いつも
拙文へのご愛顧を賜っております
サポートセンターのブログ
『発達障害な僕たちから』へは、綴り手の皆様へ宛てて
Google+の拙ポストを介し2
016年の6月下旬からは時々、
7月上旬からは原則として更新の度コメントを寄せさせて戴いて参りました。
さりながら
消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、暫定的に今後の寄稿はBloggerへ移転してみることにします。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。
また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ
『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。手始めに今年の3月・5月に俊介さん・Mr. Joeと交わした、支援のゴールは何処に置くべきか?という問題についての遣り取りを、以下に転載いたしました。
こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。
***
2018-03-18
発達障害の人を積極的に雇用します!!
僕は応募しないけど 俊介
まず、はじめに…『ヒルマ先生』という呼び方は、ご勘弁願えませんか? その敬称が相応しい職位を離れて、最早10年以上が経ちました。今の私は、社会保障の支援を受けつつ療養している初期癌患者。そして皆さんのブログで貴い勉強の機会を頂戴しているわけですから、むしろこちらこそが「俊介先生」とお呼びすべき立場と思っています。
さて『当事者の人たちは本当に それでいいのだろうかと悩む』俊介さんの『言いたいこと』は、拙ブログの一文を引用すれば『障害の「受容」は「迎合」ではないし、支援への「信頼」は「依存」ではないし、「合理的配慮」は「情緒的庇護」ではないのに、勘違いなさる大人たちが依然、後を絶ちません』という憤りだと拝読しました。
もう少し具体的に書くと、当事者さんに『人と関わらなくても良い』『ストレスなくできる』『バグを探す仕事だけ』をさせるのは障害に「迎合」しているだけですし、『障害者雇用で採用』し『生活していけるだけの給与』は『無理だ』と諦めさせ支援への「依存」を強いているだけですし、「理想論で言うと……活躍してほしいな(現実には、活躍するなんて無理なんだけどね)」と上から目線で語るのは「情緒的庇護」でしかない、ということ。
恐縮ながら転載にはキツすぎる表現をさせて戴いた次第は、いくら穏和なお人柄が身上の俊介さんとは言え憤りの気持ちはご自分で把握・表現することが大切だと考えたから。ホンモノの「合理的配慮」を実現していくためには、当事者さんが自己を主張し相応しい支援・適用すべき合理的配慮は何かご提言下さることが是非とも必要なんです。
【拙ブログの関連記事】
「“合理的配慮”てコレやがな!」
***
2018-03-19
発達障害の記事に心を痛める僕です。俊介
なるほど、なるほど……過ぎるくらい穏和なお人柄が時に過剰適応を引き起こしてしまう俊介さんへ、敢えて「怒っても、いいんですよ?」と促すべく昨日の拙文では「憤り」という言葉を使わせて戴きましたが。
もっとシックリ来るのは『心を痛める』という表現なんですね。俊介さんならではの思い遣りに満ちた文章、ありがたく拝読いたしました。
ところで過分のお褒めを頂戴し感謝に堪えませんが、『すごい』という賛辞は謹んで辞退申し上げたく。スタッフさんの心に『こんな表現ができるようになりたい』と向上の意志を喚起し得た旨は光栄の至りとは言え、私が『こんな表現ができるように』なれたのはあくまで自分の「好きなこと」を続けてきた結果。その過程で国立大学に学ぶ機会を得たり公の奨学金・助成金を授かったりしたのに、個人的な諸事情により社会還元を叶えていない者が受ける賛辞ではないと考えています。
『すごい』という賛辞に相応しいのは、実際に支援を行動化なさっている皆さんでしょう。例えば青木先生をはじめとするサポートセンター名古屋の皆様がそうですし、実のところ『発達障害の人を積極的に雇用している会社の社長さん』も『すごい』と私は思うのです。たとえ「合理的配慮」を「情緒的庇護」と勘違いなさっているにしても、実際的な支援が当事者のご家族に当座の救済を与えている現実を前にすれば、その勘違いはほんの僅かな瑕疵に過ぎないのかも知れません。
じゃあ、ヒルマ小母ちゃんが『実際に支援を』しないのは、なぜか?
