2018年12月29日土曜日

ごめんなさい が言えなくて

消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へのコメント寄稿は、今後暫定的にBloggerへ移転してみます。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。

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2018-12-28
古着配布のボランティアで問題発生!! 東大

小学校側と色々話し合った結果、クリスマス会を午前7時から始めることにしました。式辞が午前10時です。   
それまでに終われば良い とのことでした。 
それで、午前5時には小学校について準備をしていましたら、6時になって、SPの人たちが準備の為に来られました。   
私たちに、ボランテイア団体の登録証明書を提示するように言ってきました。そんなことは初めて言われたので、事務員に登録証明書を持ってきてもらいました。   
証明書を提示するまで、準備は中断させられました。 証明書を見せたのち、急いで準備に取り掛かかったら、「1時間で全てを終了しなさい。」との命令でした。   
しかも古着配布は許可されませんでした。あとで、校長先生から聞いた話では、「テレビカメラも入るので、視聴者に貧しい小学生の姿を見せられない。」という大人の事情でした。   
私たちは とても悲しかったです。子どもたちは「新しい服で、クリスマスを迎えることができる。」と心待ちにしていたのです。   
それでも、スタッフたちは子どもたちの前では笑顔で、愉快なダンス、コントを披露しました。食事を配布して、いつもなら古着の配布の時間です。   
「みなさん、今年は古着の配布はできません。ごめんなさい。来年の1月に変わってしまいました。」とスタッフがアナウンスをしたら、子どもたちから悲鳴のような声が上がりました。  「どうして!!」の声がだんだん大きくなって、司会のスタッフは泣いてしまったそうです。   
校長先生が助け舟を出してくれて、その場は治りました。   
ということで、来年1月に古着配布をおこないます。急いで、古着をご用意してくださった皆様、ごめんなさい。皆様のご好意を無駄にしてしまいました。  
 1月の古着配布の様子を またご報告させていただきます。   
本当に ごめんなさい。

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いやはや、これは驚きました。
まだ年は明けていませんが、おめでとうございます!

ほんの2,3年前まで、あの穏やかで衒いの無い俊介さんをして『とても頭が固い というか融通がきかない』と呆れさせるほど、認知の凸凹が強烈だった「東大さん」こと大野さんが、ご自分には全く非の無い状況だったにも関わらず『皆様、ごめんなさい。』『本当に ごめんなさい。』と謝罪を述べておられるのです。これを言祝がずして、何を言祝ぐべきだと言うのでしょうか!?(念のため但し書きしますが、これは反語的表現です。)

誠に目覚ましい成長体験を遂げられました。実のところ、自分に明確な非があったと心底納得できない限り、決して『ごめんなさい』と言わない(言えない?)のは拙宅の自閉圏当事者(夫と娘)にも共通する認知特性なのです。

大学4年の娘は、日本語の『ごめんなさい』は単なる謝罪の語句ではなく、他者と繋がり社会と呼応する知恵が込められている旨、十数年に渉る自家製療育でようやく身に付いてきた模様ですが、50代の夫は依然『頭が固いというか融通がきかない』まま。殊にカサンドラ状態だった母親の正論で抑圧されていたPTSDが喚起されると、文字通り梃子でも動かない頑固さなので、彼の凸凹の修整は物好きな私も諦めかけていました。

さりながら数歳年長の「東大さん」でも、ご自分には全く非の無い事態にさえ『ごめんなさい』が言えるまでの成長を遂げられたのですから、まだまだ希望はありますね!

大学の教養科目で臨床心理学を受講した娘から、今は「発達=生まれてから死ぬまで一生成長しつづけること」と捉えられていると教示された概念も頼みに、諦めずもうひと踏ん張りしてみようと気を取り直せました。本当に どうもありがとうございます!

【拙ブログの関連記事】「カサンドラの呪縛」 「カサンドラの孤立

2018年12月28日金曜日

『励ます力』の継承

消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へのコメント寄稿は、今後暫定的にBloggerへ移転してみます。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

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2018-12-27
君は大丈夫。
僕だって大丈夫だったんだからね。Mr.Joe

僕、おもうんですよ山田さん。 
 今まで、自分の力で なんとかしようと思っていませんでしたか。その結果は と言うと、何も よくなってないでしょう。 それどころか、時間がたつにつれて、焦りばかりが出てきた。  
だから ここは、自分のスタイルを捨ててしまいませんか。そこから 新たな世界が始まりますよ。  
僕が そうでしたから。自分の力で なんとかしようとしたって、何も できやしない。もがき苦しむだけですよ。   
でも他人の いいなりになるのは、好きじゃないって思っていませんか。誰もが そう思って、他人からの支援の手を掴み損ねるんですよ。   
僕は、青木さんと東大さんが訪問してくれて、色々と丁寧に説明してくれました。  
でも、その支援の手を掴むことは しませんでした。他人の手を借りる必要などない とおもったからです。すでに20年近く ひきこもっていたのに。  
どうせ、こんな状況なんだから、バカにされるだろうと思っていました。  
でも、今は こう思いますね。もっと早くに白旗をあげて、全面降伏して、他人に助けてもらうべきだったと。  
まあ それがわかっただけでも よしと思っている僕です。 
大丈夫ですよ。本当に大丈夫。
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社会との物理的な距離を克己なさった当事者さんが、後に続く仲間へ綴って下さったコメントに、勝るものはありません。という次第で、拙ブログの方は一呼吸置かせて戴いておりました。

『君は大丈夫。僕だって大丈夫だったんだからね。』とMr. Joeが送って下さったエールは、ヒルマ小母ちゃんが長年「心の師匠」と仰いでおりますZ会渋谷教室長の長野先生と、奇しくも全く同じ文言。かつて「『励ます力』の連鎖」と題した拙文で繋がせて戴いた御縁が、4年の歳月を経て美しく連環を遂げた感銘にしばし耽っていたのです。

「自信が無いから、ひきこもるしか無い。」
当事者の皆さんは一様に、社会から物理的に距離を置いた理由を、そう述べます。

すると親御さんも支援の専門家も、ご自分の五感や認知だけを鑑み「失敗体験を上回る成功体験があれば自信がつくはず」とお考えになってしまうケースが続出する。実際、私が『励ます力』の御縁を繋がせて戴こうと目論んだ心理の専門職も、誠に遺憾の極みながら4年経っても当事者さんたちと対等な視点へはおいで下さらず、『失敗体験<成功体験』なぞという公式を立て成功による失敗の補塡を依然考えておられるのです。

確かに「自信が無いから、ひきこもる」との弁は、社会と物理的な距離を置いた彼らの状況を説明する上で、至極合理的に聞こえます。さりながらMr. Joeが具体的に表現して下さったように、当事者さん自身の『自分の力で なんとかしよう』『他人の いいなりになるのは、好きじゃない』『他人の手を借りる必要など ない』『こんな状況、バカにされるだろう』といった感情や認知へピッタリ寄り添うと、彼らの不備不足は「自信=自らへの信頼」ではなく「他者を信じ頼みにする」旨とハッキリ分かってきます。

なればこそ『失敗体験<成功体験』なぞという公式で、一応は失敗を容赦しつつも成功による補塡を迫る「上から目線」な態度にあっては、当事者の他者への信頼は一層の不備不足へ陥るばかり。子育てのお勉強に励んだ親御さんがいくら懇切な意見をなさろうと心理を学んだ専門職がいくら親身なカウンセリングに務めようと、『その支援の手を掴むことは しない』彼らの方が道理に適っていると、へそ曲がりな私は思うのです。

ひきこもり当事者さんたちの謂う「自信」とは、親御さんや専門家が考えがちな成功によって増進される「自らへの信頼」ではなく、失敗を何度繰り返そうと『君は大丈夫。』と承認し『励ます力』を注いでくれる「他者を信じ頼みにする」力なのです。ひきこもりに自閉圏と診断されたケースが多い所以は、自我他我の認知に凸凹を抱え「自らへの信頼」と「他者への信頼」を混同しがちな特性の所為かと私は拝察しています。

【拙ブログの関連記事】『回復への初歩は失敗を書くこと

2018年12月27日木曜日

運がいいとか、悪いとか

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僕は30年間近く 家でひきこもっていました。
年老いた母に代わり、親戚の人たちも全国の施設を調べたりしてくれましたが、多くは障害者の人たちの支援をする場所で、僕の支援はどこも引き受けてはくれなかったのです。 
話は変わりますが、僕のおじは うつ気味で、本人は困っていました。
そのことを知った上司がうつ治療の特集をしていたテレビ番組を録画したものを、おじに渡してくれたのです。 
その番組が終わった後も引き続きDVDに録画がされてありました。
その あと番組が、ひきこもり支援をしている青木さんが特集された番組だったのです。 
20年、30年とひきこもった人でも、40代でも回復に至る場合もあると、はっきりと話している青木さんの姿。
そして、一生懸命 訪問を繰り返している様子を見たおじは、自分の鬱のことより、「ついに見つけた!!」と番組で紹介された団体名で検索して、30分後には青木さんに電話をいれてくれました。 
それが、今から6年前です。 
僕は運が良かったのでしょうか。
おじが 鬱でなければ、そして上司が そのことを知らなければ。
僕は無くなった母の後を追っていたと思います。 
運がいいとか、悪いとか・・・そんなことは僕にはわかりません。 
ただ、いただいたメールで教えられたことは、もっと自分のことを情報発信する必要があると思ったことなのです。
こんな大変な状況でも、諦めずに的確な支援を受ければ、回復して社会に戻ることができるのです。 
その事実を探している人たちがいるのです。頑張ります。

***

「東大さん」こと大野さんは、御年58歳。私よりいくつか年長でらっしゃるのですが、ほぼ同世代ですので『運がいいとか、悪いとか』との一節で思い起こすのは、やっぱりさだまさしさんの『無縁坂』なのかも……などと想像を巡らせつつ拝読しました。

歌詞では『そういうことって確かにあると あなたをみててそう思う』と続くのですが、私としては大野さんと同様に『そんなことは わからない』と感じています。そして大野さんのお母様も、きっと『運がいいとか、悪いとか……そんなことは わかりませんよ』という大らかで平らかな心根を、生涯お持ちでいらしたように拝察します。

お目もじすることは叶わぬ願いとなり果ててしまいましたが、大野さんのお母様がひきこもり続ける我が子へ、何十年も変わらぬ鷹揚なお心構えで『「諦めない限り、必ず希望はあるんだ。」と励まし』続けたご覚悟は、私にとって誠に貴い稀有なお手本です。

大野さんのおじ様が、上司から懇切親身なご心配を賜るほど誠実な、そして『自分の鬱のことより』甥のひきこもり支援を優先するほど利他なお人柄だった旨も、きっと『運がいいとか、悪いとか』という人間の力だけではどうにかすることが難しい、原因・結果の理屈には当てはめられない「偶然」なぞではなく、お母様のご覚悟が丹念に丁寧に粘り強く切り拓いて下さった「必然」の隘路だったのだ、と私は理解しております。

この記事で大野さんが綴って下さった、他者への希望のためにこそ自分は幸せになる!というご覚悟も、お母様おじ様から連綿と受け継がれた血の為せる必然なのでしょう。

【拙ブログの関連記事】『「親になる」のは難しくない?

