昨年夏には「みんなと同じ」ペースで大学から卒業見込のお墨付きを頂戴できましたが、ニッチな専門職に一旦就いたあと学資を貯めて留学するという自己投資の覚悟へ娘が到れた旨を幸い、夏休みから年末まで研究調査と論文執筆にガッツリ注力していました。
えぇっ?! さすがに4回生の夏には就活を始めさせなきゃマズいんじゃ?と思った親御さんがたには、僭越な物言い不躾ながらその附和雷同こそ「就活がうまく進まない」原因。「みんなと同じ」教育課程で積める「普通」の経験を通過させただけでは、いかに優秀な学業成績を修めていようと人間としての不備不足を抱えたまま長じてしまうのが、定型の枠を大きく外れたPolymorphous Developments=多様性発達者なのです。
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『事務所に移動してもらって、作業をしてもらいました。アルミ製のラックを組み立てるのです。一緒にスタッフが協力しますが、50代男さんが全て指示を出します。
20分ほどで出来上がりました。「すごいですね。丁寧に できましたね。」「次は なんの作業ですか?」
「この作業が できない人たちが います。どう思いますか?」
「こんなことは 誰でも できます。できない人は、障害者の人でしょう。」と50代男さんがイライラして僕に言いました。
「はい、できない3人は、ヒロさん、山田さん、そして僕です。」僕と聞いて 僕の顔を じっと見つめる彼です。
「確か東大 出ているんですよね。東大出てても できないの?」
「はい、東大ではラックの組み立て方も重なった蚊取り線香を1枚だけ離すことも 教えてくれなかったです。」
「そんなもん 教えんわな。」
「そうなんです。教えるまでの ことでもないのです。」「他の人にとって簡単なことが 僕やヒロさん、青木には とても難しいことなのです。」
「青木先生は賢そうな人に見えたけれど。頭が悪いのか?」
「いいえ、そういうことではありません。青木は図工や体育が1か2でした。集団行動ができません。絵は幼稚園児が描く程度です。」 「しかし、ひきこもっている人たちの支援に関しては、大きな成果をあげています。青木と肩を並べる人はそうはいないでしょう。」 「できないことは できるようにすれば いいだけなんです。」「時には誰かに手伝ってもらっても いいんです。」
「だったら、僕は何もしなくて いいことになるな。」
「違います。努力すれば できるのに、しないことは よくないことです。今あなたが していることは、努力して できるように することなのです。」』
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青木先生の『50代男さんは、3年間支援を受け続けた後、自立できるように』なるというご高察、5年の支援を要した大野さんより2年も短い支援で自立できるだろうとのご見解ですから、私が前回『筆致から窺えるドラゴンズさんのお人柄が、大野さんの最初の記事と比較しても、さらに高潔で慈愛を兼ね備えた知性を有して』おられると述べた「確信」に対する答え合わせと解釈させて戴きつつ、有り難く拝読いたしました。
青木先生が『思いつきではなく、4年間 50代男さんを見続けてきたことから そう判断』なさったように、私も単なる思いつきではなく「50代男さん」ことドラゴンズさんが綴って下さった2篇の記事を、文言文章の語義のみならず行間までを熟読熟考し「東大さん」こと大野さんに優るほど高潔で慈愛を兼ね備えた知性を「確信」したのです。
それに加え丁寧に時間さえ掛ければ、重なった蚊取り線香も折らずに分離できたり、ラックの組み立ても難なく完成できたり。一見すると『海外に僕を連れ出した後に香港経由で僕を売り飛ばす計画を企んでいる悪人』風な青木先生のご容貌も、『賢そうな人に見えた』とお人柄を看破してらっしゃるあたり、歯に衣着せぬ物言いはご無礼ながら大野さんよりずっと五感や認知の凸凹は小さいだろう、と私はお見立てしております。
それでは何故、ドラゴンズさんは大野さん同様に30年も、ひきこもってしまったのか?
詳しいご事情は、ドラゴンズさんの文章に語って戴く機会を待望すべき処ですが、現状で留意しておきたい不備不足は『努力して できるようにすること』すなわち自己投資の意義を、未だに全くご存知ない旨。大野さんからの『誰かに手伝ってもらっても いい』という声掛けに、『だったら、僕は何もしなくて いい』と応ずるのは、横着な怠け者であるように一見されますけれど、その実は自己承認が低すぎる所為なのです。
ドラゴンズさんが吐いた弱音が山田さんの愚痴とそっくり同じなので、「見えない/認知できないものは ないものと同じ」多様性をお持ちな自閉圏の大野さんでも、『支援を受けなかった山田さんの20年後が、50代男さんなのかと妙に納得』お出来になったとおり、まずは成長の礎たる自己承認を補塡する対策が急務と、私には拝察されます。
そして成長の緒(いとぐち)は、謹厳な報告・連絡・相談で本人のフリーハンド=自由意志を尊重する対等の関係性があってこそ、つかめるもの。
専門家の「上から目線」で「失敗体験を上回る成功体験」などという無理ゲーを押し付けるのではなく、支える側も自らの自己理解・自己承認・自己投資という源・礎・標を意識しつつ、一緒に成長を志す覚悟があってこそ「みんな」より遙かに大きな多様性を担って生まれた彼らの成長の扉を押し開けるのだと、私は「確信」しているのです。