それは『支援者でも 専門家でも、当事者でも』ない一方、発達障碍について『趣味の範囲で勉強してきた』経験を活かし自家製療育で我が子の自立を叶えつつある『当事者の母親』という立場でなければ、俊介さんたちの『違和感』を闊達に代弁できる傍目八目の「自由」を維持できないからです。誠にもったいなくも青木先生が『こういう時には僕なんかより「ヒルマ」さんに聞けば『答え一発!!カシオミニ』だ。』と当方をご指名下さったのは、まさしく「拈華微笑」と言ったところでしょうか。
【拙ブログの関連記事】
「爾後の顚末」
***
拙宅の娘で言うならば、本邦屈指の私立大学へギリギリ滑り込めた幸運を最大限に活かしてニッチな専門職の国家資格を取り、必修の第2外国語のみならず留学用に第3外国語も基礎講座で独学の地盤を築き、卒業研究の主題のことならたぶん大学で一番に詳しい(その主題を研究テーマになさっておられる先生がたは、皆さん他大学の所属なのでw)という所まで「武器」を磨くことが叶っています。
とは言え、不登校で高校や大学を中退してしまったり、なんとか卒業単位を揃えたものの就活で不適応を起こしてしまったり、発達障害の二次障害へ陥ったお子さんを支える親御さんがたは、ほとんどの場合とりあえずアルバイトをさせたり専門学校で資格を取らせたり、ハローワークや就労移行支援で当座の職へ就かせたり、焦るお気持ちが災いしてか「今」の安堵ばかりを求めてしまう模様。
けれどMr.Joeが説いておられるとおり、お子さんが生き抜いて行かねばならないのは『親亡き後』も『長く続いて行く』未来。そして、バイトで積める経験や専門学校で取れる資格や、ハローワークや就労移行支援で就ける仕事は、遺憾ながら「みんな」と同じ「普通」の枠内に踏み留まってようやく、口に糊することが叶う「道具」でしかありません。
五感や認知に凸凹を抱えた当事者が、延々と『親亡き後』も『長く続いて行く』未来を生き抜くためには平凡な「道具」ではなく、凸凹があっても居場所を奪われない『必要とされる人に』なれる「武器」を、是非にも習得せねばならないのです。とりあえずのバイトや専門学校は、せいぜい生活リズムを整えるためのごく初歩的なサポートにしかなり得ない旨、親御さんがたには重々お心得戴きたいと願って止みません。
***
2018-05-17
お母さん方どうか理解してください。Joe
Mr.Joeの見事な連載の最後に、またも拙文引用の名誉を賜り誠に畏れ入ります。
支援のパイオニアから『アドバイザーのような働き』と過分のお言葉を頂戴するのは恐縮の極みですが、スタッフの皆様が『とにかく納得』して下さったのは率直に嬉しい。ヒロさんと青木先生が二人でお始めになったブログを長年愛読させて戴いて参ったお蔭様で、拙宅の娘も「武器」を切瑳することが叶った、せめてもの御恩返しとなれば幸甚です。
集団教育への不適応やひきこもりに陥ったお子さんを支える親御さんが、「働いてくれさえすれば それで満足」と低い目標で遠慮してしまうのは、二次障害を契機に我が子へ下された発達障害の診断が金輪際「伸びない」と断定する烙印なのだ、と誤解なさっている所為でしょう。そして誤解の原因は、「みんな」と同じ「普通」の枠に縋り付くほかまともに生きる術は無いという親世代の偏狭な固定観念だと私は拝察しています。
時代が昭和から平成に変わり世紀を跨いでも尚、五感や認知に凸凹を抱えたお子さんの生きづらさから目を背け「みんな」と同じ平凡な「道具」に拘泥なさる。その固陋な遠慮は、我が子を「受益者負担」という「正論」の枠に嵌め込み、本来は社会が担うべき合理的配慮に係る経費を我が子が生んだ成果から搾取させ、「普通」を自認する「みんな」にだけ都合が良い情緒的庇護へ、そうとは知らぬまま荷担しておられるに過ぎないのです。
大切なお子さんの未来をこそ慮るのであれば、凸凹があっても居場所を奪われない『必要とされる人に』なれる「武器」を習得することが要諦と、親御さん方には是非にもご理解戴きたいと願って止みません。
【拙ブログの関連記事】
「待ち設ける親 と 伸び行く子」