2018年12月25日火曜日

回復への初歩は失敗を書くこと

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2018-12-25
58才人生初デートは消滅。東大

ついに疲れが溜まった僕は、体調を崩してしまいました。
それで、急遽 青木が僕の住む街に かわりに来てくれるのです。 
「こんな状況ですから、デートを辞退するしかないです。」
「残念だけれど、今は生徒の回復に一緒に全力をそそぎましょう。」と青木。 
そんなことで相手の女性にお断りのメールを送った後、改めて電話をしました。 
「『引きこもり』そんな状態は聞いたことがないです。日本固有の症状? 100万人の若者が、親以外との交流を持つことができない? 日本の話ですよね。私が理解できるように もう少し話してください。」 
大勢の若者が ひきこもっているという状況は、世界中でも日本と韓国にしか見られないのです。
それを理解することは できないと思います。 
「東大さん、丁寧に説明をしてくださって ありがとう。あなたの誠意は感じました。」

「しかし、ごめんなさい。私は とても かなしいのです。看護学生にとって、クリスマスが とても貴重な休みだということを理解してください。それをあなたに ささげたのです。少し、時間をください。また私からメールをします。Merry Christmas and Happy New Year !!」 
働いてお金を貯めて、看護学部に席を置く、24歳の彼女。
とても綺麗な女性でした。
そして思慮深くて、優しさも持ち合わせてもいました。 
正直、好きになっていた僕でした。
しかし、大丈夫です。 
「次行こ、次」って青木の言い方に笑ってしまった僕です。

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「自信が無いから、ひきこもるしか無い。」
当事者の皆さんは一様に、社会から物理的に距離を置いた理由を、そう述べます。

すると親御さんも支援の専門家も、ご自分の五感や認知だけを鑑みて「失敗体験を上回る成功体験があれば自信がつくはず」とお考えになってしまうケースが続出する。されど生来の五感や認知に凸凹を抱えるゆえ「みんなと同じ」育ちが叶わなかった、すなわち発達障害と称された当事者さんご自身の五感や認知に寄り添うと、彼らにとっては「失敗体験を上回る成功体験があれば」との設定が無理ゲーだと分かってきます。

この数日、Mr. Joeと山田さんの記事へ、以下の拙文を寄せさせて戴いて参りました。


これら表題を整理すれば

当事者さんに自信を育むには、成長こそ必要
成長を体験させるには、自己理解こそ必要
自己理解には、当事者が失敗書くことこそ必要

との論旨になります。もっと簡単にまとめると、社会から物理的に距離を置くことを選んでしまった当事者さんへ、再び他者と繋がり社会へ呼応する自信を育むためには

失敗を懼れずに経験する
失敗を自ら体験として書く
失敗を素に自己理解を促す
失敗成長体験へ昇華する

といった具合に当事者さんご自身の五感や認知へ寄り添うと、多くの親御さんや支援の専門家がお考えになってしまう「失敗体験を上回る成功体験」という無理ゲーとは全く逆に、むしろ失敗をこそ回復の材料へ転換する方がよほど筋が良いと分かります。

では多くの親御さんや支援の専門家は、どうして上述の方策を選ばない(選べない)のか? 歯に衣着せぬ不調法をご容赦願えば、自ら失敗について書くよう当事者さんを導くのが極端に面倒くさいゆえに、きっと最初から不可能だとお考えだからでしょう。

まず第一に十中八九、彼らは書字が極端に苦手です。イラスト担当のBambooさんが『字が汚くて ごめんなさい…』と律儀に綴って下さったとおり、当事者の皆さんはご自分の書字に自信がありません。その罪悪感にも近い自信の無さは、書字の美醜が人格をも象徴すると捉えがちな東アジア特有の文化に起因している(日本以外の国ですとひきこもりは中国や韓国でしか見受けられない、というサポートセンターの知見は興味深いですね)と私は拝察しています。

そして第二に間違いなく、彼らは自分の経験を文章化↔文章から他者の経験を共有することが極端に苦手です。生来の五感や認知に抱える凸凹の所為で『頭が混乱してしまう』ため、『答えは1つだけで、はっきりして』いる教科だけに注力しがちで、国語教育を受けても「みんなと同じ」やり方では全く身に付きません。ヒロさんが幾度か綴っておられたとおり、日本語特有の語用論の障害も大きく影響していると考えられます。

なればこそ状況に拠っては、当事者さんに「書く」という行為を自発させるため、日本ないし東アジア以外の国へ住環境を変更することさえ必要となってしまうのです。

しかし、たとえ親御さんが懸命に本邦随一の最高学府へ現役合格できるような教育を施したとしても、彼らを「自ら失敗について書く」ことへ導けぬ限りひきこもりの危惧が拭えぬ旨は、「東大さん」こと大野さんが身を以て証して下さったとおりなのです。

【拙ブログの関連記事】『緘黙する子 と 優しいお母さん

2018年12月24日月曜日

自己理解の源は成功ジャナクテ失敗

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2018-12-24
笑ってください、僕の馬鹿さを。山田

僕たちのようなタイプの人たちは、目に見えないものはないものと同じだということなので、戸棚にしまうのではなくて、ラックに置いて いつでも見えるようにしておくことが大切だ とスタッフから教わりました。 
それで、僕はホームセンターに行ってラックを買いました。
ちょうど、展示品ということでラックが安売りをしていました。 
それを購入したのですが、ホームセンターのスタッフが分解しようとしたのを見て、僕はストップをかけました。 
僕は組み立てられないのです。
そのことをスタッフに伝えたら「簡単だよ。5分もかからないさ。小さな子どもだって できるんだから。」と笑って僕に言いました。 
「その小さな子ども以下が僕なんだよ!!」と心の中で叫びました。 
分解させない理由を考えました。
「僕は とても忙しい人間なんだ。5分という時間がないから そのまま持って帰るね。」
ホッとしました。 
レジでお金を払いタクシー乗り場で待っていると あることに気づきました。
「このままではタクシーには乗らないです。」
仕方がないので、売り場に戻り、スタッフの人に上だけ取ってもらって小さくしてタクシーに乗って帰りました。 
サポートセンターのスタッフからは「分解なんかが必要な時は必ず、分解前の写真を撮っておきなさい。」と言われていましたが、携帯が充電切れで写真を撮れませんでした。 
自分の部屋に帰って、組み立てようとしたら、1番上の部品がありません。
タクシーは降りる時に3度 見直しました。
だから、分解したときに、スタッフが入れ忘れたのです。 
こういうことが あってはいけないので、念には念を入れて、このざまです。やっぱダメなんだ。

***

おそらく親御さんも支援の専門家も、ご自分の五感や認知だけを鑑みて「失敗体験を上回る成功体験があれば自信がつくはず」とお考えになってしまう方々は、当事者さんの『小さな子ども以下が僕なんだよ!!』『やっぱダメなんだ。』『こんな人間は生きてはいけない』『この世の中から いなくなった方がいい』『こんなバカはフィリピンに来ても何も変わらない。』といった自暴自棄な独白が、かわいそうで気の毒で居たたまれないあまりに「失敗体験を上回る成功体験があれば」と思ってしまうのでしょうね。

されど生来の五感や認知に凸凹を抱えるゆえ「みんなと同じ」育ちが叶わなかった、すなわち発達障害と称された当事者さんご自身の五感や認知に寄り添うと、彼らにとっては「失敗体験を上回る成功体験があれば」との設定が無理ゲーだと分かってきます。

だって「失敗体験を上回る成功体験」を積ませるためには、現在の当事者さんが間違いなく出来ることしか経験させられなくなってしまう。それは山田さんならご自身でも『小さな子ども以下』と重々承知しておられる、『片付けの仕方をしらない』どんなに簡単な物でも『組み立てられない』『できないことが たくさんありすぎて、歳だけとって中身は空っぽな人間』として生き続けろと命じているも同然の残酷な仕打ちです。

傍にいる者がかわいそうで気の毒で居たたまれなくなるほど、自暴自棄な当事者さんの独白は全て反語ではないかと私は理解しています。『小さな子ども以下が僕』は「僕は小さな子どもじゃない!!」と読み解くべきですし、『こんな人間は生きてはいけない』『この世の中から いなくなった方がいい』は「この世の中で生きていける人間に成長したい!!!」と、『こんなバカはフィリピンに来ても何も変わらない。』は「せっかくフィリピンまで来たんだぞ。何としても変わってやる!!!!」と聴き取るべきではないか。

Mr. Joeが綴って下さったとおり『自信は自分で勝ち取るもの』ですから、たとえ親御さんでも支援の専門家でもご自分の五感や認知だけを鑑みて、勝手な条件を設定なさらないで戴きたい。「みんなと同じ」育ちを辿ることが叶わなかったほど生来抱える凸凹が大きいのですから、失敗の方が成功を上回る旨こそ自然と捉えるべきですし、殊に支援の専門家を名乗る向きには当事者の真意をこそ汲む力をぜひ備えて戴きたいものです。

【拙ブログの関連記事】
消極的な敵意・積極的な善意』『“合理的配慮”てコレやがな!

