が『こういう時には僕なんかより「ヒルマ」さんに聞けば『答え一発!!カシオミニ』だ。』と当方をご指名下さったのは、まさしく「拈華微笑」と言ったところでしょうか。

【拙ブログの関連記事】「爾後の顚末」

***
拙宅の娘で言うならば、本邦屈指の私立大学へギリギリ滑り込めた幸運を最大限に活かしてニッチな専門職の国家資格を取り、必修の第2外国語のみならず留学用に第3外国語も基礎講座で独学の地盤を築き、卒業研究の主題のことならたぶん大学で一番に詳しい(その主題を研究テーマになさっておられる先生がたは、皆さん他大学の所属なのでw)という所まで「武器」を磨くことが叶っています。

とは言え、不登校で高校や大学を中退してしまったり、なんとか卒業単位を揃えたものの就活で不適応を起こしてしまったり、発達障害の二次障害へ陥ったお子さんを支える親御さんがたは、ほとんどの場合とりあえずアルバイトをさせたり専門学校で資格を取らせたり、ハローワークや就労移行支援で当座の職へ就かせたり、焦るお気持ちが災いしてか「今」の安堵ばかりを求めてしまう模様。

けれどMr.Joeが説いておられるとおり、お子さんが生き抜いて行かねばならないのは『親亡き後』も『長く続いて行く』未来。そして、バイトで積める経験や専門学校で取れる資格や、ハローワークや就労移行支援で就ける仕事は、遺憾ながら「みんな」と同じ「普通」の枠内に踏み留まってようやく、口に糊することが叶う「道具」でしかありません。

五感や認知に凸凹を抱えた当事者が、延々と『親亡き後』も『長く続いて行く』未来を生き抜くためには平凡な「道具」ではなく、凸凹があっても居場所を奪われない『必要とされる人に』なれる「武器」を、是非にも習得せねばならないのです。とりあえずのバイトや専門学校は、せいぜい生活リズムを整えるためのごく初歩的なサポートにしかなり得ない旨、親御さんがたには重々お心得戴きたいと願って止みません。


***

2018-05-17
お母さん方どうか理解してください。Joe


Mr.Joeの見事な連載の最後に、またも拙文引用の名誉を賜り誠に畏れ入ります。

支援のパイオニアから『アドバイザーのような働き』と過分のお言葉を頂戴するのは恐縮の極みですが、スタッフの皆様が『とにかく納得』して下さったのは率直に嬉しい。ヒロさんと青木先生が二人でお始めになったブログを長年愛読させて戴いて参ったお蔭様で、拙宅の娘も「武器」を切瑳することが叶った、せめてもの御恩返しとなれば幸甚です。

集団教育への不適応やひきこもりに陥ったお子さんを支える親御さんが、「働いてくれさえすれば それで満足」と低い目標で遠慮してしまうのは、二次障害を契機に我が子へ下された発達障害の診断が金輪際「伸びない」と断定する烙印なのだ、と誤解なさっている所為でしょう。そして誤解の原因は、「みんな」と同じ「普通」の枠に縋り付くほかまともに生きる術は無いという親世代の偏狭な固定観念だと私は拝察しています。

時代が昭和から平成に変わり世紀を跨いでも尚、五感や認知に凸凹を抱えたお子さんの生きづらさから目を背け「みんな」と同じ平凡な「道具」に拘泥なさる。その固陋な遠慮は、我が子を「受益者負担」という「正論」の枠に嵌め込み、本来は社会が担うべき合理的配慮に係る経費を我が子が生んだ成果から搾取させ、「普通」を自認する「みんな」にだけ都合が良い情緒的庇護へ、そうとは知らぬまま荷担しておられるに過ぎないのです。

大切なお子さんの未来をこそ慮るのであれば、凸凹があっても居場所を奪われない『必要とされる人に』なれる「武器」を習得することが要諦と、親御さん方には是非にもご理解戴きたいと願って止みません。

【拙ブログの関連記事】「待ち設ける親 と 伸び行く子」

2018年12月17日月曜日

バイトは就労にして就職に非ず

いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へは、綴り手の皆様へ宛ててGoogle+の拙ポストを介し2016年の6月下旬からは時々7月上旬からは原則として更新の度コメントを寄せさせて戴いて参りました。

さりながら消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、暫定的に今後の寄稿はBloggerへ移転してみることにします。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

***

2018-12-17
30歳程度の悪いアスペな僕が感じている
危機感を皆様と共有したいのです。ヒロ

「ハローワーク」は、ダメだと言っているわけではありません。僕たちのような状況の人たちには、なすすべがない ということなのでしょうか。
スギさんが現在の職場である都内の飲食店で働くようになったのは17年10月。サポステを訪れてから約1年半が経過していた。その間、サポステでは、第一歩を踏み出すために個別のカウンセリングやいろいろな無料セミナー・講座を受けた。
 僕なら まずは「スギさん仕事が決まって良かったね。続けられたら そのことが また自信になるよ。」と言いたいです。
飲食店では、調理の仕事をしているスギさん。そしていま、さらなる一歩を考えている。不安定なバイトから、安心して働ける雇用形態の職業を目指している。
「うん? 飲食店で調理の仕事?」「あああ、アルバイトなのか。」
そしていま、さらなる一歩を考えている。不安定なバイトから、安心して働ける雇用形態の職業を目指している。
「おおおおおおお、やっぱりサポステわかっていらっしゃるのですね!!!!!」 
で、ここが この記事で1番大切なところです。
「不安定なバイトから、安心して働ける雇用形態の職業を目指している。」激しく同意です。
 