2018年12月23日日曜日

成長の源は成功ジャナクテ自己理解

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じゃあ、どうすればいいんだ。 
なんで、僕は こうなんだ。
とにかく その疑問に答えてくれる人が欲しかった。 
母親が「サポート日記」と言う名前のブログを時々読んでいました。
青木さんが書いていたブログです。 
それで、僕と同じような体験が書いてあったので、母親が たくさんの記事をプリントして僕の部屋に持ってきてくれました。 
僕は そのブログを読んで驚きました。
それは まさに僕でした。 
僕と同じような体験をしている人がいたのかと驚くと同時に、その人が どんな状況なのかを知りたくなりました。 
僕は母親とは数年 顔を合わせてませんでした。
家族ですら、怖くなって、顔を合わせられなくなったのです。 
紙に「青木と言う人に会いたい。今、すぐに助けて欲しいと伝えてください。大至急お願いします。」と書いて、夜中に食堂のテーブルの上に置いておきました。

***

なるほど、なるほど……
『今、小、中のことを思い出しても、頭が変に』なってしまうのを堪え、一生懸命に『何十回も書き直し続け』て下さって、本当にありがとうございます。

山田さんはどうして『青木さんに、電話をして「いますぐに話を聞いてください。」とお願い』する勇気を奮い起こし、人間の力だけでどうにかすることが非常に困難な原因・結果の理屈には当てはめられない(ということは、お得意な数学でも解答できない)「偶然」から、脱出する一歩を踏み出せたのか? その経緯が、お蔭様でとてもよく判りました。

この数年はご家族でさえ山田さんの状況が『怖くなって、顔を合わせられなくなった』のに、唯一お母様は『どうすればいいんだ。』『なんで、息子はこうなんだ。』とご本人と同じ疑問を抱き続け『答えてくれる人』を探し続けて下さったから、本来は人間の力だけでどうにかすることが難しい「偶然」を、突破する一歩が踏み出せたんですね。

お母様が息子さんの『数学は美しい』『数学は芸術だ』という五感や認知へ寄り添って『高校には行けなかったけれど、数学の問題集を買って』下さった件も、息子さんの『どうすればいいんだ。』『なんで、こうなんだ。』という疑問や不安へ寄り添って『同じような体験が書いてあった』『たくさんの記事をプリントして』下さった件も、山田さんの自己理解を支え成長の萌芽を大事に育んでいた旨、とてもよく判りました。

山田さんは、気づいておられなかったかも知れません。でもお母様が、息子さんの生まれ持った多様性を「個性」として受容し、その成長を心から信頼し待ち設けておられたからこそ、山田さんは成長の根源たる自己理解へ到れた経緯、私にはよく判りました。

2018年12月22日土曜日

書くことは成長体験への第一歩

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2018-12-22
僕は みんなと同じことが できないので
死ぬしかない。山田

どう文章を書いていいのか わからない。  
でも、書きたいと思ったことがあったから、書きました。 
僕はバカな失敗をしてしまいました。それで、もうやっぱりダメだから、本当に死んでしまいたいと思いました。 
 青木さんに、電話をして「いますぐに話を聞いてください。」とお願いしました。「そうしないと死んでしまうかもしれない。」と おもったからです。 
「わかりました。今から行くので、6時間近くかかるけれど、待てますか」と言ってくれたので、「待てます。」と答えました。 
 サポートセンターのスタッフに手伝ってもらって、文章を書きました。 
「落ち着きなさい。」 
「あなたに1番大切なことは落ち着くことですよ。」 
スタッフから何百回も言われています。  
ありがとう。

***

はじめまして、山田さん。
ヒルマ(私も仮名です)と申します。
50代の女性。「ヒルマ小母ちゃん」とお呼び戴くのが、一番シックリ来る年齢です。

家族は夫と、大学生の娘です。
拙宅は猫を飼いたかったのですが、ずっと賃貸住まいでまだ願いは叶っていません。
今は「専業主婦」と名乗るも烏滸がましい、家事兼業の自宅警備員をやっています。


まずは、山田さんへ「ありがとう」とお礼申し上げます。

『どう文章を書いていいのか わからない』のに、『Joeさんのブログを読んで 僕の気持ちを出したいと』書く決断をして下さったからです。そして青木先生へ連絡して相談したり、スタッフさんに手伝ってもらったりする、勇気を奮って下さったからです。

山田さんが一生懸命書いて下さった小学校での様子を読んで、私の娘も小学生だった頃は全く同じ感じだったなぁ、と思い起こしました。

でも娘は、たまたま小学5年生の時、後に特別支援教育へ転向なさったS先生という担任に巡り会えたお蔭様で、「大学へ入ってからの方が、上手くいく」という見通しが立ち、辛うじて『学校に行けなくなって』しまうことは免れました。

それからこれも偶然ですが、私が中学高校の教員免許を取るため教職課程を履修していたので、娘が『作文もどう書いていいのか、わからない。夏休みの自由課題も何をして良いのかわからない』時、どうすれば良いか辛うじて導けたのだとも自負しています。

とは言え私は、山田さんが『学校は恐かったので、行けなくなってしまった』ことや、お父様の転勤先でも『ずーっと家に』『ひきこもって』しまったことを、山田さんを担任なさった学校の先生がたや親御さんの所為にしたいわけではありません。

「偶然」というのは、人間の力だけではどうにもならないこと、原因・結果の理屈には当てはめられないことを、表す言葉なのですから。


そして私は、山田さんへ「おめでとう」とお祝い申し上げます。

『バカな失敗をして』『やっぱりダメだから、本当に死んでしまいたい』と追い詰められたのに、『「そうしないと死んでしまうかもしれない。」と』考え『青木さんに、電話をして「いますぐに話を聞いてください。」とお願い』する勇気を奮えたからです。

山田さんはご自身の力で、人間の力だけでは本来どうにかすることが難しい、原因・結果の理屈には当てはめられない「偶然」から、脱出する一歩を踏み出せたからです。

【拙ブログの関連記事】『読む。考える。そして、書く。

自信の源は成長にして成功に非ず

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2018-12-21
やっていけるという自信が大切 Mr. Joe

「バンブー」さんは良かったね。
少しは自信がついたと感じたのかな。
自信は自分で勝ち取るものなんです。 
自信を得るには何かをやって、それが他人様から認められて、初めて自信となるのです。 
素敵なイラストを描いて、何人かの人から問い合わせが来たんですって?
あああああ、良かったな。
良かった。 
なんか涙が出てきました。
ありがたい。
皆さんの優しさを感謝します。 
たくさんの仲間が僕の周りで毎日必死になって、社会に戻るための練習をしています。 
皆さんの周りにも、「どうしたらいいのか」と声には出さないけれど、大きな不安の中に独りでいる人たちがいます。 
そんな人たちに、来年こそは良い年になるようにと願っています。

***

この十数年来、ネットの渉猟で拝見して参った限りではありますが、親御さんも支援の専門家も「失敗体験を上回る成功体験があれば自信がつくはず」と、ご自分の五感や認知だけを鑑みてお考えになってしまう大人たちが、誠に遺憾ながら後を絶ちません。

されど生来の五感や認知に凸凹を抱えるゆえ「みんなと同じ」育ちが叶わなかった、すなわち発達障害と称された当事者さんご自身の五感や認知に寄り添うと、彼らにとっては「失敗体験を上回る成功体験があれば」との設定が無理ゲーだと分かってきます。

だってこの国では、「みんなと同じ」でないことは全て「失敗」と烙印されてしまうのです。ならば最初から「みんなと同じ」でない自分には、失敗体験を上回る成功体験なんて無理と考えて、『社会から物理的に距離を置く』すなわち「ひきこもり」しか生きる術が無いと下した判断は、彼らの五感や認知に寄り添うかぎり到って当然でしょう。

Mr. Joeが綴って下さったとおり『自信は自分で勝ち取るもの』なのですから、たとえ親御さんでも支援の専門家でもご自分の五感や認知だけを鑑みて、勝手な条件を設定なさらないで戴きたい。「みんなと同じ」育ちを辿ることが叶わなかったほど生来抱える凸凹が大きいのですから、失敗の方が成功を上回る旨こそ自然と捉えるべきなのです。

なればこそ、大人たちから「失敗体験を上回る成功体験があれば」という無理ゲーを強いられ、「ひきこもり」を選ばざるを得ないという判断へ追い詰められてしまった当事者さんたちに再び自信を回復して戴くためには、失敗成功の如何を問わず『何かをやって、それが他人様から認められ』た旨を彼ら自身が実感できる「成長体験」が必須。

とは言うものの、たぶん「失敗体験を上回る成功体験があれば自信がつくはず」とご自分の価値観だけに囚われてらっしゃる大人たちは、お気の毒ながら成長と成功の違いさえ気づいておられないかも知れません。たとえ『何かをやって、それが』失敗に終わっても、当事者と対等な視点にありさえすれば成長への昇華は必ず導けるのですが……

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Parenting is Difficult or Not?』 『「親になる」のは難しくない?

2018年12月21日金曜日

ゴールは就労ジャナクテ自己投資

消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へのコメント寄稿は、今後暫定的にBloggerへ移転してみます。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。

***

2018-12-20
程度の悪いアスペな俺。自己投資をする。 ヒロ

残念ながら、僕には その仕事が務まらないということが、面談していただいたときに わかりました。しかし、社長さんから いろいろとアドバイスを頂きました。 
1、日本は いまだに新卒採用。しかし、最近は能力や経験値が高ければ、中途採用で良い仕事につける。 
だから ひたすら、自己投資をして、能力を高め続けなさい。能力がなければ、アルバイトのまま一生を過ごすことになるよ。 
日本には たくさんの求人がある。しかし、それは それぞれの企業が求める能力を有している人限定だ。 
能力がない僕が、いくら「やる気」を見せても どうにもならない。だったら、企業で必要とされる能力を獲得すればいいんだ。 
企業が、社員を育てるという 日本式の やり方が変わっていく。日本という国に頼ることも できなくなる。国民1人1人が、自分の頭で考えて行動する時代になった。 
非常に有意義な話を聞くことができました。 
でも、これ、青木さんが随分昔から言っていたことです。 
「いいか、英語は話せて当たり前だ。英語なんて道具でしかない。」
「日本のことに とらわれず、世界に目を向けて いれば良い。」 
それで熟考に熟考を重ねた結果。「自己投資をする。」という結論に達しました。
***

大学の教養科目で臨床心理学を受講した拙宅の娘から教えられたことなのですが、昔は「発達=子どもが大人になること」という考え方だったけれど、今は「発達=生まれてから死ぬまで一生成長しつづけること」と捉えられているそうです。

就学前に発達障害の見立てを下された娘に、私は「自己理解のために、ぜひ受講しなさい」と、今振り返ればどこか上から目線で臨床心理学を奨めました。でも、人と人とが一生成長しつづける者同士として向き合う、対等な関係性こそ健やかな「発達」を支える要諦だと、年少の娘の方から更新された概念でそのとき諭されたように感じました。

ヒロさんが大学を卒業なさって以降、疾風怒濤の紆余曲折を率直に綴り続けて下さったお蔭様で、大学4年目を迎えた私ども母娘は、卒業単位を満了し質の高い卒業研究を完遂することへ専念する覚悟を据えられました。同級生の「みんな」から1年遅れて就活を始めた娘は、来年度の進路が未だ定まってはおりませんが、当人は到って意気軒昂。

『英語は話せて当たり前だ。英語なんて道具でしかない。』
『日本のことに とらわれず、世界に目を向けて いれば良い。』

青木先生のお言葉、実はそっくりそのまま私が娘へ繰り返してきた informed consent でもありました。生来の五感や認知にどれほど凸凹を抱えていても「みんなと同じ」育ちを辿ることが出来なくても、ゴールを就労ジャナクテ自己投資と定め成功を要求すること無く失敗を成長体験へ昇華する旨に邁進し、『自分の頭で考えて行動』できるまで丹念に丁寧に自己理解へ寄り添えば、ひきこもりの危惧を克服できると私は考えています。

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2018年12月19日水曜日

自己理解に徹せばチートは不要

消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へのコメント寄稿は、今後暫定的にBloggerへ移転してみます。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。

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2018-12-19
自分の力で稼いでいけるようになりたい。ヒロ

サポートステーションの記事を読んで、突然昔の記憶が蘇り、青木さんに その人のことを聞きなおして書いたのです。 
その人は、ITの専門学校に入学したのが30才過ぎでした。
名前をケンさん(仮名)とします。 
ケンさんは、高校中退後にひきこもり、青木さんが訪問して支援につながったのが27歳。それから、3年間の支援を受けて、アルバイトにつけるまでになりました。 
アルバイトも順調に行っていた時に、オーナー店長さんが病気になられて、店を閉じてしまいました。青木さんにすすめられて行った「ハローワーク」で、自分の置かれている現実を知りました。 
そして、青木さんと話す中で、ITの専門学校に行くことを決めたのです。 
支援をしている3年間、サポートセンターでは、毎日違うことをやっていました。何が向いているかは、実際に色々とやってみてわかるものです。 
パソコンを触ることに抵抗はなく、すぐにエクセルなどをマスターしていたのです。そんな下地がありましたので、ITの専門学校を勧めたのです。
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なるほど、なるほど……
ヒロさんは最初に『勝手に想像』『全てフィクション』と但し書きしておられましたが、実際は『昨日の記事にはモデルが』おいでだったのですね。拝読した際、私が唐突な展開だと違和感を持ってしまった所以は、スギさんよりずっと以前に支援を受けた「ケンさん」の経緯を、そのまま継ぎ足したノンフィクションだった所為でしょう。

当時はヒロさんを励ますためケンさんがかけて下さった言葉も『耳を右から左に通り過ぎていった』ということは、ケンさんが支援を受け始めたのは少なくとも10年近く昔ではないかと拝察。発達障害当事者(の一部)にIT系の仕事が向いているという件を初めて著したのは、当事者研究の世界的パイオニアであるテンプル・グランディン博士だったと思いますが、その書籍の日本語版が『アスペルガー症候群・高機能自閉症の人のハローワーク』という邦題で刊行されたのも、そう言えば10年前の2008年のことでした。

従って、後にIT系の専門職で大成なさったケンさんが「なぜか当初の支援で、飲食店の調理バイトを斡旋された」のも、青木先生が『何度もなんども、専門学校に下見をしに行った』結果ようやく『ケンさんと同じような生徒が多い』旨にお気づきになり『ITの専門学校を勧めた』のも、10年以上昔の話なら不自然な展開ではなかったわけです。

まぁ一番肝心なのは、稼いでいける『自分の力』つまり他人様がお金を支払って下さるほど優れた職能の、萌芽を見落とさぬため当事者さんが自己理解へ到れるまで徹底的に『毎日違うことを』『実際に色々とやってみて』、大らかに平らかにフリーハンドを育む環境こそ理想だということ。当事者さんご自身が『色々と考え』た覚悟を以て、『大きな決断を』下せるまでに成長体験を重ねれば、チート設定は不要なんでしょうね。

【拙ブログの関連記事】「多様性発達者の就労支援」 「多様性発達者の修学支援」

2018年12月18日火曜日

チート設定は物語の中だけ

消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へのコメント寄稿は、今後暫定的にBloggerへ移転してみます。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

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2018-12-18
安心して働ける雇用形態の職業を目指したい。ヒロ

再びサポートステーションを訪れたスギさん。
担当のキャリアカウンセラーには、その後、何度も相談にのってもらいました。 
そしてスギさんの決断は「ITの専門学校に行き、資格をとって就職する」でした。 
ご両親に相談すると、挫折して再び ひきこもることを心配したご両親は、アルバイトのままで勤めることを勧めました。

キャリアカウンセラーの丁寧な説明で、ご両親は、ITの専門学校に行かせることを承諾しました。もともと大学に行くための費用は手付かずだったので、その費用で専門学校の授業料を払うこともできました。 
めでたし、めでたし。
では ないのです。 
キャリアカウンセラーから言われた言葉は とても重いものでした。
すでに30歳近くになっていたスギさん。
専門学校を卒業しても就職できるとは かぎらないのです。 
やはり企業は新卒を取りたいからです。しかも、履歴書に空白があるスギさんは、すでに大きなハンデイキャップがあるのです。 
しかし!!
抜け道は あるのです。 
「1年間は、必死で勉強しなさい。2年になったら、アルバイトをしなさい。アルバイトはIT系の会社で、それも最近立ち上げたばかりの小さな会社にしなさい。」 
「そこでは、こき使われるけれど、なんでもかんでも やらなきゃいけない。でも、それで足りなかった経験値が補えるのです。」  
「就職も大手会社に入りたい と思うけれど、今の このご時世、特にIT関係は自分に実力をつけていくしかない。実力さえあれば やっていけるんだ。」
***

なるほど、なるほど……
ヒロさんは最初に『勝手に想像』『全てフィクション』と但し書きしておられますから、もちろん理想の翼を自由に羽ばたかせて下さって大いに結構なのですが。

たとえ『全てフィクション』だとしても、この物語をハッピーエンドへ導くには「なぜか当初のカウンセリングでは、飲食店の調理バイトを斡旋されたスギさんだったが、実はプログラミングのコードを書くことなら寝食を忘れて夢中になれる、秘められた職業適性があったのだ!!!!」てな感じの、チート設定が必要になってしまう気がします。

と申しますのも、ひきこもり当事者さん(の一部)にIT系の仕事が向いている、という件は支援の場で常識化していますから、最初にサポステで相談なさった際に必ず検討されたはず。にも関わらず斡旋されたのが飲食店での調理バイトだった経緯は、ご本人が全く興味を示さなかったか適性は高くなかった旨を示唆していると推察されるのです。

となればヒロさんが『勝手に想像』なさった『1年間は、必死で勉強し…2年になったら、アルバイトを…IT系の…立ち上げたばかりの小さな会社』で『こき使われるけれど、なんでもかんでも』やって実力をつけるという「抜け道」は、スギさんにとって相当な無理ゲーでしょう。ゆえに『全てフィクション』だとしても、この物語を説得力のあるハッピーエンドへ導くには、上記のようなチート設定が必要になってしまう次第。


仮にヒルマ小母ちゃんがヒロ師兄に倣って妄想の天空を自在に飛行するなら、スギさん担当のキャリアカウンセラー氏に『調理の仕事には自信があります。』という言葉を是非掘り下げて戴きたい。つまりスギさんの「自信」をもっと具体的に、例えば「同じ料理を何十皿作っても飽きない」とか「レシピを精確に再現するのが得意」とか、調理の仕事で彼が「好きなこと・得意なこと」は何なのかを詳しく分析して欲しいのです。

その上でキャリアカウンセラー氏には、例えば外食産業のメニュー開発部門責任者とか大規模ホテルの会食調理責任者とか、「同じ料理を何十皿作っても飽きない」「レシピを精確に再現するのが得意」という適性の貴重さを好評価して下さる人脈へ、お問い合わせ戴きたい。つまりスギさんにぴったりの、メンター候補へご紹介願いたいのです。

しかしヒルマ小母ちゃんが『勝手に想像』した「抜け道」も、鬼のような面談スケジュールで多忙を極めているであろうキャリアカウンセラー氏に、ニッチな専門職のメンター候補へ人脈を築かせようと目論んでいる点が、やはり相当な無理ゲー。無料の公的な就労移行支援には到底望めない、物語の中だけで成立するチート設定なのでしょう。

【拙ブログの関連記事】「メンターをさがせ!」 「Who're their Mentors?」

“発達障害な僕たち”との論考

いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へは、綴り手の皆様へ宛ててGoogle+の拙ポストを介し2016年の6月下旬からは時々7月上旬からは原則として更新の度コメントを寄せさせて戴いて参りました。

さりながら消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、暫定的に今後の寄稿はBloggerへ移転してみることにします。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。手始めに今年の3月・5月に俊介さん・Mr. Joeと交わした、支援のゴールは何処に置くべきか?という問題についての遣り取りを、以下に転載いたしました。
こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。