「そうだ!!スギさんも気づいたんですね。まだまだ遅くないですよ!!」と、俺は「スギ」さんの手をにぎって励ますんだ。
で、スギさんは それからどうしたのか? 
えっ!! あれ、おしまいですか!!
***

そうです、そうです!
ヒロさんがお気づきになったとおり、無料で利用できる公的な就労移行支援ですと、アルバイトでも「就労」と見做されサポート対象から外されてしまうため、当事者さんが『不安定なバイトから、安心して働ける雇用形態の職業を』目指す意志を持てても、後は自助努力でどうぞ……という次第になってしまうようなのです。

加えて多くの親御さんは「バイトから正社員に昇格できるかも」などと昭和風な甘いお考えでらっしゃる気配。平成の雇用はあらゆる分野が、昇進・昇給の無い非正規(ないし企業側が公的補助を受けられる障害者枠)で労働力を賄うべく腐心する方針へ転換してしまったのですから、バイト(ないし障害者枠)から正社員なぞ夢物語なのにご承知戴けていません。

斯く言うヒルマ小母ちゃんの娘も卒論執筆の傍らボチボチ始めた就活は、ニッチな専門職ゆえ求人自体が稀なことも相俟って、常勤・非常勤の別を問わず応募中。されど就労の目的は、専門職の正資格取得を実務で満了し海外留学へ赴くための足掛かりですので、当人は到って意気軒昂。『みんなと同じ』ではない自分には、どんな『なすすべ』があるのか……見通しが立っているからこそ、彼女がひきこもる危惧は無いのです。

【拙ブログの関連記事】「多様性発達者の就労支援」 「多様性発達者の修学支援」

2018年12月16日日曜日

拝啓、“発達障害な僕たち”さま

いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へは、綴り手の皆様へ宛ててGoogle+の拙ポストを介し2016年の6月下旬からは時々7月上旬からは原則として更新の度コメントを寄せさせて戴いて参りました。

さりながら消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、暫定的に今後の寄稿はBloggerへ移転してみることにします。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

***

2018-12-16
失敗した僕たちが再び
社会復帰するために絶対に必要なもの。ヒロ

集団行動の練習をするとか、毎日何キロ走らせるとか、またはビジネスマナーの練習ということで、電話の応対や面接の練習をするとか、多くはそんなプログラムが多いのではないでしょうか。
もちろんサポートセンターもそれらについては、必要だと思っています。毎日、プールやジムで体力の回復を図っていますし、基本的な社会スキルの習得も重点を置いています。でも、遊ぶことを重要視しているその背景には、自分の殻を突き破ることを願ってのことからなんです。 
言い換えれば、モチベーションをあげることです。
毎日、ダイビングを続けること。(毎日、潜り続けることは健康を害してしまいますので、毎日は潜ってはいません。講義やダイビングショップのお手伝いをしたりとかです。) 
テニスやサーフィンを頑張ってやること。  ダンスを先生について学ぶことなどなど。  ボランティアを一生懸命すること。 
遊んでいるようで、実は真剣なんです。 
支援している人たちの多くは、最後まで一生懸命やりきったという経験がありません。ですから、色々なプログラムをやらせてみて、その中から、好きだというもの、得意だというものにフォーカスをしていきます。
毎日、やり続ける事で、一年も経てば、彼らの顔つきは格段に変わっています。
***

そうです、そうです! 
『再び社会復帰するために絶対に必要』あるいは、ひきこもるほか術が無いなどと追い詰めてしまわぬため『絶対に必要なもの』は、当事者さんご自身が『最後まで一生懸命やりきったと』実感できる経験、すなわち失敗体験から成長体験への昇華なんです!

最悪なのは、成功のみを要求し失敗を厳しく糾弾する文化である旨は、言うに及ばず。失敗を一応は容赦しつつ成功による補塡を『失敗体験<成功体験』なぞという公式で要求する文化も、当事者さんの『最後まで一生懸命やりきった』実感ではなく親御さんや専門家の「上から目線」な主観を優先しておられる点で、根本的な勘違いをなさっているのではないか……と私は考えています。

たぶん親御さんからすれば、お子さんが『自分の殻を突き破ることを願って』例えば大学進学を奨励なさった「つもり」なのでしょう。しかしその進路選びは本当に、当事者自身が『最後まで一生懸命やりきったと』実感できる『好きだというもの、得意だというものにフォーカス』していたのか……「上から目線」な主観を一旦離れた俯瞰で、今ふたたびお考え直し戴けますと幸甚です。

【拙ブログの関連記事】「ひきこもらせない文化」