***

2018-03-18
発達障害の人を積極的に雇用します!!
僕は応募しないけど 俊介


まず、はじめに…『ヒルマ先生』という呼び方は、ご勘弁願えませんか? その敬称が相応しい職位を離れて、最早10年以上が経ちました。今の私は、社会保障の支援を受けつつ療養している初期癌患者。そして皆さんのブログで貴い勉強の機会を頂戴しているわけですから、むしろこちらこそが「俊介先生」とお呼びすべき立場と思っています。

さて『当事者の人たちは本当に それでいいのだろうかと悩む』俊介さんの『言いたいこと』は、拙ブログの一文を引用すれば『障害の「受容」は「迎合」ではないし、支援への「信頼」は「依存」ではないし、「合理的配慮」は「情緒的庇護」ではないのに、勘違いなさる大人たちが依然、後を絶ちません』という憤りだと拝読しました。

もう少し具体的に書くと、当事者さんに『人と関わらなくても良い』『ストレスなくできる』『バグを探す仕事だけ』をさせるのは障害に「迎合」しているだけですし、『障害者雇用で採用』し『生活していけるだけの給与』は『無理だ』と諦めさせ支援への「依存」を強いているだけですし、「理想論で言うと……活躍してほしいな(現実には、活躍するなんて無理なんだけどね)」と上から目線で語るのは「情緒的庇護」でしかない、ということ。

恐縮ながら転載にはキツすぎる表現をさせて戴いた次第は、いくら穏和なお人柄が身上の俊介さんとは言え憤りの気持ちはご自分で把握・表現することが大切だと考えたから。ホンモノの「合理的配慮」を実現していくためには、当事者さんが自己を主張し相応しい支援・適用すべき合理的配慮は何かご提言下さることが是非とも必要なんです。

【拙ブログの関連記事】「“合理的配慮”てコレやがな!」

***

2018-03-19
発達障害の記事に心を痛める僕です。俊介


なるほど、なるほど……過ぎるくらい穏和なお人柄が時に過剰適応を引き起こしてしまう俊介さんへ、敢えて「怒っても、いいんですよ?」と促すべく昨日の拙文では「憤り」という言葉を使わせて戴きましたが。

もっとシックリ来るのは『心を痛める』という表現なんですね。俊介さんならではの思い遣りに満ちた文章、ありがたく拝読いたしました。

ところで過分のお褒めを頂戴し感謝に堪えませんが、『すごい』という賛辞は謹んで辞退申し上げたく。スタッフさんの心に『こんな表現ができるようになりたい』と向上の意志を喚起し得た旨は光栄の至りとは言え、私が『こんな表現ができるように』なれたのはあくまで自分の「好きなこと」を続けてきた結果。その過程で国立大学に学ぶ機会を得たり公の奨学金・助成金を授かったりしたのに、個人的な諸事情により社会還元を叶えていない者が受ける賛辞ではないと考えています。

『すごい』という賛辞に相応しいのは、実際に支援を行動化なさっている皆さんでしょう。例えば青木先生をはじめとするサポートセンター名古屋の皆様がそうですし、実のところ『発達障害の人を積極的に雇用している会社の社長さん』も『すごい』と私は思うのです。たとえ「合理的配慮」を「情緒的庇護」と勘違いなさっているにしても、実際的な支援が当事者のご家族に当座の救済を与えている現実を前にすれば、その勘違いはほんの僅かな瑕疵に過ぎないのかも知れません。

じゃあ、ヒルマ小母ちゃんが『実際に支援を』しないのは、なぜか?

それは『支援者でも 専門家でも、当事者でも』ない一方、発達障碍について『趣味の範囲で勉強してきた』経験を活かし自家製療育で我が子の自立を叶えつつある『当事者の母親』という立場でなければ、俊介さんたちの『違和感』を闊達に代弁できる傍目八目の「自由」を維持できないからです。誠にもったいなくも青木先生が『こういう時には僕なんかより「ヒルマ」さんに聞けば『答え一発!!カシオミニ』だ。』と当方をご指名下さったのは、まさしく「拈華微笑」と言ったところでしょうか。

【拙ブログの関連記事】「爾後の顚末」

***
拙宅の娘で言うならば、本邦屈指の私立大学へギリギリ滑り込めた幸運を最大限に活かしてニッチな専門職の国家資格を取り、必修の第2外国語のみならず留学用に第3外国語も基礎講座で独学の地盤を築き、卒業研究の主題のことならたぶん大学で一番に詳しい(その主題を研究テーマになさっておられる先生がたは、皆さん他大学の所属なのでw)という所まで「武器」を磨くことが叶っています。

とは言え、不登校で高校や大学を中退してしまったり、なんとか卒業単位を揃えたものの就活で不適応を起こしてしまったり、発達障害の二次障害へ陥ったお子さんを支える親御さんがたは、ほとんどの場合とりあえずアルバイトをさせたり専門学校で資格を取らせたり、ハローワークや就労移行支援で当座の職へ就かせたり、焦るお気持ちが災いしてか「今」の安堵ばかりを求めてしまう模様。

けれどMr.Joeが説いておられるとおり、お子さんが生き抜いて行かねばならないのは『親亡き後』も『長く続いて行く』未来。そして、バイトで積める経験や専門学校で取れる資格や、ハローワークや就労移行支援で就ける仕事は、遺憾ながら「みんな」と同じ「普通」の枠内に踏み留まってようやく、口に糊することが叶う「道具」でしかありません。

五感や認知に凸凹を抱えた当事者が、延々と『親亡き後』も『長く続いて行く』未来を生き抜くためには平凡な「道具」ではなく、凸凹があっても居場所を奪われない『必要とされる人に』なれる「武器」を、是非にも習得せねばならないのです。とりあえずのバイトや専門学校は、せいぜい生活リズムを整えるためのごく初歩的なサポートにしかなり得ない旨、親御さんがたには重々お心得戴きたいと願って止みません。


***

2018-05-17
お母さん方どうか理解してください。Joe


Mr.Joeの見事な連載の最後に、またも拙文引用の名誉を賜り誠に畏れ入ります。

支援のパイオニアから『アドバイザーのような働き』と過分のお言葉を頂戴するのは恐縮の極みですが、スタッフの皆様が『とにかく納得』して下さったのは率直に嬉しい。ヒロさんと青木先生が二人でお始めになったブログを長年愛読させて戴いて参ったお蔭様で、拙宅の娘も「武器」を切瑳することが叶った、せめてもの御恩返しとなれば幸甚です。

集団教育への不適応やひきこもりに陥ったお子さんを支える親御さんが、「働いてくれさえすれば それで満足」と低い目標で遠慮してしまうのは、二次障害を契機に我が子へ下された発達障害の診断が金輪際「伸びない」と断定する烙印なのだ、と誤解なさっている所為でしょう。そして誤解の原因は、「みんな」と同じ「普通」の枠に縋り付くほかまともに生きる術は無いという親世代の偏狭な固定観念だと私は拝察しています。

時代が昭和から平成に変わり世紀を跨いでも尚、五感や認知に凸凹を抱えたお子さんの生きづらさから目を背け「みんな」と同じ平凡な「道具」に拘泥なさる。その固陋な遠慮は、我が子を「受益者負担」という「正論」の枠に嵌め込み、本来は社会が担うべき合理的配慮に係る経費を我が子が生んだ成果から搾取させ、「普通」を自認する「みんな」にだけ都合が良い情緒的庇護へ、そうとは知らぬまま荷担しておられるに過ぎないのです。

大切なお子さんの未来をこそ慮るのであれば、凸凹があっても居場所を奪われない『必要とされる人に』なれる「武器」を習得することが要諦と、親御さん方には是非にもご理解戴きたいと願って止みません。

【拙ブログの関連記事】「待ち設ける親 と 伸び行く子」

2018年12月17日月曜日

バイトは就労にして就職に非ず

いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へは、綴り手の皆様へ宛ててGoogle+の拙ポストを介し2016年の6月下旬からは時々7月上旬からは原則として更新の度コメントを寄せさせて戴いて参りました。

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2018-12-17
30歳程度の悪いアスペな僕が感じている
危機感を皆様と共有したいのです。ヒロ

「ハローワーク」は、ダメだと言っているわけではありません。僕たちのような状況の人たちには、なすすべがない ということなのでしょうか。
スギさんが現在の職場である都内の飲食店で働くようになったのは17年10月。サポステを訪れてから約1年半が経過していた。その間、サポステでは、第一歩を踏み出すために個別のカウンセリングやいろいろな無料セミナー・講座を受けた。
 僕なら まずは「スギさん仕事が決まって良かったね。続けられたら そのことが また自信になるよ。」と言いたいです。
飲食店では、調理の仕事をしているスギさん。そしていま、さらなる一歩を考えている。不安定なバイトから、安心して働ける雇用形態の職業を目指している。
「うん? 飲食店で調理の仕事?」「あああ、アルバイトなのか。」
そしていま、さらなる一歩を考えている。不安定なバイトから、安心して働ける雇用形態の職業を目指している。
「おおおおおおお、やっぱりサポステわかっていらっしゃるのですね!!!!!」 
で、ここが この記事で1番大切なところです。
「不安定なバイトから、安心して働ける雇用形態の職業を目指している。」激しく同意です。
 
「そうだ!!スギさんも気づいたんですね。まだまだ遅くないですよ!!」と、俺は「スギ」さんの手をにぎって励ますんだ。
で、スギさんは それからどうしたのか? 
えっ!! あれ、おしまいですか!!
***

そうです、そうです!
ヒロさんがお気づきになったとおり、無料で利用できる公的な就労移行支援ですと、アルバイトでも「就労」と見做されサポート対象から外されてしまうため、当事者さんが『不安定なバイトから、安心して働ける雇用形態の職業を』目指す意志を持てても、後は自助努力でどうぞ……という次第になってしまうようなのです。

加えて多くの親御さんは「バイトから正社員に昇格できるかも」などと昭和風な甘いお考えでらっしゃる気配。平成の雇用はあらゆる分野が、昇進・昇給の無い非正規(ないし企業側が公的補助を受けられる障害者枠)で労働力を賄うべく腐心する方針へ転換してしまったのですから、バイト(ないし障害者枠)から正社員なぞ夢物語なのにご承知戴けていません。

斯く言うヒルマ小母ちゃんの娘も卒論執筆の傍らボチボチ始めた就活は、ニッチな専門職ゆえ求人自体が稀なことも相俟って、常勤・非常勤の別を問わず応募中。されど就労の目的は、専門職の正資格取得を実務で満了し海外留学へ赴くための足掛かりですので、当人は到って意気軒昂。『みんなと同じ』ではない自分には、どんな『なすすべ』があるのか……見通しが立っているからこそ、彼女がひきこもる危惧は無いのです。

【拙ブログの関連記事】「多様性発達者の就労支援」 「多様性発達者の修学支援」

2018年12月16日日曜日

拝啓、“発達障害な僕たち”さま

いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へは、綴り手の皆様へ宛ててGoogle+の拙ポストを介し2016年の6月下旬からは時々7月上旬からは原則として更新の度コメントを寄せさせて戴いて参りました。

さりながら消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、暫定的に今後の寄稿はBloggerへ移転してみることにします。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

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2018-12-16
失敗した僕たちが再び
社会復帰するために絶対に必要なもの。ヒロ

集団行動の練習をするとか、毎日何キロ走らせるとか、またはビジネスマナーの練習ということで、電話の応対や面接の練習をするとか、多くはそんなプログラムが多いのではないでしょうか。
もちろんサポートセンターもそれらについては、必要だと思っています。毎日、プールやジムで体力の回復を図っていますし、基本的な社会スキルの習得も重点を置いています。でも、遊ぶことを重要視しているその背景には、自分の殻を突き破ることを願ってのことからなんです。 
言い換えれば、モチベーションをあげることです。
毎日、ダイビングを続けること。(毎日、潜り続けることは健康を害してしまいますので、毎日は潜ってはいません。講義やダイビングショップのお手伝いをしたりとかです。) 
テニスやサーフィンを頑張ってやること。  ダンスを先生について学ぶことなどなど。  ボランティアを一生懸命すること。 
遊んでいるようで、実は真剣なんです。 
支援している人たちの多くは、最後まで一生懸命やりきったという経験がありません。ですから、色々なプログラムをやらせてみて、その中から、好きだというもの、得意だというものにフォーカスをしていきます。
毎日、やり続ける事で、一年も経てば、彼らの顔つきは格段に変わっています。
***

そうです、そうです! 
『再び社会復帰するために絶対に必要』あるいは、ひきこもるほか術が無いなどと追い詰めてしまわぬため『絶対に必要なもの』は、当事者さんご自身が『最後まで一生懸命やりきったと』実感できる経験、すなわち失敗体験から成長体験への昇華なんです!

最悪なのは、成功のみを要求し失敗を厳しく糾弾する文化である旨は、言うに及ばず。失敗を一応は容赦しつつ成功による補塡を『失敗体験<成功体験』なぞという公式で要求する文化も、当事者さんの『最後まで一生懸命やりきった』実感ではなく親御さんや専門家の「上から目線」な主観を優先しておられる点で、根本的な勘違いをなさっているのではないか……と私は考えています。

たぶん親御さんからすれば、お子さんが『自分の殻を突き破ることを願って』例えば大学進学を奨励なさった「つもり」なのでしょう。しかしその進路選びは本当に、当事者自身が『最後まで一生懸命やりきったと』実感できる『好きだというもの、得意だというものにフォーカス』していたのか……「上から目線」な主観を一旦離れた俯瞰で、今ふたたびお考え直し戴けますと幸甚です。

【拙ブログの関連記事】「ひきこもらせない文化」

2018年6月27日水曜日

「親になる」のは難しくない?

『子育ては難しい?それとも難しくない?』

いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンター名古屋ヒロさんから、こんなご下問を頂戴しました。それにお答えするため、「育つ」行為の主体はお子さんなのに親御さん主体で「子育て」を成功させねば!とお考えだから、『子育ては難しい』『難しい子育て』と溜息を吐く顛末へ到ってしまう。つまり「子育て」という概念にこそ「難がある」と、ホントは3行足らずで済む話を長々と説明させて戴いたのが前回

今回は、じゃあ「parenting(直訳すれば「親になること」)という概念を以て向き合いさえすれば、たとえ生来の五感や認知に凸凹があって「普通」の発達過程をたどる「みんな」と同じペースで「育つ」ことが叶わなかったケースでも、我が子の「育ち」を支え将来の希望へ導くことは『難しくない → 簡単』なのだろうか?というお話です。

***

結論から先に言ってしまえば、『難しくない → 簡単ですよね?』というヒロ師兄の問いかけには、ぃやぃや〜簡単じゃないですよ〜とお答えを返すことになります。

殊に師兄の場合、ご自身で繰り返し綴っておられるように『自分が失敗したことを客観的に見て、どうすればよかったのかが わからないとダメ』な『座学や自分で本を読んだだけでは 理解できない』特性をお持ちなので、いっそう簡単ではないでしょう。

ただし「親になる」ことは、事前に『あらゆることを経験して失敗して そこから学ん』でおくことが、誰にとっても不可能。『座学や自分で本を読んだだけで』理解する力がある「普通」の発達過程をたどった「みんな」でも、簡単である筈が無いのです。どんな子の「親になる」か、産まれて/育んでみないことには全く判らないのですから。

『子育ては難しい』『難しい子育て』と溜息を吐いてらっしゃる親御さん方が、考え違いをなさっておられる最も重い誤解も、たぶんそこだろうと私は拝察しています。

お子さんが不登校や不就労といった社会への不適応に陥り、うまくいかない「子育て」で悩む顛末へ到った所以は、産まれて/育んでみないことには全く判らない我が子に即し、どんな「親になる」か決していくべきだったのに、『座学や自分で本を読んだだけで』あるいはご自身が「普通」の発達過程をたどって来た中で、習い性としてきた親御さんの嗜好や価値観に即し事前に「子育て」の理想を描き予定を立ててしまったから。

『子育ては難しい』『難しい子育て』と行き詰まっておられる旨は誠にお気の毒ですが、辛辣な物言いご無礼ながら「parenting」という概念を以て娘との関係性を築いてきた視座から拝見すれば、手前勝手に描いて来た「子育て」の理想が破れた・予定が崩れた、と親御さんご自身の考え違いを棚に上げ右顧左眄しておられるに過ぎないのです。

***

以上のような見方をすれば、『自分が失敗したことを客観的に見て、どうすればよかったのかが わからないとダメ』な『座学や自分で本を読んだだけでは 理解できない』特性をお持ちなヒロ師兄の『難しくない?』というご下問には、簡単じゃないけれど事前に勝手な理想や予定をお立てになれない分、定型発達症候群に陥っている「みんな」よりずっと我が子に即した「parenting」がお出来になれそうとの結論になります。

そして前回の最後、ヒルマ小母ちゃんの感想は「Parenting is just Wonderful!!!(「親になる」って尊い!!!」だったと申し添えましたが。「Parenting」という概念を以て生来の五感や認知に凸凹がある子どもと向き合う上で大切なのは、次から次へと起こり続ける「wonder」(意訳すれば「想定外」)を「理想が破れた・予定が崩れた」と難しがらず「理想は仮想・予定は未定・大丈夫は、だいたい丈夫!」と楽しく感応できる心です。

『ドラゴンボール』『スターウォーズ』Sense of Wonder を磨いてきたヒロさんなら、きっと「うまくいっちゃう」はず!と蔭ながら信頼申し上げております。

>>前篇『Parenting is Difficult or Not?』を読む

2018年6月25日月曜日

Parenting is Difficult or Not?

『子育ては難しい?それとも難しくない?』

いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンター名古屋ヒロさんから、こんなご下問を頂戴しました。ヒロ師兄へは3年前のクリスマス・イヴに、「いかなる無理難題でも、パワー全開でお応えするのが、師妹の勤め」との誓詞を啓上しております。

それに加えて、『子育ては難しい』あるいは『難しい子育て』という文言を、殊に専門家を名乗って発信しておられる御仁が、頻繁にお使いなのをお見かけする度、へそ曲がりなヒルマ小母ちゃん「なんだかなぁ」と居心地の悪さにムズムズしていたところ。

とは言え「いぃや、難しくないですよ!」と反駁したいがため、『子育ては簡単なんですよね?』と問われれば、それもちょっと違うかなぁと思うんです。

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そもそも「子育て」って日本語が、私は気に入らなかったりw
アメリカですと「parenting(直訳すれば「親になること」)という言葉を専ら使っているようですが、そちらの方が行為の本質を表現できている、と私は感じるのです。

ヒロ師兄の「言葉遊びで、お茶を濁すのか〜?」という声が聞こえて来そうですが、落胆するなかれ。人間てのは、どんなに視覚優位な感覚の凸凹をお持ちの皆さんでも、深く思考するには「言葉」を使わねばなりません。いわゆる「概念」てヤツですが、困った事に遭遇して頭を悩ませねばならない時こそ、コレが大きく影響して来るんですよ。

では、ヒロ師兄が『ご両親の要請で面談に同席』なさった親御さん方は、一体どんな困った事に遭遇して、頭を悩ませねばならない状況へ陥ってらっしゃるのか?

「だーかーらー子育て、ですよ!みなさん、子育てに失敗して悩んでる、って書いたじゃないですか?」とヒロ師兄からツッコミ入りそうですが。はい、その「子育て」という言葉をマルッと「parenting」へ差し替えてみて下さい。日本語直訳なら「親になること」ですけど、皆さんは「親になること」に失敗しちゃっておられるんでしょうか?

そんなことは、ないですよね。ご多忙の合間を縫ってサポートセンター名古屋へ連絡を取り、ご多用を遣り繰りして面談の時間を拵えて下さったのですから、皆さんは「親になる」という行為に於いて叶う限りの最善を尽くそう、と努めてらっしゃる。そんな親御さんに対して「parenting」に失敗した、と決めつける輩こそ唾棄すべきでしょう。

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そもそも「子育て」という概念が、たくさんの問題の根源になっている、と私は考えています。本来「育つ」行為の主体は子ども自身である筈なのに、「子育て」という概念ゆえ親の方へ主体が偏向させられてしまっている。

特にお子さん生来の五感や認知に凸凹があり、「普通」の発達過程をたどる「みんな」と同じペースで「育つ」ことが叶わなかった場合、行為の主体が親御さんへ偏向させられているご家庭で、子どもを主体とした(いわゆる当事者本位の)サポートが実現せず親の価値観に沿った方策ばかりが施された結果、二次障害へ増悪させる例が後を絶ちません。

大統領さんの ご家庭も  名無しさんの ご家庭も  東大さんの ご家庭も
Mr. Joeの ご家庭も  俊介さんの ご家庭も  ジャイアンさんの ご家庭も

そしてヒロさんのご家庭も、「育つ」行為の主体はこの子自身なのだから、この子が「できないこと」を「できること」にするまで根気強く支えて行こう、と親御さんが「parenting」の概念で深く思考を巡らせて下さっていたら、重篤な二次障害に頭を悩ませねばならない状況へ、きっと陥っておられなかっただろうと私は考えているのです。

改めてヒロさんから頂戴したご下問にお答えすれば、「育つ」行為の主体はお子さん自身なのに、親御さん主体で「子育て」を成功させねば!とお考えになるから、『子育ては難しい』『難しい子育て』と溜息を吐く事態へ到ってしまう。つまり『難しい?それとも難しくない?』という話ジャナクテ「子育て」という概念にこそ「難がある」のです。

そして最後に、妊娠・出産を在米中に経験したお陰様で「parenting」という概念を以て娘との関係性を築くことが叶った、ヒルマ小母ちゃん自身の個人的感想は「Parenting is just Wonderful!!!(「親になる」って尊い!!!)」だった旨を申し添えておきます。

>>続篇『「親になる」のは難しくない?』を読む

2018年4月30日月曜日

A Hasty Lonely Cassandra

保育園で『危うさ』を指摘された際に専門医を受診していれば、高機能自閉症と診断されたであろう拙宅の娘彼女の「多様性」は、4年前の初冬に亡くなった父方の祖父、すなわち二等親血縁者から受け継いだと理解するのが最も蓋然的と私は考えています。

娘自身の自己理解をゴールに据え、小学3年生あたりから本格的な「自家製療育」を始動した拙宅ですが、同じ時期に夫から義母へも孫娘が抱える「障害」を改めて告知しました。発語発話が極端に遅れていた初孫へネガティヴな反応しか出来なかった私の実母とは真逆に、義母は動揺を表に出すことも無く愛情を注いでくれており、きっと受容して戴けるだろうと期待が持てたからです。

その折に夫が自閉圏の情緒的特性について説明すると、義母は突如「それ、ウチのおとうさんだわ!」と瞠目し、結婚以来ずっと被ってきた数々の「迷惑」を堤防を決壊させた奔流のごとく語り始めました。孫娘の障害告知は、数学者だった義父が未診断ながらアスペルガー症候群であり、義母が「カサンドラ情動剥奪障害」に長年陥っていた可能性を、強く示唆した瞬間でもありました。

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義母が繰り返し話してくれた義父の「迷惑」エピソードは、例えば
友人と夫婦同士で会食した時に、初めて会った相手の妻君をマジマジと眺めた上、感服した調子で「奥さんは、太ってますねぇ」と言ってしまったため、恥ずかしいやら恐縮するやらで、冷や汗をかかされた。
と、いかにもアスペルガー的でありつつどこか微笑ましい落語調でしたが、義母の明朗な天性が昇華させた「思い出」だからでしょう。そんな夫婦の間で息子として育った(自閉圏寄りですが「障害」には到っていない)夫からすれば、母親の「正論」が通用しなくなる度に差異をめぐる不和や対立勃発必至だった実家へは、根強い悪印象しか抱けない様子。子どもの視点からは、寡黙な「聞く耳を持たない父」より「口やかましい母」の方が悪者だと見做されがちな経緯も、「カサンドラ情動剥奪障害」の典型と言えます。

義母が同居していない「内孫」(夫が唯一の男子なので、拙宅の一人娘は唯一の「内孫」)と嫁に、結婚以来の差異をめぐる不和や対立を微笑ましい「思い出」へ昇華して語るのは、血縁であっても同居していない者は「お客様」そして内孫には跡取り(家業は無いため実質的には墓守)になってもらわねば、との「正論」が遠慮として働いてくれるから。ちょっと意地悪な考え方ですけれど、義父から自閉圏の情緒的特性を受け継いだと思われる娘が、「カサンドラ」状態にある(と推察される)祖母の不信感・被害感の傷心が起爆する攻撃的な反応を避けるには、きっと丁度良い心理的な距離を置く旨こそ最善なのでしょう。

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では、そんな夫婦の間で育ったもう一人の子、すなわち実の娘である義理の姉と「外孫」には何が起こったのか?と考察を広げれば、義姉が実父の告別式に参列せず(おそらく妻の強固な反対を押し切って)列席して下さった義兄に娘と息子を同伴させなかった事情を、不調法を憚らぬ理系な弟嫁と言えど一応の妥当な根拠で事実に迫る推理ができます。

義父と義姉が「アスペルガーの父」と「カサンドラの娘」だったのと同時に、義母と甥は「カサンドラの祖母」と「アスペルガーの孫」だったと解題すれば、義姉は実父への遺恨ゆえに告別の礼を拒んだとの推察も、「カサンドラ」状態にあって「アスペルガーの孫」へ被害的・攻撃的な反応をしがちな祖母から息子を守るために(との発想も「カサンドラの娘」ゆえの不信感・被害感による過剰反応なのですが)参列させなかったとの推察もできるのです。

情緒的に自閉圏寄りの夫は、十年以上続く母親と姉の不和について「考えたくもない」と「聞く耳を持たない父」によく似た態度で辟易する一方ですが、「カサンドラ」同士の被害的・攻撃的な反応が生じた対立では?との仮説を質してみたところ「確かにおじいちゃんがKちゃん(義姉の娘)に不躾なことを言ったか、おばあちゃんがAくん(義姉の息子)に余計なことを言ったのが、おおかた原因なんだろう」との合点を得られました。

さりながら状況が俯瞰できていても、私は義母や義姉からすれば赤の他人の「お客様」に過ぎません。各々家庭を主導している彼女たち自身が「我が家には『障害』がある」と認め、家庭の埒外へ援助を求めなければ膠着を解決する糸口もつかめないのです。

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今年の春休みも拙宅の娘は孤独を託つ祖母へ、好物の手土産と大学3年目の成績が更新された単位取得状況のプリントアウトを携え、ご挨拶に参じました。例によって私が同伴しなかったのは嫁への気遣いを義母に強いたくなかったのと、娘が自閉的な行動パターンの表出を自制し相手の振りかざす「正論」も受け流す経験を積ませたいから。

果たして娘は不躾なことも余計なことも表出を自重し、うまく祖母のご機嫌を取り結べた模様。しかし彼女の帰宅後、ちょっとした行き違いで咄嗟に義母が呈した行動は、「カサンドラの祖母」が「アスペルガーの孫」(孫の発達障害を承知であっても)不信感・被害感を我慢しがたい性向をも実証していました。「せっかち」だから「見えていない」↔「見えていない」から「せっかち」という悪循環で極まった「カサンドラ情動剥奪障害」へ、義母と義姉が向き合える契機を蔭ながら待ち設けている不肖の嫁なのです。

>>前篇『An Easy Lonely Mathematician』を読む

2018年4月27日金曜日

カサンドラの孤立

「普通」なら大人になるまでに自然と出来るようになることが、何歳になっても出来ないまま看過され、思春期以後の学校生活への不適応や、成人しても社会参加できない状況へ陥ってしまった……端的に言えば、それが「発達障害の二次障害」です。

しかし、二次障害を契機に全く意想外だった発達障害の診断が我が子へ下されても、それは金輪際「伸びない」と断定する烙印ではありません。当事者の成長を心から「待ち設ける」ご家族の支えがあれば、ゆっくりですが確実に「伸び行く」可能性を潜在させていますが、いかがしますか?と未来の選択を問うている informed consent なのです。

ところが、親御さんに「待てない」ご事情があり、療育されなかったお子さんが「伸びない」まま二次障害へ陥ったとしても、親御さんの「学び」が叶えば障害の受容と支援への信頼に基づいた当事者本位の「合理的配慮」で過去への後悔を払拭し、我が子の二次障害回復と社会適応という未来へ進めるのに、学ぶどころか不信感・被害感を我慢できず攻撃的にしか反応できない「親の障害」が、特に深刻なケースで散見されます。

前回の記事では、殊に重篤な二次障害は当事者の『ほとんどがアスペルガーという分析、そしてネット上で多くのお母様がたが家庭内に差異をめぐる不和や対立先行していた経緯を吐露なさっている旨をヒントに、「親の学び」を支障する主因は、相当数のケースで「カサンドラ情動剥奪障害」なのではないか?との仮説を考察しました。

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では、お子さんの養育を主導してきた親御さん(多くの場合は子の母親)が、一等親(多くの場合はお子さんの父親)もしくは二等親血縁者(お子さんの祖父母のいずれか)との継続的なコミュニケーションの不全に疲弊・消耗した結果、「カサンドラ」状態へ到っていた旨を強く示唆するケースだと、「待てない」事情は一体どんな「親の障害」まで極まってしまうのか?

第一に「カサンドラ情動剥奪障害」を思わせる親御さんは、歯に衣着せぬ不調法をご容赦願えば「待てない」と言うより非常に「せっかち」です。お子さんの二次障害を契機に「親の都合」で直接の指図を我が子へ下す癖は辛うじて自重できたとしても、日常的に苛まれておられる混乱や当惑/不安や罪悪感ゆえ「そうせねば(自分が)迷子になってしまう」との強迫観念に駆られ、我が子の進路を性急に決したがるご様子。

大学の相談室や就労移行支援事業といった当事者支援へ我が子が繋がれても、むしろ親御さんの方が足繁く面談へ赴き、されどその内容は概して「カサンドラ情動剥奪障害」の可能性を想定していない限り)ご家庭内のいざこざから生じた愚痴に過ぎないので、支援のパフォーマンスを著しく削ぐばかり。担当者とトラブルを起こして「モンスターペアレント」認定され、お子さんへの支援を途絶されてしまった例さえお見かけしました。

かと思えば「親の都合」で設定してきた進路をお子さんが踏み外した途端、親御さんご自身の自己嫌悪・自己喪失が我が子に対する関心へ反映され、「期待していた私がバカだった」「生まれつきだったんだから障害者枠で就職するしかない」との短慮を即座に実行。当事者の自己理解を導く暇も無いわずか数ヶ月の就労移行支援で、二次障害の傷心も癒えぬままのお子さんを障害者雇用へ追い立てる例が後を絶ちません。

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第二に「カサンドラ」状態へ陥っている親御さんは、僭越な物言い誠に恐縮ながら「待てない」と言うより「見えていない」のです。その自覚はご本人にも重々あって見聞を広めよう・知識を増やそうと努力なさる勉強会や講演会へ熱心に通う等)のですが、ご自身の感覚・感情に強く囚われておられる(自閉圏当事者が陥る負荷過剰(メルトダウン)に酷似しており「カサンドラ情動剥奪障害」「鏡症候群(ミラーシンドローム)と旧称された所以)ため、効果は薄い模様。

「アスペルガー」「カサンドラ」という言葉・概念は「知っている」のに、差異をめぐる不和や対立を常時勃発させているご家族とご自分の関係性に対しては応用できず、自身を取り巻く状況が「見えていない」まま疾うに「迷子になって」いるのです。進むべき道を見失った時は、子どもであれ大人であれ周囲に援助を求めるのが鉄則ですが、自閉圏当事者(多くの場合はお子さんの父親、あるいは祖父母のいすれか)が潜在していた家庭内で家族全員のフリーハンドを仕切って来たゆえに、援助の求め方も「見えていない」。

「せっかち」の具体例で前述したように、他者を信じる/委ねるという感性がすっかり摩耗し相手へ縋り付く/さもなくば拒むという二択の人間関係しか結べなくなっているので、家族外でも「モンペ」「毒親」と非難されている(お子さんの問題点を指摘されただけで、そう感じてしまう)不信感・被害感の傷心を、享楽的・刹那的な交友で紛らわせる自転車操業の精神生活しか営めない。それが更に「せっかち」を加速する悪循環を絶てません。

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もちろん拙ブログの本旨は、「待てない」事情から「親の障害」へ極まってしまった旨を責めることではございません。我が子の未来を短慮で諦めてしまう前に、あなたの心の奥底で道を見失い途方に暮れている「迷子」を、先ず助けて戴きたいだけなのです。

ここまで閲覧下さって尚「勝手にウチの内情を書き立てられた!」との被害的な反応しか心に生じなかったとすれば、それこそ「カサンドラ」状態へ陥っている証左。ご自分が感じておられる「どうして私はすぐキレるのか」という自己嫌悪を迂闊に放置せず、お子さんの発達障害を診て下さっている主治医を、親御さん自身も受診して戴きたい。

診断名は気分障害や発達障害と下されるかも知れませんが、専門医が準拠するアメリカ精神医学会の診断基準「カサンドラ情動剥奪障害」が未だ含まれていない所為です。お子さんの養育を主導してきた、言い換えればご家庭を主導なさってきた親御さんが思い切って医療へ繋がれば、長年に渉って受け続けた不信感・被害感の傷心へのケアが実現できますし、ご家族全体のQOLを改善する方策も実行に移しやすくなるでしょう。

「せっかち」だから「見えていない」↔「見えていない」から「せっかち」という悪循環で極まった「親の障害」へ、一例でも多く向き合って戴けるよう願って止みません。

2018年4月25日水曜日

カサンドラの呪縛

「普通」ならこの月齢/年齢では自然とこんなことが出来るようになる、という目安に対し、遅発していることと早発していることの凸凹が極端に大きい……語弊を懼れず端的に言えば、それが「発達障害の徴候」です。

そして、「普通」なら大人になるまでに自然と出来るようになることが、何歳になっても出来ないまま看過され、思春期以後の学校生活への不適応や、成人しても社会参加できない状況へ陥ってしまった……端的に言えば、それが「発達障害の二次障害」です。

しかし、二次障害を契機に全く意想外だった発達障害の診断が我が子へ下されても、それは金輪際「伸びない」と断定する烙印ではありません。当事者の成長を心から「待ち設ける」ご家族の支えがあれば、ゆっくりですが確実に「伸び行く」可能性を潜在させていますが、いかがしますか?と未来の選択を問うている informed consent なのです。

つまり、親御さんに「待てない」ご事情があり、療育されなかったお子さんが「伸びない」まま二次障害へ陥ったとしても、「普通」のことが自然と出来るようにはなれない「障害」なのだから、我が子を「伸ばす」ため適切な支援をしようという親御さんの「学び」が叶えば、障害の受容と支援への信頼に基づいた当事者本位の「合理的配慮」で過去への後悔を払拭し、二次障害の回復と社会への適応という未来へ進めるはず……

すなわち、お子さんの成長を心から「待ち設ける」ためには、先ず親御さんの「学び」を妨げている「待てない」ご事情へ向き合うことが、どうしても不可欠になります。

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とは言え、親御さん方が「待てない」ご事情は、ご家庭ごとに千差万別。
複雑に絡み合った事情をあまり仔細に考察させて戴くと「あぁ、アソコのお宅か」と察しが付いてしまうほど特異性が高いため、「親の都合」を個別に解題していくだけでは恐らく混迷が深まるばかり。要諦を見極めるのは却って難しくなってしまうでしょう。

多数のケースで共通している因子(主因である可能性が高い事象)を抽出し、そこへ重点的に対処する方が奏功を期待できるのですが、「子の都合」ゆえの「二次障害」すなわち成人しても社会参加できない「ひきこもり」の実態把握さえ端緒に付いたばかり。親御さんの「学び」を妨げる「親の都合」の調査は、いっそう立ち後れているのが現状です。

さりながら、手がかりが全く無いわけではありません。第一のヒントは、幾度か拙文が引用の栄誉を賜っておりますブログ「発達障害な僕たちから」にありました。この春から、めでたく訪問支援スタッフとして就任なさった俊介さんの記事に拠れば、
それで他の人と会ってみて わかったことは、
このサポートセンターで支援を受けている人の ほとんどが
アスペルガーと診断されている人だ ということです。
間違っていたら、スタッフの人が訂正してくれます。
青木さんに聞いたんですけれど
LDとの診断を受けて支援をした人は20年間で1人だったそうです。
ADHDとの診断も わずからしいです。
問題の多くはアスペルガーの人たちなんだ ということでしょうか。 
との傾向が見られるそうです。サポートセンター名古屋は殊に重篤な二次障害を対象として、20年に渉根源的かつ先鋭的なサポートを実践してきた発達障害支援のパイオニア。やはり「親の都合」の方も取り分け深刻なケースを多数ご経験と拝察されますが、当事者は『ほとんどがアスペルガー』との分析こそ第一の重要な手がかりとなります。

***

第二のヒントは、ネット上でお母様がたが吐露なさっておられる率直なご真情です。

前回の拙ブログでは、二次障害以降の『親の学び』が簡単には実現し難い理由として、親御さんが「こういう場合は、こうするもの」という「正論」を頑なに奉じておられる信念と、「障害」と「人格」を混同しがちで我が子に対する「不憫な子だ」という卑下や「厄介な子だ」という厭悪を拭い去れない葛藤を挙げました。

けれどもう少し広くご家庭の人間関係を俯瞰すると、親御さんの強固な信念と執拗な葛藤の背景には、発達障害と診断されたお子さんとは別の成人家族との間に、親御さんご自身が習い性としてきた「正論」の通用しない差異をめぐる不和や対立を、必ずと申し上げてよいほど先行・併存させてきた経緯が窺えるのです。

重篤な二次障害の当事者は『ほとんどがアスペルガー』という分析。
そして差異をめぐる不和や対立先行していた経緯。

二つのヒントを総合すれば、実はお子さんが二次障害へ到るずっと以前から、養育を主導してきた親御さん(多くの場合はお子さんの母親)が、未診断ながらアスペルガー症候群もしくは高機能な自閉圏の特性を呈する一等親(多くの場合はお子さんの父親)あるいは二等親血縁者お子さんの祖父母のいずれか)との継続的なコミュニケーションの不全に疲弊・消耗しており、いわゆる「カサンドラ情動剥奪障害」に陥っている可能性が強く示唆されます。

ウィキペディアに引用されている解説に拠れば、
カサンドラ情動剥奪障害(-じょうどうはくだつしょうがい, Cassandra Affective Deprivation Disorder)とは、アスペルガー症候群の夫または妻(あるいはパートナー)と情緒的な相互関係が築けないために配偶者やパートナーに生じる、身体的・精神的症状を表す言葉である。アスペルガー症候群の伴侶を持った配偶者は、コミュニケーションがうまくいかず、わかってもらえないことから自信を失ってしまう。また、世間的には問題なく見えるアスペルガーの伴侶への不満を口にしても、人々から信じてもらえない。その葛藤から精神的、身体的苦痛が生じるという仮説である。
と、主に夫婦間の不和から生ずる状態として定義されていますが、後述には
カサンドラ症候群は妻だけでなく、家族、友人、会社の同僚にも起こるとされている。
との引用もあり、発達障害と診断されたお子さんの二等親血縁者祖父母のいずれか)自閉圏の情緒的特性を呈していた結果、近しく交わらねばならなかった親御さん(多くの場合はお子さんの母親)「進行中の心的外傷体験」へ陥るケースも大いに考えられるのです。

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「待てない」親御さんの抱える「親の都合」が全て「カサンドラ情動剥奪障害」だ、と断ずるつもりは無論ございません。けれど相当数のケースでは、お子さんのゆっくりですが確実な成長の萌芽を「待てない」ご事情を静観させて戴くうちに、我が子が呈する自閉圏の情緒的特性や疎外感に起因する認知の歪みについて「学ぶ」どころか、不信感・被害感を我慢できず攻撃的にしか反応できない「親の障害」が垣間見えて来ます。

次回は引き続き、子の養育を主導してきた親御さんが「カサンドラ」状態へ到っていたゆえの「待てない」ご事情について、より具体的な解題を試みていきたいと思います。

>>後篇『カサンドラの孤立』へ続く